前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

★10 これぞ日中韓外交の教科書―英国タイムズ報道の「日清戦争4ヵ月後―『日本と朝鮮―日清戦争の真実』(上)

      2015/01/01

  

 

日中韓外交の教科書―英国タイムズが報道の「日清戦争の真実」①

 

               前坂俊之(ジャーナリスト

 

 

日本の歴史学者の多くが福沢諭吉の『脱亜論』の主張を根拠に、日本の開国の大恩人の福沢に「侵略主義者」のレッテルを張り、中国・韓国はこれを逆手にとって日中韓150年史で今だに日本を加害国として攻撃して、歴史歪曲を繰り返している、日本の国父・伊藤博文だってそうである。

全くバカなことに、日本は政府も外務省チャイナロビーもマスコミも長くこの歴史歪曲をそのまま、見過ごしてきて、中国に未だに「習近平国家主席は安倍首相にあってください」と三拝九拝の朝貢外交を続け、最悪の拉致、人権弾圧国家北朝鮮に対してまでも、「拉致家族の真相を教えてください」と平壌訪問低姿勢外交≪強硬談判外交ではない)のお粗末を繰り返す、あきれ果てた『安倍外交』である。

 

習安倍会談が実現したからと言って、日中間の懸案は解決するのかね。単なるあいさつ外交は無意味なのはいうまでもない

私は「日清戦争までの道」を外国新聞がどう報道してきたのかを、「日中韓150年戦争史」というタイトルでこのブログで連載してきた。

 

その中で、以下の英国『タイムズ』の記事が一番、日中間の外交のねじれからの戦争への発展を正確に分析していると思うので、ここに紹介する。

 

インテリジェンスのない国は滅びていく、日清戦争では「中華思想(尊大主義)に凝り固まった図体だけでかい張子のブタ」と「1000年続く中世の鎖国・無政府主義的な朝鮮王朝」との外交の無駄の連続から最後には堪忍袋の緒をきっての日清戦争だったことを「タイムズ」は見事に解説している。インテリジェンスのない中国、韓国がほろんだ轍を、いま日本はくりかえしている。

望むべきは経済のみの発展ではない、インテリジェンス、戦略のない国に未来はない

 

 

 

1894(明治27)年1126日 英国「タイムズ」掲載

 

 

日清戦争4ヵ月後―『日本と朝鮮―日清戦争の真実』(上)

 

今や中国軍は朝鮮から完全に姿を消した。中国軍が容易に駆逐されたことは,中国は朝鮮を属国として主張しながらも朝鮮を守る資格が全くないという日本の主張の正当性を立証するものだ。

この際.もし西洋の国,たとえばロシアが日本の立場にあったとしたら.中国はもっと頑強に抵抗しただろう,あるいは中国軍を鴨緑江の向こう側に追い払うことはもっと困難だっただろう,と推定することは妥当だろうか?既定の事実を考慮すれば,日本の態度について一般的な説明をすることは容易になる。

 

日本は過去25年にわたり,隣の大国と,それに国境を接するいくつかの小国との奇妙な関係をつぶさに観察してきた。中国がこういった国々を,外国からの影響力の衝撃を和らげる緩衝国として利用しながら最これらの国々がその役割を演ずる際に押つぶされないように守る意志も力もなかったことを,日本は見てきた。トンキン.安南,ビルマ,シャムと緩衝国が次々に減っていき,残るは朝鮮だけになったのだ。

 

 

 北京の政治家はこういった経験から,なんらかの知恵をつけるべきだった。中世の時代でなら中華帝国の威厳により,その変則的な主張にいくらかの実質的価値が与えられたかもしれないが,19世案己においては.そのような空虚なぺてんによって,西洋諸国の侵略を防ぐことはできないということに.中国は気づくべきだった。

 

しかし中国の政治家たちは歴史を実際的な目で読み取ることをしなかった。朝鮮の場合においても,中国は朝鮮を属国とみなすと同時に.諸外国に対し.朝鮮の独立を主張するという茶番劇を演じ続けた。まもなく中国は,その政策に新たな悶着の種をつけ加えた。中国は朝鮮に.諸外国との通商友好条約を結ぶよう勧めたのだ。

その小国が条約締結によって生じる利害関係をめぐる争いの中で.安泰であることを望んでいたのだ。しかし中国は再び自らの経験による教訓を無視した。なぜなら西洋の国との交際を始めた東洋の国は,進歩主義をとるか,それ

とも深刻な混乱状態に直面するかのどちらかになるということを.中国は忘れていたからだ。

依然保守的な中国自身.多くの困難に適ってきたし,その困難から抜け出すたびに甚大な被害を被ってきた。南も北も領土のかなりの部分を削られ,賠償金は絶えず支払わなければならず,宗主権も1つずつ奪われていった。もし領土の保全が維持されるとしたら,それは中国が大きいため.多少の災難には比較的影響されにくいからだ。そのような打撃に耐えるには小さ過ぎる朝鮮も,中国の一方の手で諸外国を紹介され.もう一方の手で昔ながらの停滞の状態に縛りつけられたとき,必然的にそのような目に遭うことになった。

 

 

 中国が.自らの唯一の実質的な進歩的要素である能率的な税関管理を朝鮮に与えたことが,中国の肩を持つために主張されてきた。中国の税関が完全に外国人の手によって管理,運営,組織されていること,またそれに関する中国の唯一の功績は.中国自体の大きな便宜と利益のた.めにそれが存在することを許すという消極的なものであること,そしてそれを朝鮮にまで広めることは,朝鰍こおける対外貿易の開始によって必要であると同時に,小王国の政府にかなりの税収入をもたらし,中国の朝鮮に対する支配を固めることになるため,お互いにとって好都合なことを思うと.それは確かに奇妙な主張だ。しかし,中回が自国では進歩というすさを手に取ることを断固拒んでいる一方で,隣国に開明的な傾向を促すということが論理的に期待できるだろうか。

 

 

中国による属国・朝鮮の干渉制度、朝鮮の腐敗政治と無統制、国民の幸福を無視

 

中国はそのような矛盾の罪は一切犯さなかった。中国の朝鮮における影響力は,保守主義の方向に向けて着実に与えられ続けたのだ。さらに.その影響力は中国のすべての前例を超えた.実質的かつ断固としたやり方で行使された。ソウルに駐在官が置かれ,朝鮮の内外情勢に関する着実な,しかし隠れた干渉の制度が始まった。

 

朝鮮の保守的な政治家は,あらゆる開明的な衝動を抑えるために.中国の外交上の同盟を当てにできること.そして攻撃的な進歩主義勢力を抑えるために中国の武力を当てにできることをすぐに知った。

 

中国は保守政権を脅かす反乱を鎮圧するため,5年の間に2回出兵した。(壬申の変、甲申事件)このような隠れた干渉のもとで,朝鮮の統治者たちはあらゆる意味での国家に対する責任の感覚を失い.自分本位の野心を野放しにしたのだ。貴族階級は.政権獲得をめぐり絶えず陰謀を企てる.相争う派閥の寄せ集めだったが,今や進歩派と保守派の2つの党派に分かれた。

 

進歩派は外国の好意を期待していたが,実質的な援助はなにひとつ得られず,その存在は小さくなってしまった。そして直接あるいは間接的に中国の支持を受けている保守派が政権を独占した。事態はますます悪化していった。司法.行政いずれの職務も,贈賄によってのみ果たされるようになり,一族の利益が国の利益に優先した。課税は地方官吏の貪欲さ以外の規準を持たなくなった。

 

国民の幸福や国の資源の開発には.なんの注意もれなかった。個人の責任というものは官吏の間には存在せず,一族の権勢によってすべての悪弊が守られ,官位の授受もすべて取り仕切られた。

 

                                 つづく

 

 - 戦争報道 , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(5)記事再録/日本国難史にみる『戦略思考の欠落』⑤ 『1888年(明治21)、優勝劣敗の世界に立って、日本は独立を 遂げることが出来るか』―末広鉄腸の『インテリジェンス』① < 各国の興亡は第1は金力の競争、第2は兵力の競争、 第3は勉強力の競争、第4は智識の競争であります>

  2015/11/23  日本リーダー …

『オンライン講座/歴代”宰相の器”とな何か!』★『日本政治リーダーシップの研究』★『日本の近代化の基礎は誰が作ったのか』★『西郷隆盛でも大久保利通でも伊藤博文でもない』★『わしは総理の器ではないとナンバー2に徹した西郷従道』

  日本リーダーパワー史(317)再録  「明治維新は西郷隆 …

日本リーダーパワー史(537)三宅雪嶺の「日英の英雄比較論」―「東郷平八郎とネルソンと山本五十六」

 2015/01/15日本リーダーパワー史(537)記事再録 &nbs …

no image
記事再録/日韓歴史認識ギャップの本人「伊藤博文」について、ドイツ人医師・ベルツの証言『伊藤公の個人的な思い出』

  2010/12/05 の 日本リーダーパワー史(107) …

『オンライン/日本議会政治の父・尾崎咢堂による日本政治史講義①』ー『売り家と唐模様で書く三代目』①<初代が裸一貫、貧乏から苦労して築き上げて残した財産も三代目となると没落して、家を売りだすという国家、企業、個人にも共通する栄枯盛衰の歴史法則

2012/02/23   日本リーダーパワー史(2 …

no image
終戦70年・日本敗戦史(68)大東亜戦争開戦日の「毎日新聞紙面」「東条首相、国民に殉国の覚悟を説くー」

 終戦70年・日本敗戦史(68)  大東亜戦争開戦日の「毎日新聞紙面」 「 東条 …

『日本の外交力の弱さの復習問題』★『日清戦争の旗をふった福沢諭吉の日清講和条約(下関条約)から3週間後の『外交の虚実』(『時事新報』明治28年5月8日付』を読む』★『三国干渉(ロシア、ドイツ、フランス)の強盗外交に日本は赤子の手をひねられるように屈し、臥薪嘗胆する』

   2019/01/31  記事再録/ …

no image
日本リーダーパワー史(926)-『良心と勇気のジャーナリスト桐生悠々の言論抵抗とは逆のケース』★『毎日新聞の「近畿防空演習」社説訂正/言論屈服事件の真相』

  毎日新聞の「近畿防空演習」社説訂正事件 桐生悠々の「関東防空大演習 …

no image
終戦70年・日本敗戦史(136)新渡戸稲造が事務局次長を務めたことのある名誉ある国際連盟理事国を棒に振ってまで死守した「ニセ満州国の実態」とはー東京裁判での溥儀の証言

終戦70年・日本敗戦史(136) <世田谷市民大学2015> 戦後70年  7月 …

オンライン/百歳学入門講座』★『日本歴史上の最長寿、118歳(?)永田徳本の長寿の秘訣は・・豪邁不羈(ごうまいふき)の奇行です』★『会社名・製品名「トクホン」の名は「医聖」永田徳本に由来している』

  2012/03/04  百歳学入門(33)記事再録 前坂 …