前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本天才奇人伝①「国会開設、議会主義の理論を紹介した日本最初の民主主義者・中江兆民ハチャメチャ人生とジョーク①

      2015/03/20


日本天才奇人伝①「国会開設、議会主義の理論を
紹介した日本最初の民主主義者・中江兆民―
その
ハチャメチャ人生とジョーク①

前坂 俊之(ジャーナリスト)
「東洋のルソー」自由民権運動の元祖はヌーディスト、セクハラ男
中江兆民は1847年生まれなので、明治維新の時で21歳。幕末維新の頃はフランス語の勉強。1865年に土佐藩から長崎に派遣されて平井義十郎からフランス語を学んだ。1867年には江戸に行き、江戸のフランス学の大御所、村上英俊の達理堂に入門したものの、遊郭遊びで破門され、横浜のカトリック神父にフランス語を教わる。このころ、フランス公使の通訳となって関西を旅行。1871年に政府が欧米に派遣した岩倉使節団に加わりました。期間は2年5ヶ月でしたが、アメリカ周りのためフランスまで時間がかかり、リヨンで7ヶ月、パリで1年間、フランスで過ごした。

リヨンではフランス語を学ぶために小学校に入ったが、児童が騒がしいで勉強できず、

家庭教師に切り替えてフランス語とその政治、思想を勉強した。

ルソーの『民約論』を翻訳し、フランス、西欧思想を日本にもたらしたため「東洋のルソー」といわれ、自由民権運動の代表的思想家となった。中江兆民は「明治三奇人」の筆頭で酒にまつわる奇行が特に多く、岩崎徂堂著『中江兆民奇行談』(明治34年)という抱腹絶倒本まであるほどだ。
 

その中から、兆民のキンタマ話しを1つ。
明治の大天才は酔ってはハチャメチャの乱痴気騒ぎの無礼講
 兆民は酔うと、ハダカになるクセがあった。兆民が役人だった頃、華族令嬢と結婚することになり、花嫁が輿入れした。
 ところが、兆民はすっかり酔っていた。

兆民はフンドシをとって真っ裸になり、キンタマを手で大きく広げて、「今は冬なのに、オレは一文なしで、花嫁にやるものがない。
ただ一つ、ここにキンタマ火鉢があるから、これをやろう」と差し出した。花嫁が真っ赤になり、目をシロクロさせていると、友人の一人が、
「火の気のない火鉢では仕方あるまい。これを置いて花嫁にゴチソウしろ」と真っ赤に焼けた炭火をキンタマの上にのせたからたまらない。
「アチッ」と兆民が飛び上がって逃げ出し、縁談はこわれてしまった。

 

 読むほうが赤面する内容だが、当時の男どもは酔うとハダカ踊りをしたり、アソコの長さを芸者に測らせたりするセクハラ遊びが流行っていた。
 しかも兆民は長酒のタイプで、芸者もそのうち飽きて、少し離れたところで三、四人が火鉢を囲んでしゃべっていると、後ろから近づいた兆民は、いきなり火鉢の中に小便をジヤジャー。灰神楽が舞い上がり、芸者融「キャー、キャー」と悲鳴を上げて逃げ回わるのを尻目に、兆民は役者よろしく、見得を切ってふざけた。
これが、以下の岩崎徂堂著『中江兆民奇行談』(明治34年)の原文では「兆民と花嫁」と題して、
次のようになっている。(文章の一部は現代文にあらためた)
 
 兆民が文部省に勤めていたときのことだが、親友のせわで、ある華族の令嬢を嫁にもらうことになった。
その令嬢というのは妙齢16歳の春を迎え、小野小町をおもわせる細腰の美人で経済家政の道から裁縫遊芸にいたるまで
、何も知らないものはないとった才媛でもあった。
だから、どんな男性でも、この令嬢が美顔をみると、天にとびあがるほど喜んで、久米の仙人もまた転がり落ちんばかりであった。
ところがこの令嬢をもらうというご本人の兆民先生、大喜びであろうと思いのほか、一向にありがたがるようすもなく、地蔵の顔を蚊がさしたほども感じない。そのわけというは、兆民先生には大志があり早婚は出世の妨であると悟っていたからだ。
しかし、友人がせっかくの素晴らしい縁談なのであるから、その好意を無にするも気の毒と、華燭の盛典をあげようとした。
そこ友人連は兆民の平常の奇行を心配して、結婚式でその奇行をやらかした日には大変と、「どうかおとしくすましてくれよ」と頼んだ。
兆民先生はただ「ハイハイ」とそのとおり承知をしたので、いよいよ当日友人といっしょにある料亭で花嫁の来るのを待つことになった。
そのうち酒がでる、サカナが運ばれると、たちまちその本性を現わして、端唄、どどいつ、甚句もやれば詩吟もはじまるという騒ぎになった。ところへ女中が取り次いで、ただいまお嫁さんがおいでになった、と告げる。
すると一同、いや、待ってましたし、篤介(兆民の本名)、お楽しみ、なぞと酔いに乗じて君をはやしたてる。
兆民は、ムッとしたが、もって生まれた不挽豪放、千鳥の足をよろめかせ自身たって「花婿様がお出迎えしょう」と玄関へやってきて、令嬢をひっはって座敷に着かせ、杯をとりかわして平気にすましている。
こちらは令嬢、両の頬をまっ赤にして恥ずかしがっている。すると篤介、しゃがんだかと思うとおのれがふんどしを引きはずし、股間に垂れ下がっているところのきんたまの、その大きさというたら巾着(きんちゃく、ぬのぶころ)のようで色まっ黒になって漆みたようなやつを両手でもって引き延ばし、一同を眼鏡ごしににらんで、ちょぅど今は冬であるのに、おれは一文なしで何も花嫁にやるものがない。
ただここに一つのキンタマ火鉢があるから、これをやろう。と令嬢はそれを見て顔をそむけ知らないふうをしておる。
すると友人の一人が、君のもてなしは結構だが火の気のない火鉢ではしかたがないから、これをおいて大いに令嬢に馳走しろ、とすぐそばにあった火鉢の真紅になってる火を挟んで篤介にたわむれると、先生、「よしきた、この上にのせろ、」とますますキンタマを引っぱる。
友だちもまた酔ってるものであるから、ゲンコツほどの大きい火をキンタマの上へ置くと、篤介、あつい、ととびあがって一同を残してどこかへ逃げていってしまった。
驚たのは令嬢で、そうそう裾をけって帰ってしまう。その翌日になると使いが兆民邸へ来て、ご縁談の儀はお断わり申す、と言っていった。先生しめたと手を打って哄笑一番、おれのはかりごとは大当りであるわい。
                                                                        (つづく)

 - 人物研究 , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

『Z世代のための<日本政治がなぜダメになったのか、真の民主主義国家になれないのか>の講義③<日本議会政治の父・尾崎咢堂が政治家を叱るー『明治、大正、昭和史での敗戦の理由』は① 政治の貧困、立憲政治の運用失敗 ② 日清・日露戦争に勝って、急に世界の1等国の仲間入り果たしたとおごり昂った。 ③ 日本人の心の底にある封建思想と奴隷根性」 

2010/08/06  日本リーダーパワー史(82)記事再録 &nbs …

 『ジョーク日本史・禅語の笑いはお腹のジョギング』★ 『一休さんは頓知の名人で不老長寿『一笑一若・一怒一老』

 ジョーク日本史・禅語の笑いはお腹のジョギング  一休さんは頓知の名人で不老長寿 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(315 )★『コロナパニック/国際舞台で戦う方法⓹』「MBAでレッドソックスを優勝に導いた守護神・上原浩治投手の<セーブ完勝力>「どんどん行く、結果がどうであれ、1日ごとに気持ちを リセット、真っ向勝負<瞬殺>する精神力もスイッチ!」

  2013/10/29  日本リーダーパワー史( …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(91)記事再録/★日韓歴史コミュニケーションギャップの研究ー『竹島問題をめぐる』韓国側の不法占拠の抗議資料』★『竹島は日本にいつ返る、寛大ぶってはナメられる』(日本週報1954/2/25)

    2018/08/18/日韓歴史コミュニケー …

no image
日中北朝鮮150年戦争史(8)『陸奥外交について『強引、恫喝』『帝国主義的外交、植民地外交』として一部の歴史家からの批判があるが、現在の一国平和主義、『話し合い・仲よし外交』中心から判断すると歴史を誤る。

日中北朝鮮150年戦争史(8)  日清戦争の発端ー陸奥宗光の『蹇々録』で読む。 …

日本リーダーパワー史(696)日中韓150年史の真実(2)「アジア開国の父」ー福沢諭吉の「西欧の侵略阻止の日中韓提携」はなぜ「悪友とは交際を謝絶する脱亜論」に逆転したのか『<井上角五郎は勇躍、韓国にむかったが、清国が韓国宮廷を 完全に牛耳っており、開国派は手も足も出ず、 孤立無援の中でハングル新聞発行にまい進した』②

 日本リーダーパワー史(696) 日中韓150年史の真実(2)「アジア・日本開国 …

◎『 2011/03/05 /東日本大震災1週間前の鎌倉湾のカヤック釣りバカ日記を大公開』★『あれから10年!地球温暖化で海は今や死滅寸前だよ!10年前の鎌倉海がなつかしいよ』★『Early spring in KAMAKURA SEA』と『老人の海』=『逗子マリーナ沖で良型カレイをゲットしたよ!』

 前坂 俊之     (カヌーイスト)   2011年3月5日午前6時 …

no image
日本リーダーパワー史(195)『真珠湾攻撃から70年―山本五十六のリーダーシップ』ー海軍大将・井上成美が語るー

日本リーダーパワー史(195)   『真珠湾攻撃から70年―山本五十六 …

no image
知的巨人たちの百歳学(176)記事再録/「東洋のビール王」「大日本麦酒創業者」(アサヒ、サッポロビールの前身)・馬越恭平【88歳) 「健康10ヵ条」ー「2つの養生<体の養生と財布の養生とは怠るな>」 「四気の保持を忘れぬこと―元気、勇気、長生き(気長の意味) 、腹の落付き(沈静)の四つ」

  2015/09/16   &nbsp …

no image
日本リーダーパワー史(54)辛亥革命百年③『日本は覇道から王道をめざせ』と忠告した孫文②

日本リーダーパワー史(54) 辛亥革命百年―『日本は覇道から王道をめざせ』と忠告 …