<クイズ『坂の上の雲』>明治陸軍の空前絶後の名将・川上操六論④とは・友人徳富蘇峰による・・
2015/02/16
しかしそのタイプの人は必ずしも堂々たるものではなく、時としては普通以下の小男もたまたま見受くることがある。例えば野津元帥の如きがそれである。中井桜洲山人(なかいおうしゆうさんじん)の如きもまたそれである。大浦兼武子、伊瀬知好成(いぜちよしなり)男の如きもそれである。川上大将もいずれかといえばそのタイプであった。
当時の内閣は、和戦いずれとも決せず、川上参謀次長は、内閣を引摺らて、是非とも戦争まで持って行こうというつもりであったらしく、そのためわれらにも少からざる良き種を供給した。従って川上大将によって、予は当時の参謀本部の有用なる人物に紹介せられた。土屋光春、福島安正、東条英教などというような人々も、その機会に知ったのであった。そのはか、他日は大将になった連中が、大尉や、中尉でいた者もすくなくなかったが、それらの人々とも、いつの間にか友人となった。
思い遣り深さ川上
川上大将は頗る思い遣りの深き男であった。故上遠野富之助君は、東京で新聞記者をしているうちに、しばしば川上大将を訪うて、種をとっていた。しかるに君は実業家となって名古屋に赴いた。明治二十七年九月十三日、天皇陛下が大本営を広島に移し給う時に、名古屋に御1泊遊ばされ、当時名古屋の官民は、いずれもこれを奉迎した。しかるに川上大将は、その奉迎の人々の中から、上遠野君を見出し、わざわざその近くに立寄って、挨拶をなし、久闊の情を述べた。
これがために上遠野君が如何にその面目を名古屋人士の間に施したか。あるいはこれによって君が名古屋に於ける位置は、一層高くなったということができなければ、若干確実になったことは、間違いあるまい。かかる例はいくらもある。彼は実にかゆいところに手が届く男であった。
また当時、国民新聞記者として、久保田米倦(べいせん)画伯が、朝鮮に赴き、平襲陥落の後、広島に来るや、川上大将の紹介によって、愈々大本営に赴き、御前揮竜をなすことができた。而してそれができた後には、大将はわざわざ米債画伯を招き、さらに祝宴を挙げた。かくの如く、苛も1芸1能ある者は、悉く彼より認識せられたが、特に彼に感心すべきは、1芸1能なき老までも、苛も彼に近付く者は決してこれを粗末にしなかった。
およそ川上大将の家になんらかの用事を持って行く、車夫、別当の輩でも、空手で帰ったことがないというほど、大将ほ細かいところにもよく気をつけていた。しかし細かいことに気のつく人は、大きいことには気がつかぬが、そうではなく、大将はよく大体の方針を定め、それに向って人物を簡抜し、各々適材を適所に用いてその用をなきしむることに於ては、恐らくは他にその比類少かったであろう。
とにかく何人も彼の下につくものは、喜んでその仕事をなし、自ら労して、その労を忘れしむるほどであった。彼はまた薩摩人としては珍しく、金銭に淡泊であった。され彼は日清戦争は、恐らくはなんらの貯蓄などというものはなかったであろう。日清戦役に大功を奏し、一躍金鵄勲章二級を賜い、子爵を授けられ、少からざる恩寵を悉くし、ようやく一人前の将官らしき生活ができたが、それでも死する時は余財豊もなかったということだ。
関連記事
-
-
「Z世代のための日本最強リーダーパワーの勝海舟(75)の研究③』★『勝海舟の西郷隆盛バカ話はメチャおもしろい』★『ガザ戦争(死者3万5千人)フランス革命(約2百万人)、米南北戦争(61万人)と比べて、最も少ない明治維新(約7千人)の立役者は西郷隆盛と敗軍の将・勝海舟』★『明治維新は世界にも例のないほどの「話し合いによる民主的、平和革命」だった』
現在進行形のイスラエル対ハマスの「ガザ戦争」の死傷者数は5月13日 …
-
-
記事再録/『幕末明治の歴史復習重要問題』明治維新150年の近代日本興亡史は『外交連続失敗の歴史』でもある。
2016年10月28日/ 日本リーダーパワー必読史(742) 明治維新 …
-
-
リモートワーク/鎌倉カヤック釣りバカ日記(2020/5/27/730)–魚クンが遊びに来ないときは、まき餌をしながら浮雲と波のデザインを楽しむ、そのうち「ドーン」とさかなクンが遊びに来るよ』★『逗子マリーナ沖で大カワハギ(28センチ)、大サバを連発、6月のベストシーズンへ』
リモートワーク/鎌倉カヤック釣りバカ日記(2020/5/27/730)̵ …
-
-
『棺を蓋うて』ー冤罪救済に晩年を捧げた正木ひろし弁護士を訪ねて』★『世界が尊敬した日本人―「司法殺人(権力悪)との戦いに生涯をかけた正木ひろし弁護士の超闘伝12回連載一挙公開」』
『棺を蓋うて』ー冤罪救済に晩年を捧げた正木ひろし弁護士を訪ねて 前 …
-
-
日本リーダーパワー史(979)ー『トランプ米大統領は5月25日夕、令和初の国賓として来日した』★『140年前、日本初の国賓として来日したグラント将軍(前米大統領)が明治天皇にアドバイスした内容は・(上)』
トランプ米大統領は5月25日夕、令和初の国賓として来日した。 26日には千葉で安 …
-
-
『リーダーシップの日本近現代興亡史』(227)/『日米戦争の敗北を予言した反軍大佐/水野広徳(下)』-『その後半生は軍事評論家、ジャーナリストとして「日米戦わば、日本は必ず敗れる」と日米非戦論を主張、軍縮を、軍部大臣開放論を唱えるた』★『太平洋戦争中は執筆禁止、疎開、1945年10月に71歳で死亡』★『世にこびず人におもねらず、我は、わが正しと思ふ道を歩まん』
2018/08/20 /日米戦争の敗北を予言した反軍大佐、ジャーナリ …
-
-
『オンライン/ウクライナ戦争講座⑩』★『ウクライナ戦争勃発―第3次世界「見える化」SNS大戦へ(下)』★『チャップリンの「独裁者」とプーチン] 』★『ウクライナ戦争―ロシアは国家破産!』★『ロシアの戦費は1日200億ドル(2兆3千億円)』
『オンライン/ウクライナ戦争講座⑩』(下) チャップリンの「独裁者」とプーチン …
-
-
『バガボンド』ー永井荷風のシングルライフの最期 ④乞食小屋同然の自宅タタミの上で孤独死しているのを発見(81歳)
『バガボンド』(放浪者、漂泊者、さすらい人)ー永井荷風のシングルラ …
-
-
日本リーダーパワー史(786)「国難日本史の復習問題」 「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー、リスク管理 、インテリジェンス③』★『日本史の決定的瞬間』★『京都「無隣庵」での伊藤、山県、桂、小村の4巨頭に児玉、杉山の6者秘密会談で『日露戦争も辞せず』と決定した』●『小村外相のロシアの巨熊を生け捕る方法とは・・』
日本リーダーパワー史(786) 「国難日本史の復習問題」 「日清、日露戦争に勝 …
-
-
日中北朝鮮150年戦争史(44)『来年(2017)はアジア大乱、日米中の衝突はあるか」●『120年前の日清戦争の真相ー張り子トラの中国軍の虚像を暴露』(上)
日中北朝鮮150年戦争史(44) 宮古沖で日本を挑発する中国の狙いは「日中開 …