『第二次世界大戦・国際連合・戦後80年」を考える』★『澤田猛氏の「最後の証言者たちー戦場体験者・戦争体験者からのメッセージ」(高文研 25年8月刊)は戦争ドキュメンタリーの傑作!』★『澤田本は各国の歴史認識ギャップ、コミュニケーションギャップ」を埋めるインパクトのある平和教材、戦争教育歴史遺産になっている』
2025/10/26
逗子なぎさ橋珈琲テラス通信(2025/10/25 /am700)
前坂 俊之(ジャーナリスト)
『今年は戦後80年、<8・15ジャーナリズム>の夏がピークを迎えたが、戦争と平和の熱い戦いが続いている。ロシアによるウクライナ侵攻で始まった「ウクライナ戦争」は3年半が経過した今も停戦和平は実現しtていない。イスラエル・ハマスの「ガザ戦争」も和平合意ができたものの,まだまだ不安定だ。停戦和平を仕切っているトランプ米大統領は『第3次世界大戦は近い」と警告している。
現在の戦争は過去の戦争の延長線上にある。過去の戦争を研究することは現在の戦争の処方箋となる。今年も多くの戦争本が出版されたが、
その中で澤田猛氏の「最後の証言者たちー戦場体験者・戦争体験者からのメッセージ」(高文研 25年8月刊 定価3000円、450頁)に一番心打たれた。これは戦争ドキュメントの傑作ではないかと思う。
澤田氏は1948年12月、東京大森生まれ。1975年毎日新聞社に入社。2008年東京本社社会部編集委員を最後に定年退職。戦争問題を生涯のライクワークにして取り組み、その集大成ともいうべき原稿用紙(400字詰)670枚にも上る大作を完成した。
同氏は毎日新聞社会部記者時代の30歳ごろから、冤罪問題、戦争問題などに特に関心をもって「くにざかいの記録」「黒い肺」(日本ジャーナ会議奨励賞)」「ルソン島―戦場の記録」(岩波ブックレット)「空襲に追われた被害者たちの記録」(同)など多数を出版した。
2000年代から2010年代にかけて「加害者対被害者」「殺す側と殺された側」「生き残った者、遺された者のその後」などを、テーマに身銭を切って国内外を取材、中国(十数回)、台湾(2回)、ニューギニア、フィリピン、マーシャルなどを現地調査した。日ソ両軍が激突したノモンハン事件の現場周辺や援蒋介ルートの一つだった雲南省に日本軍の足跡を追い求めた。その間にも、全国空襲被害者連絡協議会(全国空襲連)の事務局長を務めた人物だ。その点では日本の戦争問題の取材者として最適のジャーナリストの1人であろう。
同書の全25章の目次をみるとだけでも、日中戦争、太平洋戦争などを幅広い角度から、ドキュメントしていることがわかる。
「貫いた新憲法の精神―ある特攻隊員の「戦後」▼「終わりなき闘い―元BC級戦犯の叫び」▼「重慶爆撃の深い傷―被害者は忘れない」▼「遺骨の「戦後」ニユーギニアからの報告」▼「悲しみの空、繰り返させぬ―ある学童疎開世代の「戦後」▼「俺たちは野良犬じやない」―ある戦争孤児の人生 」▼「修羅と餓鬼を生きてーある出陣学徒の戦場詠」▼「明かされた極秘文書-731部隊に送り込まれた兄」▼「忘れられた日本人―フイリビン残留二世」
▼「遠き日の平和島一大森捕虜収容所遺聞」▼「事実を伝え、憎しみは伝えない」一捕虜だった祖父、叔父が語る戦争」▼「消えない戦争トラウマー被害者をさいなむPTSD」 ▼「まだ終わらない「戦後」―問われる戦後責任」など25章の幅広い労作だ。
ベテラン新聞記者らしく長期的な密着取材と総合的で多様なマクロな視点と、細部にこだわるミクロンな視点を丹念に掘り下げて、簡潔な文章でまとめた。澤田氏の問題意識は「果たして戦争体験は次世代にきちんと伝わるのか。体験者は本当のことを語り尽くせるものなのか。聞く側も受け止めきれるものなのか」という点である。
●倉重篤郎氏(元毎日新聞政治部長)の分析と評価
澤田氏の畏友である倉重篤郎氏(元毎日新聞政治部長)は作家の五木寛之氏が自らの戦争体験について「体験は伝わららない。伝えても相手に知識として残るだけ」と述べていると指摘。五木氏の戦争体験の語り継ぐことの難しさに、澤田氏の今回の著作の方法論が有効ではないかー次のように書いている。
「全25章の体験者の話の一つ一つは平面体であっても、その諸相を面に置き換え、組みたてて行けば、証言者の体験が全体として立体化され、より具体的な形で戦争の実相を伝えていくことができる。証言者たちを単に語り部とするのではなく、敗戦後どう生きてきたかにも目を配り焦点を当てて、その戦争体験とその後の人生を最後まで追った点をで奥深い人間ドラマに昇華している」(サンデー毎日)9月14日―21日号=「戦後80年、苛烈な戦争体験と最後の証言者」
倉重氏は25事例について、特に印象に残った章を紹介している。
「元海軍整備兵。瀧本邦慶さん(2018年、97歳で死去)の見た戦場はこうだつた。真珠湾、ミッドウエーの2海戦に参加、機銃掃討を受けたが生き残った。その弾片摘出手術で海軍病院に収容された際に気付いたのは、同海戦の負傷者は食事も入浴も他の病棟と隔離され、大本営発表とは異なる実害について口封じされたことだった。
下士官として新たな配属先・トラック諸島で待っていたのは飢餓との戦いだった。サツマイモを育てたがそれでは足りず、草の葉っぱを海水で煮て食べるため便はいっも緑色の栄養失調で13人いた部下の半数が死んだ。この時、矛盾を感じたのは士官(将校)級には米飯が支給されていたことだ。部下にも備蓄米の放出をと談判した実現せず「戦争だら死ぬのは覚悟の上だが、こういう死なせ方は許せない」と」と抗議し続けて「国にだまされるな」と非戦の語り部に徹した人生だった。」
また[戦場で失った友の生きざま、死にざまを死の床に就く間際まで詠み続けた人だった元日弁連会長・土屋公献さん(09年 86歳で死去)の体験も異色のものだった。それは、小笠原諸島に配属中の時のこと、米軍捕虜処刑を巡り、剣道2段の土屋さんが執行するよう命令を受けていたが、当日になって剣道4段の同期生に役回りが変更され、結果的にBC級戦犯として処刑を免れた。
「捕虜の首をはねた同僚は戦後、戦犯容疑に問われ、捕まる前に郷里で頸動脈を切って自らの命を絶つたが、彼がいなければ私が処刑されていた。私が弁護士の道を選んだのも、むごたらしい戦場で見た体験がもとになっている」と語っている。
この事件がさらに特異だったのは、処刑された捕虜のカニバリズム(人肉食)が米海軍のグアム軍事法廷で裁かれたことだった。この事件については米国のノンフィクション作家や日本の現代史家が書いているが、澤田氏も処刑時の当直将校であった上屋さんに事実確認し、具体的な証言を得ている点が貴重だ。
澤田氏はこう説得して新証言を引き出した。
「私自身は敗戦直後に生まれた団塊世代の一員で戦争を知らない世代ですが、戦争の悲惨さを知る最後の世代と言っていい証言者たちの未来に託した『遺言』をぜひとも書き留めておきたいという一念が執筆する動機でした。今の日本を取り巻く状況は厳しく、キナ臭くもなってきました。だからこそ負の遺産を断ち切ろう苦闘した体験者の声に耳を傾けてほしい」と訴えた。
今、「爆発的な情報量の増加で複雑化する世界」を「鮮明に見える化」するためにジャナリストの役割はより重要になっている。澤田氏の著書の中には『加害者・被害者のパーセプションギャップ』、『各国の歴史認識ギャップ、コミュニケーションギャップ」についての示唆に富むドキュメンタリーが多く、インパクトのある平和教材、戦争教育歴史遺産になっていると思う。
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