日清戦争の遠因となった長崎事件(長崎清国水兵事件)ー2資料の『歴史秘話」を紹介
2016/08/16
日清戦争の遠因となった長崎事件(長崎清国水兵事件)ー2資料紹介
①「頭山満と玄洋社物語」(続)(平井晩村著 大正4年刊)
http://book.maesaka-toshiyuki.com/book/detail?book_id=170
「頭山満と玄洋社物語」(続)(平井晩村著1915年刊)の第10章の「北洋艦隊の来航と東半球の風雲」によると、「日本の海軍の10倍の「鎮遠」「定遠」の巨艦を擁した東京湾にあらわれ丁汝昌は「眼中に日本なし」とせせら笑い、長崎に寄港して横暴のかぎりをつくした、という。
http://book.maesaka-toshiyuki.com/book/detail?book_id=170&article_id=5415
http://book.maesaka-toshiyuki.com/book/detail?book_id=170
➁<長沢直太郎編『上泉徳弥伝』上泉きう、1955年、非売品>
1891年(明治24)7月、提督丁汝昌の清国北洋艦隊が再び来朝した際、当時・上泉徳弥少尉は自ら企画、佐世保鎮鎮守府から金を出させて、長崎市と協力して歓迎大会を開催した秘話を紹介している。
上泉徳弥(日露戦争当時は大本営運輸通信部参謀、海軍中将)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%B3%89%E5%BE%B3%E5%BC%A5
<長沢直太郎編『上泉徳弥伝』上泉きう、1955年、非売品>によると、
1891年(明治24)7月、提督丁汝昌が清国北洋艦隊を率いて来朝し、横浜、呉等においては何れも大歓迎会が催されたが、長崎においては、前回、来朝の際における清国水兵の暴行事件に対する反感より、歓迎はおろか、彼等が上陸すれば復讐する者が出てくる有様であった。上泉少尉は「折角親善を標ぼうして来朝してくる者を遇する道ではない」と彼等が日本を去るに際し、最後の交歓をなすべく率先奔走したため、遂に支那側に非常な好感を与え、それがため丁汝昌は2,3日後に迫っていた万寿節を長崎で迎える事として、帰航延期を本国に電請し、盛大な返礼の宴を開いた後、帰航の途に上った。その当時の話を長沢中将の手記により左に記す。
我が艦隊、武蔵、葛城、外1隻(天龍か)長崎港に入学。(艦隊6月中旬より隣邦諸港へ回航すとある故、多分月日その頃なる可し。)早速上陸して1杯やると料亭での噂で・今度支那艦隊が入港すれば、陸上の壮士連が兵員に一挙、大打撃を与えんとの計画ありとの事。
国策上、わが艦隊は支那艦隊を歓迎,交歓せよとの命を受けて此所へ来たのに、陸上にかかる企図があることこそ由々しき一大事なり直感す。(これは先年、支那艦隊が長崎へ入港した際、兵士が上睦して各所に横行、乱暴を働き、長崎の若者たちをおおいに憤慨させたことによる。)
よって帰艦後、早速艦長に報告し、対策を進言した。その意見
は、支那艦隊が入港すれば、われより進んで司令官以下士官以上に対して大歓迎を行うというものであった、艦長は上泉少尉の意見には賛成だったが、「接待費がないので如何ともしがたい」と積極的でなかった。当時艦長一ヵ月の外国人接待費はわずかに金五円で、事情により三ヵ月分までは支出できることになっていた。
艦隊三隻3ヵ月分全部を集めてもただの45円である。今日より考えれば全くおかしなことだが、この大事をただ金がないという理由だけで傍観すべきでないと決心した上泉少尉は、「金がなければ鎮守府へでも申し出て援助を受けては如何、命令があれば進んでその任に当らん」と申し出た。
そこで小蒸汽艇を出すから乗って鎮守府へ行き交渉せよとの命令をうけた。長崎から汽艇で大村湾へいき、そこより鎮守府まで徒歩で行った(その頃は汽車も通じていなかった)。
鎮守府では参謀長にあって意見を述べた。参謀長も長官に申上げ、意見には同意したが、さりとて鎮守府が主としてそれに当る訳にはいかぬが、先ず金五十円を贈って艦隊の仕事を援助するとの事で50円もらって帰った。このような事は現時(昭和前期)の少尉ではほとんど考えられぬ事である。
とにかく、概算で約百円の金が出来た、このお金を基として実行に着手するのであるが、ほとんどすべてが上泉少尉実行委員長の形なのである。先ず県、市を説いて協力させ、会場は長崎遊郭とした。(このような事はおそらく空前絶後であろう。)娼婦、芸妓総員が接待に奉仕の事、屋外に大食卓を設け、提灯をつるし、酒は勿論、肴として支那人大好物の料理
大●(骨に盧)=たいろう(牛頭を釜で骨の健で煮る料理、支那人には大礼に饗するもので大した御馳走であるが、当時日本人は牛の頭など食べぬ故、極めて安価に求められたるを好都合に考えられたのである。)を調へ、日支の国旗を交叉し、長崎全市が艦隊に協力、準備に万全を期し、支那艦隊の入港を歓待したので、支那の司令官丁汝昌以下士官全部大悦びにて出席し、余り歓迎が御気に召し司令官以下全部がそのまま陸泊したとの事、それだけ大満足であった。
その結果、もちろん日本艦隊の士官以上を御礼の意味で艦上に招待し、上陸兵員には厳命を下したるため、先年の如き騒動もなく彼我交歓極めて円満に遂行されたりとの事、これは上泉将軍ならでは出来なかったことと思われる。
<以上は長沢直太郎編『上泉徳弥伝』(上泉きう、1955年、14-15P)>
鎮遠定遠下駄に履き 1
http://www.d3.dion.ne.jp/~ironclad/wardroom/Nagasaki_riot/nagasaki_riot1.htm
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- http://www.maesaka-toshiyuki.com/history/1824.html
- <日本リーダーパワー史(132)空前絶後の名将・川上操六(21)長崎事件の発端は何か
- http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/3258.html
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