『バガボンド』(放浪者、漂泊者、さすらい人)ー永井荷風の散歩好きと野垂れ死考①
2021/05/02
『バガボンド』(放浪者、漂泊者、さすらい人)ー永井荷風の散歩人と野垂れ死考①
『どうしても撮れなかった荷風老 大のジャーナリスト嫌い』の話
前坂 俊之 (カヌーイスト)
Book Offは日本の「出版文化」を完全に殺しましたね。マンガや文庫以外には価値を認めない、これまで普通だった単行本、ブックカバーのある重い本、全集、専門書、黒っぽい古本など一切価値なし、ゼロでしか引き取らない。それも今日バイトで入った若い子がねだん付けして、良書100冊もっていってもわずか300円,500円というのだからまったくトホホのホ・・クレイジーな話だよ。これがチェーン店化して増える一方で、町の本屋さん、古本屋は10年前の半分以下に減っているのではないですかね。
若い人はマンガコーナーにたくさん、アニメ、DVD,ゲームソフトに集まる。あとは100円コーナーをスマホで検索して、アマゾン、ネット古本屋でちえっくして、買い付けしている若い子を見ると、今後の出版文化、ソフト産業の激衰退ぶりを見る思いで、悲しくなる。
そんな Book Offだから、古い単行本は100円コーナーに並んで、時たま掘り出し物があるのが唯一の救い。そんな1冊。アサヒグラフ編集長・新延修三氏の「ぐらふ記者」(有紀書房、1959年刊)の231-237Pをみていると、『奇人・変人・天才エピソ―ド蒐集狂』の私が特に偏愛している永井荷風散人の『どうしても撮れなかった荷風老 大のジャーナリスト嫌い』の話しが紹介されていた。
「こんにちわァ、荷風センセいらっしゃいますか」
私(編集部員)はできるだけさりげない調子で、玄関を開けて声をかけた。殺風景な玄関のタタキに入りこんだ。すぐ、主人のけはいがして、
「だァれ」
と意外に気軽な声とともに、ワイシャツにラクダ色のズボン下姿の老人が顔を出した。まさしく荷風老のおでましである。
「あの‥…・朝日新聞の者ですが」
「え、ああ、今ね、今はいませんよ。出かけたんですよ。留守なんです。いやしませんよ」
急にそわそわし出した荷風先生、たてつづけにこうまくしたてると、たちまち障子の奥へ消えてしまった。

なるほど、これはてごわい。荷風老は大のジャーナリスト嫌いの人間嫌いで、新聞社だなどと名乗りをあげたりしようものなら、金輪際会っでもらえないと、諸先輩からさんざ聞かされて来ただけのことはある。それで予告なしに訪問で、あまりたやすくおでましになったので、つい気を許してそれから先の台詞の用意がなかったので、失敗だった。
身仕度をしかけだったところをみると、間もなく外出するにちがいないから、外で待つことにした。
この仕事、「電話ぎらいの知名人」という告知板である。文学者6人のうち5人は何とか取材とカメラ撮影には成功、残るは最高の大もの荷風老一人。どうあっても荷風老にご登場願わなければ。そこで、朝七時に家を出て、千葉市川市のお宅を急襲したわけだ。
門のわきで待つこと三十分、荷風老が現われた。私と目が合うと、ひっこもうとしたが、また思いなおして、こんどはスタコラ歩き出した。
毎日外出の理由はーーーー
並んで歩き出した私に、先生の方から、「ボクはね、新聞社の人とはつき合わないことにしているんです。雑誌社の人もね」
「はあ、では・その、つき合わないとおっしゃる理由だけでも聞かせていただけませんか」
「とにかく.つき合わないんですよ。ええ、家にいると来ちゃうんです。だから毎日出掛けるんですよ、こうやって」
「お電話ないんですね」
「ああ、用のある人はハガキくれますからね」
「おハガキはたくさん来るんですか」
「あんまり来ませんね。原稿ができたときは、自分でとどけますからね。ボクは社長知ってますよ」
カメラマンは、五、六メートルはなれて後になり先になりして歩いている。 先生は、カメラマンに気づいているのかどうか、少し伏目勝ちにスタコラ歩きつづけている。
いまのうちに撮ってしまえばいいのに、と思いながらも、私はシャッターの音が聞えるのを恐れた。
「今日はおもどりはおそいのですか」
「帰りませんよ。おそくならなきゃね。自分でも何時になるか知りません」
京成電車の菅野駅近くまで来てしまっている
「先生、私どもの車で送らせていただけませんでしょうか。車の中ででも、ちょっとお話をうかがえるとありがたいんですが」
「いいんです。電車があるんですよ」
「ではまた明日参りますが」
「あ、そうですね。明日おいでなさい」
どういうつもりか明日を約束してくれた。
先生は何もなかったように駅前の人ごみの中に消えていった
あくる日、虎屋の菓子折を用意して出掛けた。
今度は庭から入ってみた。声をかけると、今日はもう背広姿になった先生が、障子のかげから顔だけ出して、
「あ、今日も留守です」
「それは困りましたね。あの、これ……」
と菓子折を障子のきわへ差し出す。
「あ、そうですか」
菓子折はするすると障子のかげに入って行った。先生の首まで、いまにもひっこんでしまいそうなので、バラバラした。あまりせっかちに話をすすめるより、ともかくも、少しずつでも電話論をひき出すことだと思いなおして、庭につっ立ったまま、。写真のことはやはりいい出せない。少しはなれた木かげに立っている。
カメラマンに申し訳ないと思いながら・どうにもならなかった。
つづく
関連記事
-
-
日本リーダーパワー史(496)<オバマのアジア歴訪、日米首脳会議の結果はー明治国家の参謀・杉山茂丸の外交力の教訓
日本リーダーパワー史(496) …
-
-
日米の歴史コミュニケーションギャップ・相互理解の難しさ①<ー1860年の日米通商条約から150年目―>
日米の歴史コミュニケーションギャップ・相互理解の難しさ① <ー1860年の日米通 …
-
-
軍神・東郷平八郎の真実
1軍神・東郷平八郎の真実静岡県立大学教授 前坂 俊之1 『タイム』の表紙に掲載さ …
-
-
日本の〝怪物″杉山茂丸(すぎやま・しげまる)(一八六四~一九三五)
1 日本の〝怪物″杉山茂丸(すぎやま・しげまる)(一八六四~一九三五 …
-
-
「トランプ関税と戦う方法」ー「石破首相は伊藤博文の国難突破力を学べ⑧』★『日本の運命を変えた金子堅太郎の英語スピーチ②』★『ハーバード大学クラブで講演、満員の大盛況』★『時間延長して講演、拍手喝采を浴びた』★『「日露戦争は正義のための戦いで日本が滅びても構わぬ」』★『「武士道とは何か」ールーズベルトが知りたい』
1902年(明治37)年四月二十八日、これは私が八年間アメリカにいて、うち最後の …
-
-
『オンライン/東京五輪講座』★『ロンドン五輪(2012)当時の日本のスポーツと政治を考える』★『日本失敗の原因はスポーツ人と政治家の違い。結果がすべて実力のみのスポーツ人に対して、結果責任を問われない政治家、官僚の“無責任天国”なのが大問題!』
2012/10/10 日本リーダーパワー史(333)< …
-
-
『ガラパゴス国家・日本敗戦史』➁『近衛文麿、東條英機の手先をつとめたのは誰か』➁水谷長三郎(日本社会党)の国会演説
1年間連載開始―『ガラパゴス国家・日本敗戦史』➁ なぜ、米軍B …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(54)記事再録/「世界が尊敬した日本人―「司法の正義と人権擁護、冤罪と誤判事件の弁護に 生涯をかけた<史上最高の>正木ひろし弁護士をしのんで』★『「日本は戦前も、戦後もー貫して暗黒なんだね。国民は一度もルネッサンス(人間解放)を経験していない。僕はこの暗黒の社会を照らす〝残置灯″を自負しているのだ。将来の日本人の一つのモデルになればと思っている。いわば僕自身の人生が実験だね」』
2013-11-11 <月刊「公評」(2013年11月号)に掲載> 前 …
-
-
日本リーダーパワー史(791)ー 「日清、日露戦争に勝利」 した明治人のリーダーパワー、 リスク管理 、インテリジェンス➈』●『明治36年4月、日露戦争開戦9ヵ月前にロシア・クロパトキン陸相が日本を敵前視察に乗り込んできた』★『クロパトキンの「日本陸軍秘密研究書」による日本軍の欠点『西欧的機関を表面的しか理解していない、無能な老将校が存在し、部隊長の決断が遅く変化に対応できない』
日本リーダーパワー史(790)ー 「国難日本史の歴史復習問題」 ★「日清、日露 …
-
-
日本の最先端技術「見える化』チャンネル『CEATEC JAPAN 2017』★『muRata(村田製作所)の「チアーリーダー部の応援ロボット」は可愛いいね』★『OKI(沖電気)の交通・防災・製造などの各種ソリューションを紹介』
日本の最先端技術「見える化』チャンネル 「CEATEC JAPAN 2017」( …
