日本リーダーパワー史(974)ー記事再録/『2・26事件で襲撃をうけ九死に一生を得た大日本帝国最後の首相・鈴木貫太郎(82歳)の終戦決断力が『日本を救った』
大日本帝国最後の首相・鈴木貫太郎(82歳)の晩年
《2009/02/10 の記事>
<鈴木貫太郎=慶応三年(一八六七)生、昭和二十三年(一九四八)没。軍人・政治家。侍従長のとき、2・26事件で襲撃をうけ九死に一生を得た。太平洋戦争末期、首相として終戦工作を画策し、ポツダム宣言を受諾。>
昭和十一年(一九三六)に起きた二・二六事件で鈴木貫太郎侍従長官邸は反乱軍兵士たちの襲撃を受けた。兵士たちは、「理由は何だ」と聞く鈴木の胸や心臓付近、頭めがけて四発の銃弾を浴びせた。
「とどめを……」と兵士の一人が叫び銃口を頚部に押しあてたが、「それだけはやめて下さい」と側にいた夫人が必死で懇願して制止した。
指揮していた安藤輝三大尉は「もはや生き返るまい」と思ったのか中止を指示し、血だらけで横たわる仮屍の鈴木に、全員敬礼して引き上げていった。かけつけた医師がすべって転ぶほど部屋は血の海になり、鈴木の心臓、脈も一時的に止まってしまっていたが、奇跡的に一命は取り留めた。夫人の一言で九死に一生を得た分け隔てだが、もしこの時、鈴木が亡くなっておれば、昭和史は決定的に違ったものになっていたことであろう。
それから九年後。この一度死んだ鈴木が大日本帝国の存亡をかけた土壇場に登場する。一億日本民族の運命をかけた最後の瞬間をどう処理するか。
「戦争継続の玉砕か、終戦か」
昭和二十年四月、戦時終戦内閣を組閣する大役が回ってきた。昭和天皇から「耳が聞こえなくてもよい。政治に経験がなくてもよいから」とさとされて、鈴木は七十九歳の老齢でこの大任を引きうけることになった。
この時期、和平や終戦は一切タブーであり、鈴木は和平を深く胸中に秘めて、態度には微塵も出さず「国民よ行け、わが屍を越えて」と訴え、軍を収めることに全精力を集中した。
終戦の聖断を天皇が下すのに鈴木の決断力が大きかった。御前会議で天皇の終戦の聖断を引き出したのは天皇と鈴木の信頼関係によるものであった。
ポツダム宣言受諾の通告は八月十四日午後十一時に連合国に発せられた。十五日正午に天皇の玉音放送による終戦の大詔が出され、内閣は総辞職した。
<7度も転居し、田園に閑居する>
大役を終え鈴木が帰宅した十五日午前四時ごろ、小石川丸山の私邸は兵士ら約百人の暴徒に襲われた。
機関銃が乱射され、私邸も焼き打ちされた。車で裏道を通って逃げたため、暴徒とかち合うことなく危機一髪で難を逃れた。裸一貫、無一文となった鈴木は悪化する治安の中で、暴徒のさらなる襲撃を避けるため住居を三カ月の間に七度も転々と変えた。
二十年十一月、鈴木の故郷だった千葉県関宿から、町民の強い誘いがあり、帰郷して生活を始めていた。
そこに外務大臣となった吉田茂が訪ねてきた。平沼騏一郎枢密院議長が戦犯として逮捕されたため、その後任にとの要請であった。枢密院は天皇の国務を審議するところであり、憲法改正を論議するのも同院の役目であった。
当時、GHQ は天皇の戦争責任、天皇制の存廃を厳しく問う姿勢をみせており、皇室の危機に対して、鈴木は枢密院議長を引き受けた。
今後の政治姿勢について鈴木は「鯉はまな板にのせられてもびくともしない。負けっぶりをよくやってもらいたい」と吉田に注文をつけた。
鈴木は二十一年六月、天皇の身の上に異変がないことを確かめて枢密院議長を辞任した。
以後、再び関宿で一切の公職を離れて、たか夫人とともに静かな生活に戻った。天気のよい日にはモンペ姿に杖を持って、鈴木は田園をよく散歩していたが、日本で最高ポストについていた人とはとても思えぬ温厚な老人となっていた。
深刻な食料不足を何とか解消しようと付近の農民を集めて、知り合いの農業専門家を呼んで勉強会なども開催していた。昭和二十三年になると、体力も落ちて散歩の回数もへり、気持ちのよい日は机に向かって「洗心」と揮毫して、訪ねて来る人にわけていた。
同年三月に入ると先の短いことを悟ったのか、自分と夫人の戒名をいち早く作った。翌月、八十二歳で亡くなった。
<前坂俊之著『日本史有名人の晩年』別冊歴史読本2001 年8 月号より>
関連記事
-
-
「5年ぶりリバイバル公開」/「鎌倉海遊び、あの懐かしき夏の日/鎌倉カヤック釣りバカ日記(6/4)『キスなし、カワハギ爆釣,青い、静かな海で最高に ハッピーな瞬間だよ』
鎌倉カヤック釣りバカ日記(6/4)『キスなし、カワハギ爆釣,青い、静かな海で最高 …
-
-
高杉晋吾レポート(25)ダム災害にさいなまれる紀伊半島⑨殿山ダム裁判の巻②=殿山ダムへの道
高杉晋吾レポート(25) ダム災害にさいなまれる紀伊 …
-
-
記事再録/知的巨人たちの百歳学(142)ー「最後の元老・西園寺公望(90歳)-フランス留学10年の歴代宰相では最高のコスモポリタン、晩年長寿の達人の健康十訓」★『 まあ生きてはいるがね、涙が出る、はなが出る、いくじがなくなって、 これも自然でしかだがない』』
百歳学入門(80) ▼「最後の元老・西園寺公 …
-
-
日本風狂人伝⑬ 日本最初の民主主義者・中江兆民は明治奇人の筆頭
日本風狂人伝⑬ 2009,7,06 日本最初の民主主義者・中 …
-
-
速報(110)『日本のメルトダウン』動画座談会ー『原発メルトスルー』5ヵ月後の日本の政治座談会(7月27日)
速報(110)『日本のメルトダウン』 <毎月動画座談会(3人ジャーナリストの会) …
-
-
終戦70年・日本敗戦史(89)「バターン死の行進」以上の「サンダカン死の行進」ー生存率は0,24% という驚くべき事件①
終戦70年・日本敗戦史(89) 「バターン死の行進」以上の「サンダカン死の行進」 …
-
-
★「冷戦終結のベルリンの壁崩壊から30年、今、再び「新冷戦」の時代へ」
前坂 俊之(ジャーナリスト) &nbs …
-
-
<クイズ>世界一の『プレーボーイ』 は誰じゃー滞仏三十年、使った金五百億、プレーボーイの薩摩治郎八
世界一の『プレーボーイ』 は一体、誰じゃ 滞仏三十年、使った金五百億、プレ …
-
-
『Z世代のための<バカの壁>の秘密講座②』★『杉山茂丸の超人力の秘密「馬鹿(バカ)と阿房(アホウ)の壁」★『約三千人の宮女に家の中で駈けっこをさせたいと「阿房宮」(長さ400キロ)を作ったのが「阿房(あほう)の語源』だよ」
2024/12/03   …
-
-
日露300年戦争(2)-『徳川時代の日露関係 /日露交渉の発端の真相』★『こうしてロシアは千島列島と樺太を侵攻した⑵』
★『こうしてロシアは千島列島と樺太を侵攻した⑵』 その侵攻ぶりを、当時の長崎奉 …
