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日中北朝鮮150年戦争史(4)日清戦争の発端ー陸奥宗光『蹇々録』で、中国との交渉は『無底の釣瓶(つるべ)を以て井水をくむが如く、何時もその効なく』(パークス英公使)ー『話せばわかる』ではなく「話してもわからない」清国とついに武力衝突へ

      2016/07/20

日中北朝鮮150年戦争史(4)

 日清戦争の発端ー陸奥宗光『蹇々録』で、中国との交渉は『

無底の釣瓶(つるべ)を以て井水をくむが如く

、何時もその効なく』(パークス英公使)無益に終わる。

『話せばわかる』ではなく「話してもわからない」

そして、最後は

ハードパワーの衝突へ・・!?

陸奥宗光

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E5%A5%A5%E5%AE%97%E5%85%89

 

蹇々録』(けんけんろく、蹇蹇録

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B9%87%E3%80%85%E9%8C%B2

≪以下は『蹇々録』の第2章の現代訳である>

第二章 朝鮮に向かいて日清両国軍隊の派遣

その後、政府は六月四日、京城発杉村臨時代理公使の来電により、同公使が袁世凱し

に面会して、朝鮮政府よりいよいよ援兵を清国に請われたので、清国政府はその請求をいれて、若干の軍隊を朝鮮に送ることを確かに聞いとの報告を受けた。

また、六月五日頃より在天津・荒川領事は外務省へ、在北京公使館附武官・神尾光臣陸軍少佐は参謀本部へ、清国政府が天津における出兵準備の模様を電報してきた、

さらに、清国軍隊の若干は、大沽(タ-クー)から仁川に直行、あるいは山海関から陸路をとるという情報や、運送船が大沽を出航したという情報が入った。

このようなの電信来信が一日数回もあり、在北京の臨時代理公使、小村寿太郎より、清国政府がいよいよ朝鮮国に出兵するという議決をしたことが確実であるとの電報が来た。

朝鮮政府がその内乱を鎮圧することができないので援助を清国に依頼し、清国政府は時機を失わず出兵準備をしており、既に多少の軍隊を派兵したかもしれない状態だったので、外交および軍事上の運動は片時も怠ることなく、先ず清国政府は果して天津条約によって朝鮮へ派兵することを、わが国へ行文知照するのか、

また、今回の出兵は全く朝鮮国王の請求によるという口実を設け、諸条約を遵守せず、勝手に出兵を行うのかーについて事実確認を行った。

清国政府が天津条約に従い、その朝鮮へ派兵することを、我が政府に行文知照するしないに関わらず、清国政府が朝鮮国に軍隊を派兵がすることが確実となれば、日本は朝鮮での日清権力の平均を保持するために、相当の軍隊を同国へ派兵することは閣議で既に決めていたが、

同時にわが国は常に被動者(被害国、受動国の意)の地位に立つことを戦略し、清国政府が果して天津条約に対してどう対応するかを十分、確認する必要があるので、日夜、清国の行動を偵察、情報収集に怠りなかった。

 

なぜ、清国政府が朝鮮へ軍隊を派遣するに際して、天津条約を実行すかどうかを疑ったのかは、そもそも日清両国の朝鮮との関係は従来殆ほとんどど『氷と炭」(「水と油」)の正反対で相容れない関係だったためだ。

歴史的にみると、明治6年(1873年)当時の外務卿・副島種臣→

 

日本リーダーパワー史(554)「日露戦争の戦略情報開祖」福島安正中佐副島種臣外務卿が李鴻章を籠絡し前代未聞の清国皇帝の使臣謁見の儀を成功させたその秘策!

http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/5430.html

→が特派全権大使として清国に派遣され北京に滞在した時、清韓の宗属関係、韓国は清国の属国かどうかについて、総理街門・王大臣等と1、2の談話を交えたことがあった。

公文明約(条約、公文に明記されている効力ある文章)は日清両国政府の間に1つもなかった。明治9年(1876年)、黒田清隆全権弁理大臣と井上副大臣を朝鮮に派遣し、今の日韓修好条約を締結するにあたり、我が国は直ちに朝鮮に確認して一個の独立国とし、朝鮮もまたこれに応じて自ら独立国として同条約を妥結した。

 

ところが、日本政府は清国と朝鮮との間にあるあいまいな宗属(宗主国と属国ー中華思想の華夷序列)の関係を明確にする必要を感じたため、これより先、特命全権公使・森有礼を北京に派遣する際に、同公使に訓令し、就任後この事につき総理街門に協議させた。

その間、この協議は何十回も行なわれたが、その結果は清国政府は一面にでは、朝鮮は内治、外交ともその自主に任せているため、朝鮮で起った事件について清国では直接にその責任を執らないと言いながら、他の一面では、朝鮮はなお中国の属国で、決して一個独立の王国と認めることはできないという、相矛盾(二重基準)の属国論を主張したのである。

 

終戦70年・日本敗戦史(115)明治維新直後日本は清国、朝鮮との国交交渉に入るが難航、「中華思想」「華夷序列秩序」「小中華」『事大主義』対「天皇日本主義」の衝突②

http://www.maesaka-toshiyuki.com/war/8581.html

当時、わが政府は、直ちにこれがために清国と葛藤を生ずることを避け、ただ国際公法上の普通の見解による、いわゆる宗国と属国との関係を説明し、清国が朝鮮国を属邦と称しながら、その内政、外交に関与せずというのは、属国であるとの空名を弄して宗主国である責務を回避しているもので、「我が国は朝鮮国を一個独立の国と確認し、一切の責任をその国の政府に負わすべきである」と主張した。

(★ところで、これまで各国が清国政府と外交交渉をする場合、いずれもこの清国と朝鮮の宗主関係と属国支配の関係のダブルスターダード、2枚舌、3枚舌にほんろうされトラブルが絶えなかった。これこそ「中華思想に凝り固まった中国の思考、行動パターンであり、現在、中国の思考、行動パターもいささかの変化もない=以上は前坂筆者の解説)

かつて英公使サー・ハリー・パークス

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B9

が比喩したように

『無底の釣瓶(つるべ)を以て井水をくむが如く、何時もその効なく』

(底のない釣瓶は井戸において、水をくみ上げる際に利用される、綱等を取り付けた桶などの容器)で井戸水を組むように、なんどやっても底ぬけなので水を汲むことはできない、ことをたとえている)

 

日清協議もこの通り、何度話しても、平行線をたどり、言わば水掛け論の形となった。(★中国との交渉はいつもこの通りで、論理的に矛盾した建前論、一方的な中国側の主張を延々と繰り返す。中国が世界の中心であり、自分たちがいつも正しいという唯が独尊的な「中華思想」を千年以上固執している=前坂)

結局、解決できない外交交渉として、公文を日中双方で書き留めた。

そして、明治17年(1884年)の甲申事変

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E7%94%B3%E6%94%BF%E5%A4%89

の翌年、伊藤内閣総理大臣が特派全権大使として清国に派遣され、いわゆる天津条約を締結するまでは、朝鮮に関する日清両国の権利は日清間に何らの約定もなかった。

我(陸奥宗光)はわが明治9年(1876年)の日韓修好条約により朝鮮は一個の独立国なりと主張し、清国は依然として朝鮮は中国の属邦なりと固執し、互いに相譲らなかった。

天津条約は無論、当時朝鮮における日清両国の軍隊衝突の善後策を講じるもので有ったが、これによって清韓宗属の関係を確定すべき明白の条款はなかったが、同条約において日清両国は同時に朝鮮国に駐在する軍隊を撤回すべきことを約定し、

また将来、朝鮮に事変あって日清両国中いずれの一国にでも朝鮮に軍隊を派するときは、互いに行文知照することを定めたのは、とにかく両国が朝鮮に対する均等の権力を示した唯一の明文で、これを除いては朝鮮に対する権力平均につき、日清両国の間に何らの保障も存在しなかった。

この天津条約については、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%B4%A5%E6%9D%A1%E7%B4%84_(1885%E5%B9%B44%E6%9C%88)

我が国において多少の非難を試みた論者もなくはなかった。

とするときは、先ず日本政府に行文知照するという条文を盛り込んだ条約を締結したことは、清国に取っては一大打撃を加えられたものであって、従来、清国が唱えていた属邦論の論理はこれがためにその力を減殺されたことは1点の疑いもない。

つづく

 

 - 戦争報道, 現代史研究 ,

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