日本リーダーパワー史(555)「日露戦争での戦略情報の開祖」福島安正中佐⑤『清国は共に手を取り合ってやって行ける国ではない』と結論
2015/03/16
日本リーダーパワー史(555)
「日露戦争での情報戦略の開祖」福島安正中佐⑤
2年間の北京駐在武官としての結論は「ワイロ天国の腐敗
清国軍は「恐るに足らず」『日本として、清国は共に手を取り
合ってやって行ける国ではない』と結論した。
前坂 俊之(ジャーナリスト)
-
情報とは一時的な断面の現象よりも、長期にわたる変化を調査して将来に対する予想を的確に見通すこと、
-
情報の生命は先行性にあり、活用されない情報は単なる気休めのニュースに過ぎない。
1883年(明治16)3月、福島安正大尉(30歳)は北京駐在公使館付武官となり、在任は明治17年11月までの約1年8ヵ月間で、この間に大尉が踏査した要地は支那全土にわたっていた。
福島は明治13年にわが国で初めての支那防衛策「隣邦兵備略」を作成しており、この北京中駐在中には、清国兵制類聚、親国兵制類纂、清国兵制雑話などの報告書百十六巻、さらに「四聾聯珠」(支那語の実用会話集、将来の支那語研究の参考書)十巻もまとめるという驚異の情報活動を行っている。その工作の一端を紹介する。
兵部が門の活用工作
福島大尉が清国の兵部が門という役所(陸軍省に当る)の呉上尉(大尉)と仲良くなった。福島大尉は呉上尉に、「私は日本の参謀本部で日本陸軍の組織制度、部隊編成、兵力装備、部隊配置、食糧補給、経費支出等の一切について誰にでも一見すれば判る方法を研究していた」
と話して「君は、君の上官から清国軍の現状を聴かれたときに、即座に正しい資料を持参して回答ができるか」と聞いた。
彼は「清国は広いので清国軍の情報を集めるだけで一年以上の日数が要る。これをまとめている間に既に変ってしまう」と返事した。
福島大尉はすかさず、「今や世界は進歩して、やり方によってはこれが可能なのだ。君が清国軍で最初にこの新式調査方法に成功したならば、直ちに出世して給料も上がる。現にこの私は日本で成功した。君もやってみないか」と誘った。
暫くして、呉上尉から「ぜひ教えてほしい」と懇望してきた。
「私が教えることは日清両国親善のためにも役立つし、君の出世のためにもなる。ただし、新しい時代の新しい方式は、君1人だけにコツソリと教えてやってできるものではない。部下も一緒に指導、教育する」と宣言した。福島大尉は彼の編み出した調査方法を部下数十人に実地に教え1ヵ月以上にわたって講習、指導したのである。そのうち福島大尉は11人の清国官吏を部下に持ち、兵部が門の1室を提供させるまでになり、清国兵制類聚、親国兵制類纂などの清国軍の現況に関する調査書の編集作業に従事して、スピード完成させた。
一番重要なのは報告書を提出する各地方の出先機関の定期報告が正確かどうかをチェックすることだと助言して、福島自ら関係者を同行して各地(各省)の総督、巡撫、将軍、都督などの地方長官府を歴訪してその実態調査と報告書作成方法等をもきびしく点検して回った。こうして完成したのが『清国兵制類集』(65巻)であったのだ。
明治17年の『甲申事変』で日韓中(日本・朝鮮・清国)の衝突の結果、翌明治十八年四月に、日清両軍とも双方が一切の軍隊を京城(ソウル)から撤兵するという天津条約が締結された。伊藤博文が全権大使となって、天津で交渉してきたが、清国事情に最も通じた福島大尉が伊藤全権の補佐役として随行した。
福島大尉はこの天津出張の際にも新情報を入手している。
17年年八月の安南(ベトナム)問題で清仏戦争が起きた際、初めて新編成の清国軍が仏国軍を破って勝利したことで、これが原因で急に清国軍が自信過剰になったこともつきとめた。
また清国軍の当時の兵力は八旗兵……約30万人、蒙古兵:約10万人、緑旗兵…約47万人の合計87万人であるが、これは過大報告の集計でこれはあるとし、新式の装備で訓練が整っているものは兵力の約三分の一で、実質兵力は約三十万人と見積もっていた。この数字も大兵力のように受け取れるが、日本の約三十倍もある広大な清国の国内治安がやっと可能というに過ぎない兵力で、決して恐れるには及ばないと結論していた。≪当時の清国人口は3億6000万、日本は3000万)と的確な判断力を見せている。
こうして約2年間の福島大尉が北京駐在武官としての「清国軍」の実力判定は、「清国恐るに足らず」として、川上参謀次長に次のような報告をしている。
・公然たる賄賂(わいろ)が流行し、今やこの悪い慣習は清国の持病として百悪の根源をなしているが、平気の平座で反省もしていない。(*この汚職役人、ワイロ天国はいまも変わらない。習近平がいかに頑張っても退治できない中国3000年の持病なのである)
- 軍備の改編や新装備のため多くの国家予算が必要となるや、政府はその財源を官吏や兵士たちの給料から天引きしてこれに充てる。
- このため、減俸された役人、兵士は当然のこととして自活自給のワイロを人民側からとる。その結果、上は王侯より、下は1兵卒に至るまで手当り次第、官品の横領と兵器や軍備品の横流しを公然と行い、ワイロが横行する社会である。
- このような軍隊に規律と士気を求めても、それは無理というものーーという診断で『日本は清国とは共に手を取り合ってやって行ける国ではない』と結論づけた。
つづく
関連記事
-
-
世界/日本リーダーパワー史(899)-『コミー前FBI長官の回顧録「A Higher Loyalty: Truth, Lies, and Leadership」(4/17刊行)が発売前から全米ベストセラーに』★『トランプはニューヨークのマフィアのボスの態度そっくりで、ボスへの忠誠心が組織の絶対の掟、最低の大統領だ!』★「解任好き」の大統領はロシア疑惑の特別検察官もクビにするのではないか」
世界/日本リーダーパワー史(899) ジェームズ・コミー前FBI長 …
-
-
『Z世代のための日本戦争報道論』★『 戦争も平和も「流行語」と共にくる』★『80年前の太平洋戦争下の決戦スローガン(流行語)』★『人々は「贅沢(ぜいたく)は敵だ」→「贅沢はステキだ」●「欲しがりません勝つまでは」→「欲しがります勝つまでは」●「足りん足りんは工夫が足りん」→「足りん足りんは夫が足りん」』とパロディー化して抵抗した』
2014/10/18 記事再録 月刊誌『公評』<2011年11月号掲載>決戦スロ …
-
-
『オンライン/日本の総理大臣の資格講座』★『150年かわらぬ日本の宰相の欠点とは―日本議会政治の父・尾崎咢堂が語る「宰相の資格」(6)★『宰相に最も必要なのは徳義。智慧・分別・学問は徳で使われる」
2012/03/21 記事再録 日本リーダー …
-
-
★5<まとめ記事再録>『歴史の復習/戦争報道の研究』/『世界史の中の日露戦争』-『英タイムズ』,『米ニューヨーク・タイムズ』など海外紙はどう報道したか②(連載21回―34回)』★『緊迫化する米/北朝鮮の軍事的衝突はあるのか、日露戦争勃発直前の英米紙の報道と比較しながら検証する②』
★5<まとめ記事再録>『歴史の復習、 戦争報道の研究問題』/ 『世界史の中の日露 …
-
-
明治150年歴史の再検証『世界史を変えた北清事変⑧』-服部宇之吉著『北京龍城日記』(大正15年)より④』★『服部の目からウロコの中国論』●『科学的知識は皆無で迷信/虚説を盲信して夜郎自大となった清国。一方、西洋人は支那を未開の野蛮国として、暴虐をくわえて義和団の乱、北清事変に爆発した』
明治150年歴史の再検証『世界史を変えた北清事変⑧』 ここにおいて、また例の …
-
-
『オンライン講座/日本を先進国にした日露戦争に勝利した明治のトップリーダーたち①』★『日本イノベーションに学ぶ』★『軍事参議院を新設、先輩、老将軍を一掃し、戦時体制を築く』★『日露開戦4ヵ月前に連合艦隊司令長官に、当時の常備艦隊司令長官の日高壮之丞ではなく、クビ寸前の舞鶴司令長官の東郷平八郎を抜擢した大英断!』
日本リーダーパワー史(821)『明治裏面史』 ★ 『「日清、日露戦争 …
-
-
『オンライン講座/今、日本に必要なのは有能な外交官、タフネゴシエーター』★『日本最強の外交官・金子堅太郎のインテジェンス➄』★『ルーズベルト大統領は「旅順陥落」に大喜びー 黙っていると”Silence is Consent”(同意した) とみる。どしどし反論せよ』★『黄禍論と戦う、旅順の戦闘、日本海海戦の大勝利に大統領も大喜び』
2017/06/25日本リーダーパワー史( …
-
-
『Z世代のための日本最高のリーダーシップ・西郷隆盛論⑦』★『日本史上最大の行政改革(廃藩置県)を山県有朋が恐る恐る相談すると、西郷は言下に「至極、結構なこと」と了解し、即・断固実行した最強のリーダーパワー』★『徳富蘇峰『近世日本国民史』(明治の三傑)の証言』
2012-03-24 /日本リーダーパワー史(246)記事再録 & …
-
-
★『オンライン講座・吉田茂の国難突破力③』★『吉田茂と憲法誕生秘話ー『東西冷戦の産物 として生まれた現行憲法』★『GHQ(連合軍総司令部)がわずか1週間で憲法草案をつくった』★『なぜ、マッカーサーは憲法制定を急いだか』★
★『スターリンは北海道を真っ二つにして、ソ連に北半分を分割統治を米国に強く迫まり …
