終戦70年・日本敗戦史(62)徳富蘇峰が語る『なぜ日本は敗れたのか』⑬『日清、日露戦争に比べて軍の素質は大幅に低下』
2015/04/23
終戦70年・日本敗戦史(62)
A級戦犯指定の徳富蘇峰が語る『なぜ日本は敗れたのか』⑬
『日清、日露戦争に比べて、大東亜戦争の軍の素質は大幅に低下した』
試みに支那事変(日中戦争)及び大東亜戦争と、日露戦争とを対照して考えるに、徒らに先人を盲信して、今人を軽視する訳ではないが、その差はまことに提灯と釣鐘のたとえも、なお足らぬ程である。
この頃市ヶ谷における東京裁判の審問書を読めば、武藤章氏(A級戦犯、陸軍軍務局長)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%97%A4%E7%AB%A0
は、日清日露戦争時代における軍の素質が、今回の戦争に至って、全く低落し、とても比較にならぬと白状し、懺悔している。しかしそれは兵の素質ばかりではない。その素質の低格は、上に行けば行く程、なおさら著しくなっている。
恐れながら最上位の点にまで及んで、今上天皇と明治天皇とを、比較し参らすれば、正直の所、最もしかりと申す他はあるまい。しかしこの1点は、今ここに、かれこれ言議す可き筋のものではないから、慎んで緘黙する。
日露争に際しては、当局の用意は、実に爪も立たず、水も漏れぬという程、周到ていねいを極めていた。それには元老の伊藤博文、山県有朋、松方正義、井上馨などという人は勿論、満洲軍の総帥大山厳、総参謀長児玉源太郎はもちろん、海軍においては山本権兵衛、東郷平八郎その他、当局者としては桂太郎、小村寿太郎など、みな百年の寿命を、この一戦に縮めて、御奉公をしたのは、もちろんであるが、まことに明治天皇の、一方におては、秋毫(しゅうごう)の末まで、遠謀深慮遊ばされ、他方においては、聖断山の如く、動かす可からざるものがあり、かくの如き明主を戴だいたる難有味は、随時随処に証明せられた事は、独仏戦争の時に、プロシアがウィルヘルム老帝を戴だいたと、同一の感があったものと、察せらるる。
霹国(ロシア)と満洲の野に戦うにおいては、最も重大なる関係は、支那(中国)である。されば当時日本では、この方面に最も慎重の配意をなし、表面中立厳守の支那をして、内実日本のために、努力せしめた事は、言うまでもなく、当時天津は、殆ど日本の兵端基地となって、この方面から輸送したる物は、恐らくは支那事変に於ける、英国のビルマ通路以上であったと察せられる、ために、袁世凱なども日本のために相当御用を勤めた事は、言うまでもない。
支那を味方に引き入れているばかりでなく、戦争と同時に、文化使節として、英国には末松謙澄
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E6%9D%BE%E8%AC%99%E6%BE%84
米国には金子堅太郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%AD%90%E5%A0%85%E5%A4%AA%E9%83%8E
を特派した。これは表向であったが、裏面にもそれぞれの工作のあった事は、もとよりいうまでもない。
それよりも驚ろくべき事は、相手方の霹国、即ち敵の旗本を衝いた事である。当時明石元二郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E7%9F%B3%E5%85%83%E4%BA%8C%E9%83%8E
は、一佐官として北欧に活躍し、露国の革命党と調合して、その内乱を惹起し、内輪より露国を崩壊しようと努めた。かかる隠微の仕事については、その効果を明示するは、頗る困難の事であるが、日露戦争後,明石が、ドイツにおける日本大使館の駐在武官として、ベルリンに赴むかんとするに際し、ドイツ皇帝の察当により、それが中止させられた事実に徴すれば、明石の活動が、相当の効果を奏した事は、不言の裡に証明される。
ドイツ皇帝も、明石の怪腕を念知し、その手でドイツをかき回されては困ると、考えたものであろう。日本としては、困った事であったが、明石当人としては、ドイツ皇帝によって、その裏面工作が無用でなかった事を、証明せられたものと言う可きであろう。いわばドイツ皇帝より、一個の感状をもらったものと見ても、さしつかえあるまい。
(昭和22年1月25日午前、晩晴草堂にて)
関連記事
-
-
日中北朝鮮150年戦争史(28)『「米国は旗色を鮮明にせよ」と元米国防総省日本部長 尖閣問題に米国はどう関与するのか(古森義久)」●『中国を弱体化させるには韓・露との関係改善が必要だ』●『海自とアメリカ第7艦隊の戦力分散を画策する中国 中国軍がこの時期に日本海で軍事演習を行った理由』●『日本から中国の我が家に帰宅、この寂しさは何だろう 李さん一家の「はじめての日本」~帰国後の振り返りの巻』●『ワシントンで「毛沢東」国際シンポジウム――日本軍と共謀した事実を追って』
日中北朝鮮150年戦争史(28) 「米国は旗色を鮮明にせよ」と …
-
-
『ウクライナ戦争に見る ロシアの恫喝・陰謀外交の研究⑧』★日露300年戦争(4)『露寇(ろこう)事件とは何か』★『ロシア皇帝・アレクサンドル一世の国書を持って、通商を求めてきた第2次遣日使節・ラスクマンに対しての幕府の冷淡な拒絶が報復攻撃に発展した』
2017/11/18 /日露300年戦争(4)記事再録   …
-
-
日本の「戦略思想不在の歴史」⑷『日本で最初の対外戦争「元寇の役」はなぜ起きたか④』★『 文永の役はモンゴル軍の優勢のうち、『神風』によって日本は侵略から助かった』
文永の役はモンゴル軍の優勢のうち、『神風』によって助かった。 1274年(文 …
-
-
『Z世代のための日中韓外交史講座』 ㉖」★『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』 ㊾ 「日清戦争開戦10日前)『中国が朝鮮問題のため日本と一戦交えざるを得ないことを諭ず』★『<日本はちっぽけな島国で鉱山資源も少なく,倉庫の貯蔵も空っぽで,戦争になれば金もなくなり敗北する』
2014/09/07 『日中韓150年戦争史』日中韓のパーセプショ …
-
-
Z世代へのオープン歴史講座・なぜ延々と日韓衝突は続くのかルーツ研究⑧』★『1894(明治27)年7月13日付『英国タイムズ』★『(日清戦争2週間前)「朝鮮を占領したら、面倒を背負い込むだけ』★『日本が朝鮮を征服すれば,この国が厄介きわまりない獲物であることを思い知らされる一方,中国にはいつまでも敵意を抱かれることになる』
2014/09/06 /現代史の復習問題/「延々と続く日韓衝突のルー …
-
-
『オンライン講座/ウクライナ戦争と日露戦争の共通性の研究 ⑨』★『日露戦争勝利と「ポーツマス講和会議」の外交決戦②』★『その国の外交インテリジェンスが試される講和談判』★『ロシア側の外交分裂ー講和全権という仕事、ウイッテが引き受けた』
以下は、 前坂俊之著「明治37年のインテジェンス外交」(祥伝社 2 …
-
-
『オンライン講座/日本興亡史の研究①』★『H・G・ウェルズ(文明評論家)は「日本国民はおどろくべき精力と叡智をもって、その文明と制度をヨーロッパ諸国の水準に高めようとした。人類の歴史において、明治の日本がなしとげたほどの超速の進歩をした国民はどこにもいない。』★『明治大発展の国家参謀こそ川上操六参謀総長だった』』
日本リーダーパワー史(842)「日露戦争」は川上操六プロデューサー、児玉源太郎監 …
-
-
世界、日本メルトダウン(1034)–『朝鮮半島チキンレースの行方はどうなる!』★『北朝鮮攻撃は偶発的な軍事衝突以外にはありえない』●『中国流の「言葉の遊び」「空約束」外交にオバマ政権も日本外交も何度も騙されてきたが、トランプも同じ失敗の轍を踏むのか?』
世界、日本メルトダウン(1034) 『朝鮮半島チキンレースの行方はどうなるのか! …
-
-
世界、日本メルトダウン(1021)ー「トランプ大統領40日の暴走/暴言運転により『2017年、世界は大波乱となるのか」①『エアーフォースワンはダッチロールを繰り返す。2月28日の施政方針演説では「非難攻撃をおさえて、若干軌道修正」、依然、視界不良、行き先未定、墜落リスクも高い①
世界、日本メルトダウン(1021) トランプの暴走暴言運転によって『2017 …
