前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

名リーダーの名言・金言・格言・苦言集(17)『浮利に走って軽進すべからず』(広瀬宰平)『船は沈むが、株は沈まない』(野村徳七)

   

<名リーダーの名言・金言・格言・苦言
・千言集(17)            前坂 俊之選
 
 
 
やる気を噴射させる四ヵ条
 
  中内 功(ダイエー創業者)
 
 一 まず目標を決めよ―自己に対してその目標を宣言し、周囲の人々にもそれを言明し
て自己自身を縛ることが必要。目標をはっきり認識させなければ、やる気は生まれない。
 二 鬼となることを誓え―決めた目標に対して、一途に情熱を燃やし、他のことは思い
切る。決めた目標を達成するために、執念を燃やして鬼になれ。仕事の鬼、勝負の鬼にな
ることに誇りを持たねばならない。
 
 三 体力、気力を養え―鬼の中でも、上の鬼になるには体力、気力がまさってなければ
ならない。「私は過労で死んだ人はみたことがないが、そう思い込んで死んだ人は多い」
とアメリカの心理学者は言っている。体力、気力の充実のために働き抜くことから技が実
力になり、実力が気力を育てる。
 
 四 自信を持て―自信があれば、いかなる苦しい境地にあっても、打ち勝つことができ
る。信念こそ苦しみに耐え抜き、人生の充実感と生きる楽しみに、導く永遠の灯である。
 
 
 ●浮利に走って軽進すべからず
 
  広瀬 宰平(住友初代総理事)
 
 一八八二年(明治十五)、広瀬は創業の精神を盛り込んだ、住友の家法をこう定めた。
バブル経済と同じく、儲かれば何でもやるという“金儲け主義”を排し、社会のために役
立つ、仕事を行うという考え方であった。
 
 住友四百年の歴史で、最大の危機は明治維新で、新政府が別子銅山(愛媛県新居浜市)
を接収しようとした時である。別子銅山の経営は大赤字で、住友本家でも、身売りの話が
持ち上がった。
 
 他は、全員身売りに賛成したが、広瀬一人が頑強に反対し、住友は別子を維持すること
になった。広瀬が全責任を持って再建に取組み私財をつぎ込み、外国から最新鋭の技術、
フランス人技術者を招へいし、必死の努力で、産銅量は大幅に増加、住友の基盤固めに成
功した。

もし、広瀬が「浮利に走るな」と別子再建に固執しなければ、住友の今日はなか

った。広瀬はその功労によって住友初代総理事になり、甥の伊庭貞剛がそのあとを継いだ
 
 
 ●タルの酒をヒシャクでくみ出すのはよい。
穴より一滴も漏らすな
 
  岩崎 弥太郎(三菱グループ創業者)
 
 ある時、弥太郎は弟の弥之助を激しく叱った。土佐は紙の生産地で紙価が安く、紙を粗
末に扱う習慣があった。弥之助が領収書を保存するため、真っさらの紙に一枚一枚はりつ
けいるのを見た、弥太郎がドナッた。
 
 「使い古しのホゴ紙を使えば、いくら節約できるか計算してみよ」
 弥之助が計算してみると、当時の金で四百円(今の金で数百万円)の差が出た。
 弥太郎は「タルの穴より一滴も漏らすな」を口グセにしていた。必要な経費は惜しまな
いが、ムダな支出は一切するなと戒めていた。
 
 弥太郎は、各支店からの報告書に一つ一つ目を通し、情勢を知ることに努めていた。少
しでも不利益や不合理があると、減給や格下げして、容赦しなかった。彼は豪放磊落な中
にも、こうした緻密な計算と合理性があった。
 
 
◎事業と商売は常に十字街頭に、立っているもの
と心得よ
 
金子 直吉(鈴木商店大番頭)
 
 大正から昭和初めにかけて、神戸の鈴木商店は三井、三菱を凌ぐ大商社であった。同店
は昭和の大恐慌で倒産したが、この店を大商社に仕上げたのが“財界のナポレオン”と評
された金子直吉であった。
 
 金子は質屋で丁稚奉公したが、質草の本を片っ端から読んで猛勉強した。鈴木商店の番
頭としては米相場や綿糸、生糸などの相場に失敗した者を集めて社員にした。一度失敗し
ているので慎重にもなるし、商品知識も豊富で、こうした社員を見事に統率して、第一次
大戦が勃発すると、日本中の船や鉄を買いまくって大儲けした。
 
 金子は小学校しか出てなかったが、“商社は人材”と大学出をドシドシ採用した。
 その金子の経営信条が「事業と商売は常に十字街頭に立っているものと心得よ。四方八
方目がきく要路を選び、袋小路を避ける。事をなすには常に前後左右に注意して処理しな
ければならないというもの。
 
 

 

◎小僧に頭を下げると思うと腹も立つが、金に
頭を下げると思えば我慢できよう
 
  岩崎 弥太郎(三菱グループ創業者)
 
 弥太郎は部下にサムライ精神を捨てさせ、商人となるよう、徹底して教育した。のちの
日本郵船社長の近藤廉平らが入社すると、彼はハカマを脱いで、前だれをかけることを命
じた。「前だれは商人の礼服だ」というのが、弥太郎のモットーであった。
 
 石川七財が“三菱”と染めぬいたハッピを着て、得意先回りをやらされた時、石川が不
満を言うと、弥太郎は叱った。
 
 「得意先の番頭や小僧に、頭を下げると思うから腹も立つが、逆に、金に頭を下げると
思えば腹も立つまい。今、この扇子を君に進呈するから、今後、腹が立ったらその扇子を
見よ」 よく見ると、裏面に一枚の小判がはりつけてあった。弥太郎の経営訓は「創業は
大胆に、守成は小心なれ」であった。
 


 
  
 ◎条件整備さえ先行したら企業は成長する
 
立石一真(オムロン創業者)  『人を幸せにする人が幸せになる』
 
 どうしたら企業が伸ばすことが出来るか。これは経営上の重要なことである。
 私はこの二、三年、非常に簡単な考え方をしている。それは条件整備さえ先行したら、
企業というものは、おのずから、成長するのではないか、ということである。その整備す
べき条件とは次の八つである。
 
 一 経営理念を明確に打ち出すこと。
 二 人間の本能的な行動がそのまま企業の繁栄に結びつく方向で、施策を展開せよ。
 三 利潤の分配を公平に行うこと。
 四 働きがいのある環境を作り出すこと。
 五 社員全体が経営に参画できるシステムを作ること。
 六 社会のニーズを早くとらえ、成長性の高いマーケットに進出すること。
 七 自主技術を持ち、研究開発能力を強化すること。
 八 強いリーダーシップを持て。
 
 
   ◎船は沈むが、株は沈まない
 
  野村 徳七(野村証券創業者)         『新・財界人列伝』
 
 野村徳七は日露戦争景気、第一次大戦の大相場で大正五年までに、当時の金で三千万円
(現在なら三千億円)の財産を築き上げた。
 
 日露戦争景気で五百万円を儲けた徳七は、野村商店内に、二百五十キロの大金庫を購入
した。女房役で徳七を助けていた弟の利三郎が「この中に、百円札をぎっしり詰め込みた
いものですね」と言うと、徳七は「いや、空っぽにしておく。この金庫から出ていった札
束が他の札束を連れて戻ってくるように」と答えた。
 
 第一次大戦が勃発すると、軍需物資の輸送で船が、暴騰するとみた徳七は「船を二万ト
ン買おう」と言い出した。慎重派の利三郎は「船舶の需要は増大し、船会社はフル回転で
しょう。当然、株価は高騰する。船を買わなくても、船株を買っておればよい。船は、台
風やドイツの潜水艦によって沈められるが、株は沈みません」と反対した。徳七は「船は
沈むが、株は沈まないか」と納得し、株を買いまくり、野村商店の大飛躍の基礎を作った
 
 
  
 ◎新入社員の十ヵ条
 
  青井 忠雄(丸井社長)
 
 一 人間、素直さが大切だ。
 二 先輩に敬意を表せ。人それぞれに苦労の蓄積がある。
 三 はじめの三年間、一番大切なのは仕事に精通すること。
 四 まず、会社、業界を知ろう。自分で資料を探し研究せよ。
 
 五 人生、仕事は自分の心との戦い。自分に打ち勝てる人のみが生き残れる。
 六 商人は相手の心を読み取ること。臨機応変さが基本だ。
 七 商売の道で肝心なのは信念を持つこと。
 
 八 つらい経験は人の成長にとって欠かさない。辛酸をなめよ。
 九 立派な人間イコール商売人と考える。私自身、「商売人だなあ」「商売がよくわか
   っている」と言われるのが一番うれしい。
 
 十 恒産なくして恒心なし。個人生活面では貯蓄し、資産を増やせ。
 
 
  
◎土俵の真ん中で相撲を取れ
 
  稲盛 和夫(京セラ会長)
 
 よく、試験で徹夜したり、一夜漬けというのがある。試験日は、以前から決まっており
、準備する時間は十分あるのに、ギリギリになってからしか、やらない人が多い。
 なぜ、十分準備できるのにやらないのか。
 
 「土俵の真ん中で相撲を取る」とは、「土俵の真ん中を、土俵際だと思って行動しろ」
という意味だ。相撲でよく、土俵際で、俵に足が掛かると馬鹿力を発揮して、うっちゃる
人がいる。あれくらいの馬鹿力が出るなら、土俵の真ん中でなぜ出せないか。
 
 常に余裕がないと考え、前へ前へと準備してやっていかねばならない。土俵際に追い詰
められなくても、リスクを想像して事前に手を打って、安全弁を置いた進め方をしなけれ
ば、人生も仕事も経営も、決して安定したものにはならない。
 
 
自分よりエライ人を思うままに働かせることが、
事業成功の秘訣だ
 
五島 慶太(東急グループ創業者)
 
 「人に聞くよりいい知恵はない」という諺があるが、五島の上司は小林一三であり、三
十年に渡って薫陶を受けた。“エライ人”とは小林であり、一三の行動力、アイデア、ネ
ットワークをうまく引き出して、東急コンツェルンの基礎を作ったのである。
 五島はこう書いている。
 
 「エライ人になると、金はいくらでも入ってくるし、名誉職はもう結構、というほど押
しつけられているので、金や名誉はあまりうれしがらない。ところが、お知恵拝借は、相
手がいかに知恵を持っているか、を認めていることだから、相談を受けた相手は大変うれ
しい。エライ人はこの点で利用されたがっているのである。こうした人の知恵をうまく引
き出すのが、知恵のあるやり方だ」
 
 使われて喜ぶようになれば、経営者も一流である。
 
 
 

 - 人物研究 , , , , , , , , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日本風狂人伝(42) 泉鏡花・幻想文学の先駆者は異常な潔癖症・・

日本風狂人伝(42) 泉鏡花・幻想文学の先駆者は異常な潔癖症・・   …

『オンライン/死生学講座』『日本最初の民主主義者・中江兆民(53歳)の死の美学』★『悪性の食道ガンで「余命一年半・・」と宣告された』★『一年半、諸君は短命という。私は極めて長命と思う。 もし短いと思えば、十年も、五十年も短い。百年も短なり。 人生は短く、死後は永久なり」(『1年半有』)』★『(遺言)「戒名は無用、葬式も無用、灰は海に投棄して魚のエサにせよ」』

      2015/03/19/『中江兆民(53歳)の死生学』記事転 …

no image
日本リーダーパワー史(274)EUの生みの親・クーデンホーフ・カレルギーの日本記「美の国」―日本人は世界で最も勇敢な民族②

日本リーダーパワー史(274)   『ユーロ危機を考える日本の視点』② …

no image
人気記事再録/百歳学入門(183)-現在、65歳以上の人は「2人に一人が90歳以上まで生きる時代」★『義母(90歳)の『ピンコロ人生』を見ていると、「老婆(ローマ)は1日にしてならず」「継続は力なり」「老いて学べば死しても朽ちず」の見事な実践と思う。

      2017/10/29 &nb …

『オンライン講座・国難突破力の研究』★『(1945年敗戦)「この敗戦必ずしも悪からず」と勇気と今後の戦略を提示したその国難突破力』★『 (外交の鉄則)列国間の関係に百年の友なく 又、百年の敵なし、 今日の敵を転じて明日の友となすこと必ずしも 難かしからず』

近現代史の重要復習問題/記事再録/   2019/05/18 …

『Z世代のための最強の日本リーダーシップ研究講座(49)』★『地球環境破壊(SDGs)の足尾鉱毒事件と戦った公害反対の先駆者・田中正造②』★「辛酸入佳境」、孤立無援の中で、キリスト教に入信 『谷中村滅亡史』(1907年)の最後の日まで戦った』

 2016/01/25    世界が尊敬 …

no image
『オンライン/日本リーダーパワー史講座』★『 近代日本二百年で最大の英雄・西郷隆盛を理解する方法論とは何か(上)  <リーダーシップは力より徳>』★『西郷隆盛はどこが偉かったのか』(下)』憲政の神様・尾崎行雄が語る』

   前坂俊之×「尾崎行雄」の検索結果 106 件 &nbs …

no image
『ガラパゴス国家・日本敗戦史』⑰『日本の最も長い日(1945 8月15日)をめぐる攻防・死闘ー終戦和平か、徹底抗戦か②』

 『ガラパゴス国家・日本敗戦史』⑰     『日本の最も長い日―日本帝国最後の日 …

no image
知的巨人の百歳学(155)記事再録/ 百歳学入門⑱ <日本超高齢社会>百歳元気健康長寿者200人リスト一挙大公開① 2010/01/31 時点での調べですのでお間違いなく。

    2010/01/31 /百歳学入門⑱ &n …

『Z世代のための日中韓外交史講座』⑮』★『『ニューヨーク・タイムズ』(1895(明治28)年1月20日付』★『朝鮮の暴動激化、東学党の乱、各地の村で放火、税務官、住民を殺害』★『朝鮮王朝が行政改革を行えば、日本は反乱鎮圧にあたる見込み―ソウル12月12日>』

2011/03/16 2018/02/05/『ニューヨーク・タイムズ』「東学党の …