前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史(31) 『護法の神』といわれた大審院院長・児島惟謙の晩年は・・

   

日本リーダーパワー史(31)

『護法の神』といわれた児島惟謙の晩年は・・
 
                                    前坂 俊之
                                   (静岡県立大学名誉教授)
 
 
大審院長(現在の最高裁判所長官)・児島惟謙は1891(明治24)年5月11日、滋賀県大津で津田三蔵巡査がロシア皇太子ニコラス2世に日本刀で切りつけた、いわゆる大津事件で「皇室に対する罪(不敬罪)」で死刑を適用しようとした政府の圧力をはねのけて「司法権の独立」(三権分立)を守り通した「護法の神」と伝えられている。

児玉は五十五歳で大審院院長になったが、その1週間の後に明治を震撼させた大津事件が起こった。
 
「大国ロシアの復讐」を恐れた松方正義内閣は、津田巡査を極刑にして恭順の意をあらわすべく「日本の皇室に対する罪を拡大解釈して死刑に処する」ことに決定した。

これに対し、「外国の皇族なので、一般の殺人罪しか適用できない」と法の精神を守る児玉や司法部と正面から対立、松方は「国家が存在して初めて法律も存在する。その逆ではない」と政治優先を主張して、戒厳令を敷いても極刑にすると、各大臣ともども執拗な圧力をかけ続けた。

 
児島は「司法への介入は,法治国家の原則を崩す」とあらゆる圧迫を拒否した。5月27日、大審院は殺人未遂罪により無期懲役の判決を下し「「司法権の独立」を守ったが、児玉の「護法の神」説にはいくつかの疑問が出ている。
 
① 児島院長は同事件担当外なのに、担当判事を個別に呼んで自説に賛成するように執拗に説得したが、これは裁判官の独立を侵す裁判干渉そのものではないか。
 
② 児島院長は検事総長との連名で、「皇室罪」の適用は無理なので、緊急勅令を発することを司法大臣に進言し、司法を無視した行動をとっているーなどで、“児島伝説”の虚像、矛盾が明らかになっている。
 
大津事件から約1年後、児島院長は一大スキャンダルに巻き込まれて失脚する。児島ら7人の大審院判事が花札賭博をしていたという「司法官弄花事件」が発覚した。大津事件での政府、司法部内反児島派からの報復、しっぺ返しであった。児島は単なる遊びとして花合わせをしたもので、金銭のやりとりのある賭博ではないと弁明したが、司法大臣らから再三辞任を要求され、懲戒裁判にかけられた。
 
1892年(明治25)7月、大審院懲戒裁判所は「金銭の証拠はない」と免訴(無罪)を言い渡し、児島の主張がみとめられたが、児島は翌月末に辞任した。天下にその名をとどろかせた児島だが、大審院長の在任期間はわずか1年3ヵ月間に終わった。当時、大審院院長には定年はなく何歳まででもやろうと思えばできたが、大津事件の仇を討たれたのである。

以後、児島は貴族院議員、衆議院議員に転進する。明治27年5月には貴族院議員になり、1898年(明治31)、62歳で衆議院議員に当選、明治35年(1902)まで務めて、38年12月 再び貴族院議員になった。

この間、通算11年以上にわたって帝国議会議員を務めた計算だ。児島の晩年にあたる議員時代が長期にわたったものにもかわらず、よく知られてないのは、議員活動が活発でなかったためである。
 

本会議、委員会でも合計で10回ほどしか質問、発言をしていないが、それも重要な内容ではない。
 
明治31年7月、司法改革にからんで児島によって書かれたという「忠言書」が出され、あの「護法の神」からの司法への爆弾として騒ぎとなった。しかし、この文書が本人の手によるものかどうかは疑問視されている。20銀行の頭取にも就任。1908年(明治41)7月、71歳でなくなった。

 - 人物研究 , , , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日本リーダーパワー史(973)ー『イチロー引退』★『日本最高のプロフェッショナル』★『「イチローに最大の敬意を払う。彼の球界における国際的なインパクトは殿堂入りで締めくくられるだろう。常にプロフェッショナルで、常に素晴らしい。引退後の人生が素晴らしいものになりますように」』★ <イチロー記事一覧>

日本リーダーパワー史(973)ー 引退イチローにMLB各球団が惜別投稿「素晴らし …

no image
日本リーダーパワー史(162)国難リテラシー⑩最後の首相・鈴木貫太郎の突破力ー『まな板の鯉になれ』

日本リーダーパワー史(162)   国難リテラシー⑩最後の首相・鈴木貫 …

no image
100周年を迎えたシャープは存亡の危機にたつー創業者・早川徳次の逆境・逆転・成功人生に帰れ「ピンチの後はチャンスが来る」

シャープ創業者・早川徳次の逆境・逆転・成功人生             …

no image
日本リーダーパワー史(151)国難リテラシー⑧元老・西園寺公望、『護憲の神様』・尾崎行雄は敗戦にどう行動したか

 日本リーダーパワー史(151)   国難リテラシー⑧元老・西園寺公望 …

no image
日本リーダーパワー史(120) 明治の2大国家参謀とは誰でしょうか!?・驚くなかれ、杉山茂丸と秋山定輔だね

日本リーダーパワー史(120)  明治の2大国家参謀とは誰か・杉山茂丸 …

『Z世代のための米大統領選連続講座⑯』★『当選のカギを握る米人気歌手テイラー・スウィフトさんがハリス氏投票を明言。ハリス氏当選の可能性高まる!』

ジャーナリスト(静岡県立大学名誉教授) 前坂 俊之 ●米大統領選討論会後の米メデ …

★『巣ごもり動画用(30分)に「75歳記念」鎌倉長寿カヤックフィッシング(2018/4/19)をプレゼントするよ!』★『百歳めざせ」-「筋トレ貯金1万回」-「深呼吸千回で仙人」ー「ゴミ箱のストレスクリーンアップ」★『ハッピーバッテリ100%充電!』

  「75歳記念」鎌倉長寿カヤックフィッシング(4/19)ー「百歳めざ …

no image
日本の「戦略思想不在の歴史⑾」『高杉晋作の大胆力、突破力③』★『「およそ英雄というものは、変なき時は、非人乞食となってかくれ、変ある時に及んで、竜のごとくに振舞わねばならない」』★『自分どもは、とかく平生、つまらぬことに、何の気もなく困ったという癖がある、あれはよろしくない、いかなる難局に処しても、必ず、窮すれば通ずで、どうにかなるもんだ。困るなどということはあるものでない』

  「弱ったな、拙者は、人の師たる器ではない」   「それならいたし方ござりませ …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(160)記事再録/『北清事変(義和団の乱)で見せた日本軍のモラルの高さ、柴五郎の活躍が 『日英同盟』締結のきっかけになった』★『柴五郎小伝(続対支回顧録、1941年刊)』

    2018/08/15  増補版/ …

no image
日本リーダーパワー史(209)ー太平洋戦争敗戦時の畑俊六陸相(A級戦犯)の「国民に詫びる」

日本リーダーパワー史(209)     <政治家・官僚・リー …