『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』㊴日本は漢学を尊重すべし」(1891(明治24)年7月)
2015/01/01
『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』
日中韓のパーセプションギャップの研究』㊴
1891(明治24)年7月13日光緒17年辛卯6月8日「申報」
日本は漢学を尊重すべし
日曜日にはさしたる用事もなく,客人が上海に寄寓している福原,尾本などの日本人が沈関福という中国人を斬殺した事件について話すのを聞き,嘆息せずにはいられなかった。
そして嘆いて言った。なんたることか。日本人はなんと漢学を尊重しないの
日1日と詩書の恩沢に浴することによって,次第に順良な性格へと化していくのだ。どんな良玉でも.切磋琢磨することなしには,すぐれた玉器となることはない。
日本は明治帝が即位し,政治が維新を唱えてから,従来の因循固陋を一掃し,ことごとにヨーロッパに規範を仰ぎ,今になってようやく24年が経過した。そ
して.大は文芸.学術,軍事.刑法.税制から.小は家屋.服装,飲食.応酬に至るまで旧釆の慣習を軽視してことごとく改めた。
このため多く西洋人と交際を結び,いっさいの文字・言語もまた.ただ西洋人を模倣し.年若いもの好きには,ややもすれば漢学を迂遠とみなし,日々西洋の横文字だけを学習して興味津々だという者さえいる。
富国強兵は.もとよりすでに成果をあげているとはいえ,民情はこのために日々
日本は秦の時代から中国と行き来していた。徐福は男女3000人の童男童女を船に乗せて航海し,神仙の山に向かった。彼らはひとたび行ってそのまま帰らず,次第に日本において人数を増やしていった。それ故、日本の人間が皆武術を尊ぶのは.秦代の侠士の遺風が残っているのだ。憤りを押さえることができないと即座に生命.財産を顧みることなく,刀をふるって立ち向かうのだ。
通商する以前において.民間では漢学を崇尚していたが,日本人の尚武の気風には久しい由来があり.通商することによって初めて人々が勇猛になったわけではない。寛柔なる教化によっても強盛たることができるのだ。日本はもともと儒風を尊び.いたるところに学舎を建設し,至聖孔子を祭っていた。
長崎および東京の徳川氏の孔子廟は,壮麗なる空手で整然たる儀礼が行われていた。したがって,人々は侠気を尊ぶけれども.あえて悪事を働いて法に背き
自ら罪を犯すようなことはなかった。
西洋の制度を尊重して以来,聖人の教えは日増しに衰微し,民は礼と義のなんたるかをほとんど知らない。詩文書画は年長者こそ熱心に学んでいるが,年若い軽薄な輩は古典に専亡、しないのみならず.その字義さえ茫然として解さず,風波に漂う舟乗のようだという。
また日本人は中国人を見れば卑しみ軽んじ,西洋人を見れば敬い重んずると
福原、尾本らの人々が酒に酔ってこの大禍を引き起こしたことも驚くにはあたらない。かつ,もし人が学問をして道理をわきまえていなければ,性格はしばしば傲岸不遜で柔順になりにくい。
かつて幼少時に外国へ行き.成長した後に帰国した中国の少年に会ったことがある。彼は西洋の.言葉,西洋の文章についてはすでにすみずみまで知りつくしており.西洋人との交際には,失敗して恥をかくなどということはない。
中国の文章になると.もともと心得かない上に,これまで「大学」,「中庸」す
らひもといたことがない。故にその性格は放悉となり,ほしいままに人を侮り,その軽薄な様子は見るに堪えなかった。中国人でさえこのような具合であれば.日本人にあってはなおさらのことだ。
しかし日本人はすでに西洋のみに追随しており.漢学は日々衰える一方だというわけではない。以前.外務大臣榎本公梁川に亜細亜協会で会ったときのことを思い出す。そのとき,参加者は数十人と多かった。榎本公は杯をあげ.声を張り上げていった。
「わが日本と中国の国土は境界を連ね.人の気質は似通い,両国が和好すれば他国を防ぐことができ,反目して内輪もめすれば他国の侮りを受ける。それ放,今日の両国の友誼は天意から出ていることであり,人力のしからしむるところではない」。
そもそも中国との和合を望むからには,政府の使節交換や民間の友好交流は1日として中断すべきではないし.1日として放置すべきではない。また文字言語について言えば,少年の性格が反抗的になるのは,学問を知らないためであり,数百年継承されてきた漢学は一瞬たりともおろそかにするべきではないの
だ。
また次のように説く者もいる。日本が日の出のような勢いで富国強兵を行うことができたのは,西洋文明の実効を尊尚することによって初めて旧観を一新し得たからだ。
今,あなたが漢学を導入するのは,日本が衰退して不振になることを望んでいるようなものではないか,と。そうではない。そもそも西洋の制度を学ぶのは,西洋人の良法を学ぶのであり,西洋人の悪習を学ぶのではない。
西洋の制度のよいものは将兵の訓練、武器の製造,国家の充実,国民の富裕さであり,1つ1つ手本にするのがよい。西洋の制度を手本にするのであれば・必ず西洋人に学ばねばならない。
私は決して西洋の文章,西洋の言語は必ず学んではならないと言うのではない。さらに.以前.西洋の文章.西洋の言語は必ず学ばなければならないと言ったことすらある。ただ日本のように,その旧制を捨て,万事西洋風を事としてこれに従い.専ら模倣ばかりに努め.一切の制度・文物・服色・礼節にわたって新奇を好み,旧俗を廃するようでは単に日本人の風気がしだいに変化し.勇を好み生を軽んじるようになるにとどまらず,もし後日暗然として方針を改め,後進に漢学を留心させようとしても,もはや師とすべき者もなく,教えを受けることもできなくなってしまうだろう。
また漢学がなくなれば.和文もまた廃れてしまうだろう。日本の典籍は往々にして実義を示すときには漢字を用いる。ただ,之(の)・無(なし)・者(は)・也(なり)のたぐいは.かな文字を用いるのだ。今,漢学を捨てて顧みず.学習する者もないようであれば,おそらく数十年,数百年の後.漢学に通じた者が次第に減少し,国中に漢字を知る者もいなくなり,経籍は忘れ去られるに至るだろう。これは得策と言えるだろうか。
関連記事
-
-
「稀有の海軍大佐・水野広徳年譜●『国大といえども戦いを好む時は必ず滅び、天下安しといえども戦を忘るる時は必ず危うし』
●『国大といえども戦いを好む時は必ず滅び、天下安しとい えども戦を忘るる時は必ず …
-
-
『オンライン講座/日本興亡史の研究 ⑳』★『上海でロシア情報を収集し、日本海海戦でバルチック艦隊を偵察・発見させた三井物産上海支店長、その後、政治家となった山本条太郎の活躍②』★『山本条太郎の日露戦争時代の活躍―上海の重要性』
2011/12/17 日本リーダーパワー史(225)<坂の上の雲・日 …
-
-
速報(184)『日本のメルトダウン』☆『3/11福島原発の半年後の真実に迫る-―小倉志郎、後藤政志氏との座談会(中)』
速報(184)『日本のメルトダウン』 …
-
-
日中北朝鮮150年戦争史(34)★ 歴史の復習記事再録ー 日清戦争敗北の原因「中国軍(清国軍)の驚くべき実態ーもらった「売命銭」分しか戦わない中国3千年の歴史は皇帝、支配者、共産党幹部の巨額汚職、腐敗政治で今の「習近平政権」も延々と続いている。
日中北朝鮮150年戦争史(34) …
-
-
『Z世代のための昭和史・日本最大のクーデター2・26事件(1936年/昭和11年)の研究』★『戦争の足音迫る阿部定事件当時の社会農村の飢餓の惨状』★『東北大凶作が1931年(昭和6)ー34年(同9)と連続し、約100万人が食糧難・飢餓に苦しみ、2・26事件の引き金となった』(谷川健一(民俗学者))』★『娘売る山形の寒村を行く』
2020/10/24 2・26事件の原因について谷川健 …
-
-
「トランプ関税と戦う方法論」ー「石破首相は伊藤博文の国難突破力を学べ⑥』★『日本最強の外交官・金子堅太郎インテリジェンス』●『ホワイトハウスでルーズベルト大統領は大歓迎』●『大統領は「日本のために働く」と約束』●『日本は正義のために戦い、ロシアは悪虐非道の振舞をしている。』●『今度の戦争は日本に勝たせねばならぬ』
◎ロシアと違い日本は宗教は自由の国 「第二に宗教戦争であるといっておだてるとは何 …
-
-
日中朝鮮,ロシア150年戦争史(50)ー副島種臣外務卿(外相)の証言②『明治の外交の争点はいつも朝鮮問題』 日清、日露戦争の原因は朝鮮をめぐる清国、 ロシア対日本の紛争である。北朝鮮問題のルーツ・・
日中朝鮮,ロシア150年戦争史(50) 副島種臣外務卿(外相)の証言―② 『明 …
-
-
世界、日本メルトダウン(1034)–『朝鮮半島チキンレースの行方はどうなる!』★『北朝鮮攻撃は偶発的な軍事衝突以外にはありえない』●『中国流の「言葉の遊び」「空約束」外交にオバマ政権も日本外交も何度も騙されてきたが、トランプも同じ失敗の轍を踏むのか?』
世界、日本メルトダウン(1034) 『朝鮮半島チキンレースの行方はどうなるのか! …
-
-
『オンライン現代史講座/2・26事件の原因の1つは東北凶作による女性の身売りが激増』③『アメリカ発の世界恐慌(1929年)→昭和恐慌→農業恐慌→東北凶作ー欠食児童、女性の身売り問題→国家改造/超国家主義/昭和維新→5・15事件(1932)→2・26事件(1936)、日中戦争、太平洋戦争への道へと転落した』
昭和七年(1932) 悲惨、娘身売りの残酷物語ー売られ行く娘たち 凶作地の惨状 …
