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日本リーダーパワー史(79) 辛亥革命百年(16 ) 康有為、梁啓超らの来朝と犬養毅の協力

   

日本リーダーパワー史(79)
辛亥革命百年(16)康有為、梁啓超らの来朝と犬養毅の協力
前坂 俊之(ジャーナリスト)
 
●康有為・梁啓超らの来朝
 
隣国・支那革命派との直接関係はかくして結ばれたが、孫文が来朝した翌明治31年9月、保皇派の康有為、梁啓超らもまた難をのがれて相次いで来朝した。 
 
当時、支那にあって盛んに活動しつつあった犬養木堂配下の宮崎滔天、平山万里らは、つとに人を介して康、染等と相識り、彼等が難を我国に避けんとする意あるのを知りて、これを木堂に通じ、あらかじめその諒解を得ていたのである。梁は平山にともなわれて先づ東京に入り、康は宮崎と共に数日遅れて入京した。
 
 是よりさき康有為の高弟徐勤は、横浜に大同学校を興して、木堂を名誉校長に推し、支那居留民の教育に従事し、兼ねて祖国の改革を志ざしていたが、康、梁らの来朝後、東京牛込にも同趣意の高等大同学校を創立し、木堂配下の柏原文太郎(号、東畝)が主としてその事にあたった。
 
 柏原はその前後の事情に関して左の如く語っている。
 
  「康有為、梁啓超が最初にはいった家は牛込加賀町の府立四中のある近所でした。その所は、大山暢三がはいっていた家でしたが、それを大内から譲られたものです。
梁はその後、犬養さんの直ぐ裏のところに変わった。(註、常時本堂の家は牛込直馬場下にあった)
 
さうしているうちに、康有為の方では、自分の門人もいるし、染啓超の門人も湖南から大分来ているから、学校をもう一つ造りたいというので、牛込五軒町に高等大同学校というのをつくった。
広東と湖南の人間だけでしたが、その学校からはなかなか偉いのがでています。祭鍔、氾源廉、江兆銘その他にもありました、これ等はみな学生だったのです。
 
 ところが、一番困ると思ったのは、孫文と庚との間で、犬養さんは何としてもこれは一緒にやらなければならぬという意見ですが、その調和がむつかしい。
 
というのはその頃の横浜の孫文の方の仲間は、殆んどゴロツキのような手合いが多い、康の方は学者、紳士といふ風だからどうも肌合が合はない。
 
孫文の話をすると「孫文は悪い男ではないけれども、あまりにも無学で、言って聴かせても分らない」と庚は言うし、孫文に言わせると「あんな腐儒は駄目だ」と言う風で、どちらも会おうと言はない。
 
●犬養の世話
 
 そのうちに、庚は日本の政府の待遇に不満を感じたらしく「私はあなたの国のお世話になりに来たが、別に御迷惑になるようなことはしません、しかし、もし日本に居って悪いようなら英国へでも行こうと思うがどうだらう」と云ひだした。
 
「それは困る、日本へ来た以上は、日本に依って救われるのが当然だ」と答へて置いて、早速、犬養さんへ相談すると、「そんな馬鹿なことがあるか」と言われて、犬養さんが万事、引受けてくれることになったむで暫く留まることになったのです。
 
 
横浜の大同学校は、康有為が来てから一時なかなか盛んでした。
 
 孫文と康とは、遂に握手するに至らなかった。そして孫文が先づ日本を去った(明治31年夏)、康ももまた、近衛篤麿等の勧告に依って翌32年1月、カナダに向って出発した。
 
 康有為は、碩学を以て知られ、その広東における萬木草堂には、一時、英才雲の如く集ったものであるが、木堂と交って以來、深く相許し、「木堂は日本馬康有為なら、吾は支那の木堂なり」などと称した。
 
 
 
 
 
 

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