前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『Z世代のための日本最強の宰相・原敬のリーダーシップー研究③』★『藩閥政治の元凶・山県閥をどう倒したか②<立憲民主党は100年前の大正政変・大正デモクラシーを見習え>』

   

 
日本リーダーパワー史(290)記事再録
前坂俊之(ジャーナリスト) 
 
  原敬と鳩山和夫(鳩山由紀夫の曽祖父)は同じ年だが、政治力は雲泥の差があった
   原敬は大正政変によって、明治の藩閥政治に終止符を打って、政党政治を確立した。
   原敬は日本を滅ぼす原因の1つの軍部大臣現役武官制を廃止し、文官の軍部大臣を実現した。ワシントン軍縮会議も成功させた。統帥権をふりまわして、政治を聾断しようとした軍部をしっかり抑えた。
 外交面で、国際協調主義をとったこと。シベリア出兵には反対し、米国重視、中国への不干渉と通商貿易を重視した。パリ講和会議では人種差別撤廃法案を提案した。
原敬の確立した政友会政治が昭和戦後の自民党に連綿と続いた。民主党はこれに終止符を打ったかと思われたが、ダメリーダ―の鳩山由紀夫、小沢一郎(原と同じく岩手県の出身)の「2世、4世の世襲議員」(世襲のために、金とカンバン、地盤はあってもリーダーシップがない)
⑥政治家は封建時代のような世襲であってはならない。実力主義でないから、当選回数によってトコロ天式に大臣となり、間違って総理大臣にもなる。『封建的・中央集権・1局集中の政財官マスコミ構造が長年続いてきた。「ガラパゴスジャパンシステム」である。この政治、官僚の旧体制を変えることに民主党は失敗した。
 
次の総選挙では民主党の少数転落、自民党も伸びず、既成政党への強烈な不満、日本政治の質的大転換を期待して、橋下維新党が大躍進するであろう。しかし、維新党は1年生議員の集団で変革のノ―ハウは全くない。少数弱体政権の混乱が日本衰退に拍車をかけるだろう。日本政治の大変革、政治システムの大改革なくしては日本沈没はまぬがれない。その起爆剤は市民の民主的な政治意識の成熟度以外にはありえない。原敬の政治突破力を背景には大正デモクラシーの高まりが、彼を強力に押したのである。


以下は服部之総(1901(明治34年)―1956年(昭和31年))の「原敬百歳 朝日新聞社 1955 (朝日文化手帖)」である。

服部之総の『原敬百歳』②

 
桂太郎はわずか五日間しか、立憲同志会総裁として首相の地位にいなかった。こんどの政変では吉田退陣を要求する人民デモはついに議事堂をとりまいたことがなかったが、その日その刻の衆議院首相室で桂が突変して辞意を感悟したのは、その民衆デモのためであった。自由改進両党こもごもの積年のうらぎりを体験した明治の民衆は、無意義のいかりをこめて、明治三十八年の日比谷焼打事件いらい、ボスたちの限界をふみこえてつねに行動しながら、やがてあの「米騒動」に及ぶのである。
 
 

  桂は死んでも立憲同志会をのこした。原政友会が内務省をとりこんだように、立憲同志会が憲政党と名を変えて三菱の婿・加藤高明を党首にいただくころは、大蔵省をとりこんでいた。

医者からゆるされている一日二枚ずつ、この原稿を書きつづけてゆくあいだに、鳩山日本民主党総裁は首尾よく国会で総理大臣に指名され、十年待望の鳩山内閣が、全閣僚の顔蝕をあのかたちでそろえた。考えてみると、戦後日本の保守政党が、党名をだんだんと昔にもどして、ついにあの明治十年代の「自由党」と「改進党」にたどりついたというはなしは、誰が智恵をしぼったけっかかはたれにもわからないが、まことおそるべき因縁ではある。もうそのまえはないというので、「改進党」をこのたび「日本民主党」と改めた。アメリカ史の方へ、講座を変えるほかはない。

それにしても、鳩山和夫は改進党から自由党にくらがえをして不遇で死んだ。一郎は自由党から改進党にくらがえをしたわけである。今朝は十二月十三日、いまラジオのニュースは、二つの社会党が、鳩山民主党と緒方自由党のやみ取引を警戒中と報じた。演出者のおもわくどおり、保守合同が成功するとしたら、いったいどんな党名を、くふうするのであろうか?
 
 鳩山一郎は父和夫と死別した明治四十四年、二十九歳で東京市会議員となり、大正四年三十三歳で代議士、政友会代行委員、東京市会議長になったと、このたびの新聞紙上の略歴にある。
 
賢母のきこえ高かった春子刀自にかわって、いま勘定してみると、一郎が弁護士を振出しに、東京市会議員になった二十九歳で、和夫はすでにーー二十七歳から代言人組合長東京府会議員になっていた。一郎が政友会代議士東京市会議長になった三十三歳で、和夫は日本さいしょの五人の法学博士の一人となった。
 
一郎が田中政友会内閣書記官長になった四十五歳までに和夫は四十二で進歩党出身衆議院議長、四十三歳で外務次官になっていた。けれども、和夫が政友会に走って大臣にもならず死致した四十九の厄年に、一郎は犬養政友会内閣の文部大臣になった。
 
 
 てもとの史料では、賢母春子刀自の死没年次をたしかめることができないので、どこまでが春子刀自の、どこからが素子夫人の、感慨領域に出はいりするものか決しがたいのであるが、田中内閣書記官長としての一郎が奉天総領事吉田茂とともに若手の中心となって、有名な「田中メモランダム」の東方会議を歴史にのこしたこと、犬養内閣文相としての一郎が滝川事件の名を歴史にとどめたこと、史料を参照するまでもない。
 
昭和二十年敗戦の塵のなかから、旧政友会を復活して「自由党」を結成、総裁となり、二十一年組閣直前追放となり、二十六年解除され、二十八年「鳩山自由党」総裁となり、その年のうち復帰し、二十九年-一九五四、旧改進党を中心とする「日本民主党」総裁となり、吉田茂に代って内閣総理大臣となる。
 
  もしも自由党立候補者のだれかがあやまってこんどの選挙演説で鳩山は自由党を売った変節漢であると叫ぼうものなら、春子刀自薫子夫人になりかわってわたしはあらかじめ言っておこう、
 
 鳩山は変節漠ではけっしてない。政友会のため、二十九歳から七十一歳まであらゆる心血をそそいだ。そそぎつくしたうえで、こんどはもとの改進党のために、父の汚名を、そそいだのである。
 
  原敬に百歳の寿を与えたら、何と評するであろうか? 原敬がそもそも百まで生きていたらー百はかなわずとも尾崎行雄の去年の九十五まで生きていたら、日本政治の歴史はどうなっていただろうか?
小さな変化はあったにしても、大きなかわりめはなかっただろう。人は、ほどよいところで死ぬのがしあわせなものである。
 
 原敬腰越の別荘は、ほとんどなんのかありもなく、保存されていた。そこに住んでいる嗣子至二郎氏の亡父にたいするすなおな愛情を、説明のことばのほしばしからわたしは心にうけとめた。
 
 活字で見、写真で眺める評判の「吉田御殿」とは、くらべものにならず、くらべていえばまるで異質のものである。
 原敬には子供がなかった。原奎一郎(貢)は敬の兄恭の長女ゑいが上田常記に嫁してもうけた次男だが、原敬の大阪の家でうまれた(明治三十五年、原敬は北浜銀行頭取で大阪に住んでいた)。
明治三十七年大阪の家をたたんで東京に帰ってからは、あたかもその年ゑいが二十八歳で死んだので、長男常隆は上田家にのこし貢は原敬にひきとられて、のちの原夫人あさに育てられた。明治四十四年入籍して嗣子となる。実子とかわらないわけである。
 
 この日の訪問の感想は多々あるが、ただ一つ記しておこう。もとの書斎の隅に見つけた碁盤のことだ。
 原敬の碁は、わたしの碁敵・大内兵衛先生と同じくらいだったろうと、わたしは計算している。そこいらの碁会所にあるのと同じひどいもので、碁笥もそうだし、石もそうだ。ずいぶん手あらく使つたとみえて、石数は目分量で百五十くらいしかあるまい、手にとってみると欠け石もまじって、一国の総理大臣とはおよそ縁遠い。
「これをつかったのですか?」
「そうです」
「ほかにりつばなのがありませんでしたか?」
「なかったと思います。芝公園の家の碁盤も、こんなものではなかったかしら。ともかくこの碁盤は、父がここで打っていたものです」
政治に没頭する、~ある言い方をすると生命をかけている彼の日常に、手を触れた気がして、わたくしは心に、敵ながらあっぱれと思った。
(一九五五年「世界」二月号)
 

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日本リーダーパワー史(347)勝海舟の国難突破力ー中国・韓国との付き合い方、経済上の戦争では中国に及ばぬ

日本リーダーパワー史(347) 勝海舟の国難突破力に学ぶ ●『勝海舟の中国・韓国 …

no image
明治150年歴史の再検証『世界史を変えた北清事変⑨』★『16、17世紀の明時代以降の中国と西欧列強のポルトガル、オランダ、イギリスとの貿易関係はどのようなものだったのか』★『現在中国の貿易ルールのルーツを知る上で大変参考になる』

 明治150年歴史の再検証『世界史を変えた北清事変⑨』 支那の対外貿易の原則 矢 …

no image
『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争カウントダウン』㉝『開戦2週間前の「英タイムズ」の報道/★★『ロシアが極東全体を独占したいと思っており、一方、日本は,ロシアの熊をアムール川の向こうの自分のすみかに送り返して,極東における平和と安全を,中国人、朝鮮人,そして日本人のために望んでいるだけだ』

    『日本戦争外交史の研究』/ 『世界史の中の日露戦争カウントダウン』㉝ 『 …

『オンライン講座/独学/独創力/創造力の研究④』★「日本人の知の限界値」 「博覧強記」「奇想天外」「抱腹絶倒」「大英博物館をわが書庫にして研究三昧した世界一の読書家と自慢した」<南方熊楠先生書斎訪問記はめちゃ面白い

2015/04/29 の記事再録 酒井潔著の個人雑誌「談奇」(1930年(昭和5 …

no image
知的巨人の百歳学(131)-『石油王・出光佐三(95)の国難突破力/最強のリーダーシップ/晩年長寿力』★『『人間尊重』『つとめて困難を歩み、苦労人になれ』『順境にいて悲観し、逆境にいて楽観せよ』★『活眼を開いてしばらく眠っていよ』

2011/07/31記事再録/  日本リーダーパワー史(179) 『国 …

no image
日本リーダーパワー史(765)ー『今回の金正男暗殺事件を見ると、130年前の「朝鮮独立党の金玉均らをバックアップして裏切られた結果、「脱亜論」へと一転した 福沢諭吉の理由がよくわかる②』★『金玉均や朝鮮独立党のメンバーを族誅(罪三族に及ぶ)して、 家族、親族、一族の幼児まで惨殺、処刑した。福沢は社説『朝鮮独立党の処刑』と題して、過酷、苛烈な処刑を野蛮国と激しく批判した』

    日本リーダーパワー史(765) 今回の金正男暗殺事件 …

no image
産業経理協会月例講演会ー2018年「日本の死」を避ける道は あるのか-日本興亡150年史を振り返る② 

 <産業経理協会月例講演会> 2013年6月12日  201 …

日本リーダーパワー史(842)★『新刊「世界史を変えた『明治の奇跡』(インテリジェンスの父・川上操六のスパイ大作戦、海竜社 2200円+税)を出版』★『「明治大発展の国家参謀こそ川上操六』★『一大国民劇スペクタクル「日露戦争」は川上操六プロデューサー、児玉源太郎監督、主演は川上の薫陶をうけた情報参謀の福島安正、柴五郎、明石元二郎、海軍は山本権兵衛、東郷平八郎、秋山真之らオールキャスト』

 日本リーダーパワー史(842) このほど、「世界史を変えた『明治の奇跡』(イン …

no image
日本リーダーパワー史(432)政治家はすべて私心を捨てよ,高橋是清は「小さな 政治の知恵はないが、絶対にものを恐れない人」

 日本リーダーパワー史(432)               …

no image
現代史の復習問題/「延々と続く日韓衝突のルーツを訪ねるー英『タイムズ』など外国紙が報道する120年前の『日中韓戦争史④』<清国新聞『申報』<明治27年(1894)8月20日付>『日本の謀略がすでに久しいことを諭す』

  清国新聞『申報』<明治27年(1894)8月20日付> 『日本の謀 …