最高に面白く、やがて悲しくなる人物史⑪『日本風狂人伝⑦ ー アル中、愚痴の小説家の葛西善蔵』
・日本風狂人伝⑦
アル中、愚痴の小説家・葛西善蔵
前坂 俊之
(かさい・ぜんぞう / 一八八七~一九二八)作家。大正七年『哀しき父』『子をつれて』で文壇にデビュー。破滅型の私小説作家として貧困と病苦を酒で紛らわせながら、『遁走』『不能者』『湖畔手記』などを発表、滅びゆく姿を書きつづった。
私小説『子をつれて』などの作品で知られる葛西善蔵は、明治、大正を通じて〝酒仙作家〟の名をほしいままにした。文名が高まって以来、思うように書けない苦しさを酒で紛らわせる以外になく、完全なアルコール中毒になってしまった。いわば〝アル中文学″であった。
中毒症状が現れたのは1922年(大正十一)、二年頃で、晩年は酒びたり。毎日一升(一・八リットル)以上も飲んでいた。手がひどく震えて、自分で筆をとることができず、小説を執筆中も酒を飲み、編集者相手に何日もかかって口述筆記をしてやっと、それも短編を仕上げた。
口述がうまくいかないと、逆上して夫人に殴る、蹴るの暴力を振るった。二枚も原稿が進むと、スッカリ有頂天となり、真っ裸になって狭い部屋の中を、四つん這いでワンワンはえながら、這いずり回って喜んだ、という。

「こうして足を上げて小便するのがおとこ犬、お尻を地につけて、小便するのがおんな犬です」とふざけると、父親は、「おまえがいいかげんバカだとは知っていたが、それほどバカとは思わなかった」と呆れかえった。
ある友人が健康を害して、酒をやめるという話を開いた葛西は「酒をやめるなんて了見はケシカラン」とカンカンに怒った。
「酒をやめるなんていけない。体を悪くするのは、自分が悪いからで、決して酒に罪があるのじゃない。ぼくなんか、酒をやめるなんてせんえつなことは、夢にも考えたことはないですな。酒をやめるなんて、思い上がった気持ちは絶対にいけません。ぼくなんか、もし酒で、腹を壊すようなことがあると『わしが悪かったのだ。許してくれ。おまえに罪があるのじゃないんだから……』と腹をさすりながら謝るんです。すると、大変気持ちがよくなる」
作家・牧野信一の印象談話の取材に訪れた編集者の訪問記によると-。
葛西宅の格子戸のガラスは破れ、新聞紙を差し込んでいる。居間の夕タミは縁がはがれ、フスマの半分はビリビリに裂かれているというひどさ。部屋には机だけがポツンとあった。
初対面なのに、すぐ徳利と酒杯が出た。
「まあ、少し酔ってから話すよ、もう少し待って……」と手が震えていた。
三時間たって、すでに徳利は何本も空になった。
「牧野のことか、困ったなァ、広津や宇野のことなら、困ったなァ……」と言いながら、
「もう少し酔ったら、大丈夫話すよ」とロレツが回らない。
「じゃ、題だけでも『牧野君のこと一、二……』」と言いながら、便所に立ったが、よろめいて倒れそうになった。すでに五時間。
帰ってきた葛西は「君、腹は空いていないか、ソバでもとろうか、ぼくは酒を飲んでいるからいいが……」「話は三、四時間はかかるよ」
外はすでに暗くなっていた。

話は三時間かかり、筆記した原稿がやっと四枚できた。「意味は通るか……原稿になっているか。大丈夫か……。何枚書いたか……」と何度か、葛西は念を押した。
結局、わずかな談話原稿に計八時間かかり、葛西は酔ってぶっ倒れてしまい、編集者もクタクタになった。
ある年、葛西が書いた原稿枚数はわずか七七枚であった。これでは家賃さえ払えぬ貧乏暮らしから抜け出せるわけがない。口述筆記によって何とか原稿になったのは、いわば出版社のお情けであり、葛西は「酒の神様のおかげ」と感謝していた。
葛西自身が酒を飲んでの口述筆記について解説している。
「シラフで相手の顔を眺めながらでは、到底、口述などできるものではない。で、ぼくは宵から飲み始めて、もうどんなことも気兼ねしない程度に酔いきった時分、始めるのである。筆記させられる記者こそ、まったく堪らない。
口述中のぼくは、ドロ靴をはいて、廊下をドシドシ踏み歩きながらドナるのだ。壁一重の隣家からまた始まった』という声をよく開いた」
あまりのひどい騒音と、酔った大声に近所の人たちが家主に言いつけて、葛西は追い出しをくらってしまった。
菊池寛はそうした自虐的な葛西の文学をまったく認めず、その作品を毎回、コテンパンにやっつけた。葛西の代表作『子をつれて』が島崎藤村の『破戒』と並んで、自然主義文学の傑作と賞讃された時、菊池はこう言った。
「あいつは馬鹿だよ。何の権利があって妻子を苦しめるんだ。ミレーだったかね。芸術家たる前に人間になれって。あんな芸術家は人間じゃないよ。生活があってはじめて作品があるんだ。生活第一だよ」
菊池や文壇から〝愚痴の文学・愚痴の大将″と許された葛西はヤケ酒の量を増やした。特に、菊池が葛西の小説を創作と認めず、雑文と評すると、葛西はヤケのヤンパテでこう言った。
「ぼくの小説が全部、酒飲みのタダだと言われても、それもいいじゃないか。酒を飲めばクダが本音、飲まねばグチが本音。その間にちょいちょいと、イヤ味カラ味をみせたのがおれの自伝小説さ」、ヒッヒッヒ-。
一九二八(昭和三)年七月二三日、酒に溺れて重症のアル中となった葛西は、喀血して四一歳の若さで急死した。
死の二日前。新聞に「絶望の葛西善蔵氏」という見出しの記事が掲載された。病床でこの記事を繰り返し読んだ葛西は、
「割合よく書いてあるね」とはめた。
作家の広津和郎(一八九一~一九六八)と葛西善蔵は親友だったが、葛西は何度か広津に不義理をして、晩年には絶交を言い渡された。葛西が死を迎えた時、枕元を訪ねた広津に対して、葛西は、
「おれはもう死ぬ。これまでの不義理を許してくれ」と謝った。
広津は「私は許さない。人間は誰でも死ぬよ」きっぱりと断った。
いよいよ危篤状態になり、酸素吸入を当てられると、葛西は拒否して、酒を飲ませてくれと言った。友人たちが仕方なく、吸い飲みに酒を入れて飲ませ、もう味もわかるまいと思っていると、「爛がぬるい」と言って、周りを驚かせた。
それから、「いよいよ、臨終だ。死の床を飾るんだ」と飲み始め、三本の徳利をあけたところで、こときれた。最期の言葉は「切符、切符」であった。郷里へ帰りたい気持ちを捨てきれなかったのである。
近所の酒屋には酒代のツケがたくさんたまっていた。この主人は葛西に酒の不自由はいっさいさせず、葛西のツケは現在の金で数百万円にのぼっていた、という。
関連記事
-
-
『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ ウオッチ(231)』-『懐かしのエルサレムを訪問、旧市街のキリスト教徒垂涎の巡礼地、聖墳墓教会にお参りす』★『キリスト絶命のゴルゴダの丘跡地に設けられた教会内部と褥』
『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ ウオッチ(231)』 ・ …
-
-
『池田知隆の原発事故ウオッチ⑳』◎「地熱発電」の開発を急げ―地熱資源立国にむけた規制緩和を―
『池田知隆の原発事故ウオッチ⑳』 『最悪のシナリオから考えるー「地 …
-
-
日本リーダーパワー史(325)「尖閣問題の歴史基礎知識」日中、台湾、沖縄(琉球)の領土紛争の底にある『中華思想』と台湾出兵
日本リーダーパワー史(325) よくわかる「尖閣問題の歴史基礎知識 …
-
-
「Z世代のためのウクライナ戦争講座」★「ウクライナ戦争は120年前の日露戦争と全く同じというニュース②」『日露戦争の原因となった満州・韓国をめぐる外交交渉決裂』●『米ニューヨークタイムズ(1903年4月26日 付)「ロシアの違約、日本は進歩の闘士』★『ロシアの背信性、破廉恥さは文明国中でも類を見ない。誠意、信義に関してロシアの評判は最悪だから,これが大国でなく一個人であれば,誰も付き合わないだろう』
2016/12/24   …
-
-
日本リーダーパワー史(408) 『東京五輪決定。安倍首相のリーダーシップの勝利⑤ 『今後の短期国家戦略プログラムを実現』
日本リーダーパワー史(408) 『東京五輪決定。安倍首相のリーダーシ …
-
-
「司法殺人と戦かった正木ひろし弁護士超闘伝⑩」「八海事件の真犯人は出所後に誤判を自ら証明した(中)」
◎「世界が尊敬した日本人―「司法殺人(権力悪)との戦い …
-
-
日本メルトダウン脱出法(690)「安倍政権に欠けている“サイバー安全保障”」「中国の独裁主義による発展は間違いなく脆いインドの民主主義が中国に勝る理由」
日本メルトダウン脱出法(690) 安倍政権に欠けている“サ …
- PREV
- 知的巨人の百歳学(150)人気記事再録/百歳学入門(59)三井物産初代社長、『千利休以来の大茶人』益田 孝(90歳)『「鈍翁」となって、鋭く生きて早死により,鈍根で長生き』★『人間は歩くのが何よりよい。金のかからぬいちばんの健康法』★『 一日に一里半(6キロ)ぐらいは必ず歩く』★『長生きするには、御馳走を敵と思わなければならぬ』★『物事にアクセクせず、常に平静を保ち、何事にもニブイぐらいに心がけよ、つまりは「鈍」で行け。』
- NEXT
- 知的巨人の百歳学(151)人気記事再録/日本経営巨人伝⑤・伊庭貞剛(79歳)ー明治期の住友財閥の礎・住友精神を作った経営者』★『明治33年(1900)1月、伊庭は総理事へ昇任したが、この時、「四つの縛りつけ」を厳重に戒めた。 ① しきたりとか、先例に従えといって、部下のやる気に水を差すな ② 自分が無視されたといって、部下の出足を引っ張るな。才能のない上役ほど部下がいい仕事をすると、逆に足を引っ張ったりする ③ 何事も疑いの目で部下を見て、部下の挑戦欲を縛りつけるな ④ くどくど注意して、部下のやる気をくじくな。