前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

終戦70 年・日本敗戦史(57)A級戦犯指定の徳富蘇峰の『なぜ日本は敗れたのか』⑨「世界戦史上、最も愚劣な戦争だった支那事変(日中戦争)」

   

 

終戦70年・日本敗戦史(57)

マスコミ人のA級戦犯指定の徳富蘇峰が語る『なぜ日本は敗れたのか』⑨

「世界戦史上、最も愚劣な戦争だった支那事変(日中戦争)」

「鹿を逐う猟師は山を見ず」というが、全くその通りで、長い期間、中国四百余州を、

東から西へ、北から南へ、西から東へ、ただ鹿の跡を追い回わし、

へトへトになった挙句が大東亜戦争となったのだ。

何のために、なぜ戦うたか。国民自身も、誰れ一人知る者はなかった。

            安倍政権はこの「愚かすぎる外交失敗(オウンゴール)」くり返してはならない。

 

およそ世界の歴史において、いわゆる支那事変(昭和12年7月7日)蘆溝橋事件より、昭和16年12月8日、対米英宣戦詔勅発布に至る間の足かけ五年、支那事変ほど世界の戦争史で、愚劣なる戦争はあるまい。「鹿を逐う猟師は山を見ず」というが、全くその通りであった。

この長い期間、中国四百余州を、東から西へ、北から南へ、また南から北へ、西から東へ、ただ鹿の跡を伝って追い回わし、遂にへトへトになった挙句が、それが発展して、大東亜戦争となったのだ。何のために戦うたか、何故に戦うたか。国民自身も、誰れ一人これを知る者はなかった。

恐らくは当局者も、ただ支那人(中国人)が抵抗するために、戦ったという以外に、何等の申訳はあるまい。要するに大義名分はおろか、一通り筋道の立った訳さえなく、いわば戦争をするために、戦争をしたと言う外はなかった。

従って戦えば勝ち、攻めれば取るという訳で、北から南にかけて、破竹の勢で、南京、徐州、漢口に進んで、長沙方面に出で、やがては日本の兵站線は、仏領印度(ベトナム)より、泰国(タイ)に及んだ。昔、劉玄徳は、呉と戦う時に、その陣営を七百里(2800キロ)の間に連らねたというが、六町二里(1町は109m、1里は約4キロ)の七百里であれば大した事もなかったが、日本では、その兵站線が、釜山に始まり鴨緑江を渡り、満洲を経て長城(万里の長城)に入り、ついに支那を東西に横断し、大東亜聖戦開始の際には、支那の国境を掩えて、仏印より泰に及び、新嘉披(シンガポール)、馬来半島(マレー半島)も殆ど指呼の裡に在った。

かかる長き兵隊線を作ったばかりでも、大層な消耗であるが、この五年間でわが国の人的消耗は、さらに物的のそれよりも、大なるものがあった。つま。宣戦詔勅発布の頃は、海軍だけはまず無キズが、陸軍は朝気どころか、殆ど暮気であった。但だ、今は術ななすすべもなく、鹿を逐う猟師が、さらに狩場を延長し、若くは拡張したのが大東亜聖戦であった。

もとより局部的に言えば、相当の戦果を収めたに相違ないが、例えば南京の攻略(南京事件)の如きは、得たる物は何物か。東京裁判をにぎわしつつある主なるテーマの1つとなって、南京における日本人の、非人道的行動は、世界の戦争史中に、未曽有の色彩を以て、絵取られつつあるだけに過ぎない。

さて、広き支那(中国)に、多き支那人(中国人)を、駆り立てて追い回しても、十年は愚ろか、百年を経ても、そのために支那自身が、滅亡する事のない事は、支那の五千年の歴史が、これを証拠立てている。

日本人は敵を追って、その地を略し、敵が逃げれば、己れもまたその地を棄て、敵が来れば、再びまたその地を取るというような、まるでイタチごっこのような事をして、その日を暮した。例えば長沙などは、ようやく日本軍の手に、占領したかと思えば、またここを撤退し、御苦労にも復た再びここを占領するが如き、手数のかかった仕事をなし、例えば太行山脈の如きは、日本軍が幾度か、その線路に沿うて、東西南北に行軍したが、その結果は、靖国神社に神体が増加するのと、将校その他に勲章が増加するだけの事に止まり、五年間、日本軍が、支那内地を占領したとて、1人の支那人(中国人)でさえこれに向って心服させること事はあるまい。日本人はこの間、支那人に何も教えた事はなく、支那人から何も習った事もない。

ただその結果は、これがため、国民党政府、蒋介石の政権を、根深く扶植させ、牢として動かない中華民国なるものを、地図的の意味でなく、国民的の意味で作り上げるために、御奉公したに過ぎなかった。

(昭和22年1月18日午前、晩晴草堂にて)

 - 戦争報道

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
『対中戦略の回顧』ー記事再録/日本リーダーパワー史(631)日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(24)『荒尾精の日清貿易商会、日清貿易研究所設立は 「中原正に鹿を逐ふ、惟に高材疾足の者之を獲る」

      2015/12/31/日本リ …

no image
日本の「戦略思想不在の歴史」⑶日本で最初の対外戦争「元寇の役」はなぜ起きたか③『現在の北朝鮮問題と同じケース、一国平和主義に閉じこもっていた鎌倉日本に対して世界大帝国『元』から朝貢(属国化)に来なければ武力攻撃して、日本を滅ぼすと恫喝してきた!、国難迫る!』

日本の「戦略思想不在の歴史」⑶ 日本で最初の対外戦争「元寇の役」の内幕 第4回目 …

no image
『日中韓150年戦争史』パーセプションギャップの研究』㉝「日露同盟のうわさについて」(英国「タイムズ」)

   『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』 日中 …

知的巨人の百歳学(113)ー徳富蘇峰(94歳)ー『生涯現役500冊以上、日本一の思想家、歴史家、ジャーナリストの健康長寿、創作、ウオーキング!』

2018/11/30     2018/12/01 …

『日本の運命を分けた<三国干渉>にどう対応したか、戦略的外交(外交の要諦 )の研究』⑳』★『三国干渉での各国のインテリジェンス勝敗』★『ドイツは日本を完全無視し、英国は日英同盟を締結、インテリジェンスで軍を派遣せず敵国ロシアを粉砕した』

 逗子なぎさ橋珈琲テラス通信(2025/11/19am700) ベルツ …

no image
『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』㉗「長崎事件に対しての英側の見解」(英「ノース・チャイナ・ヘラルド」)

     『中国紙『申報』からみた『日中韓150年 …

★『Z世代のための日本政治史講座㉒』★『歴代”宰相の器”とな何か!』★『日本の近代化の基礎は誰が作ったのか』★『わしは総理の器ではないとナンバー2に徹した西郷従道』★『なんでもござれと歴代内閣に重宝されて内務大臣三回、海軍大臣七回、陸軍大臣(兼務)一回、農商務大臣などを歴任、縁の下の力持ちに徹し、有能人材を抜擢した』

     2012/09/09 &nbs …

「Z世代への遺言」「日本を救った奇跡の男ー鈴木貫太郎首相②』★『ルーズヴエルト米大統領(68)死去に丁重なる追悼文をささげた』★『鈴木首相とグルー米国務省次官のパイプが復活』★『ポツダム宣言の受諾をめぐる攻防』★『鈴木首相の肚は聖断で一挙にまとめる「玄黙」戦略を実行 』

ルーズヴエルト米大統領(68)死去に丁重なる追悼文をささげた。 鈴木首相の就任1 …

no image
『ガラパゴス国家・日本敗戦史』㉜終戦時の決定力、決断力ゼロは「最高戦争指導会議」 「大本営」の無責任体制にある

     『ガラパゴス国家・日本敗戦史』㉜ 『来年 …

no image
終戦70年・日本敗戦史(77)大東亜戦争開戦「朝日,毎日などの新聞紙面」ーフィリピン戦線ー「ミンダナオ島にも敵前上陸」 「マッカーサー司令官」マニラ退去」

   終戦70年・日本敗戦史(77)  大東亜戦争開戦の「朝日,毎日な …