前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『日本インド交流史①』★『インドの夜明けとなった日露戦争(1905-6年)』★『日露戦争はコロンブス以来500年史で西欧の白人人種が初めて有色人種に敗れた大戦争となり、その後の世界史を変えた」

      2025/05/01

今年は日露戦争120年、昭和100年、大東亜戦争(80年)の「日本の戦争の世紀」の節目の年である。その日本戦争興亡史を振り返る。

特に120年前の日露戦争(1905-6年)の勝利は世界史を驚愕させた。日本が負けていれば、白人の国が、有色人種の国を征服した数ある戦争の一つとして世界から注目されることは全くなかったであろう。
ところが、アジアの小さな島国で西欧にとっては全く無名の「黄色人種国日本」が西欧最強の軍事国家ロシアと戦い勝利したことに世界は驚いた。あらゆる植民地の国々、有色人種の人々が、感動して歓喜の涙を流し、日本を見習って独立運動を起こし、逆に西洋人にとっては、コロンブス以来500年史の中で初めての敗北、悪夢で、衝撃的なニュースとなった。一つの戦争の勝敗がこれほどの世界的反響をよんだ戦争は、人類誕生以来、日露戦争が初めてだった。

インド独立の父と言われた、ネール首相は、14歳の時の日露戦争の衝撃を次のように書いている。

「日本の戦勝は私の熱狂を沸き立たせ、新しいニュースを見るため毎日、新聞を待ち焦がれた。相当の金をかけて日本に関する書籍をたくさん買いこんで読もうとつとめた。ところが日本の歴史では面食らった感じだが、昔の日本武士道の物語、それから小泉八雲の楽しい散文は大好きであった。
私の頭はナショナリスチックの意識で一杯になった。インドをヨーロッパの隷属から、アジアをヨーロッパの隷属から救いだすことに思いを馳せた。さらに想いはほとばしり、私が剣をとってインドのために闘い、インド解放の一助けたらんと英雄的行為を夢みるのであった」

また、インド国民会議派の指導者ラーラー・R・ラーイは、

「日本がロシアを撃った時、インド人はみんな喜んだ。全てのインド人、下流から上流まで、男も女も、老人も子供も、みんな日本の勝利を誇り、これに満足を表したことは、あたかもインド人もこの戦いに参加しているように見えた。彼らは同じアジア人としてアジア人の光栄ある勝利を喜ぶ権利ありと考えたからである。・・・日本はアジアの盟主として、全てのアジア人を率いて、屹然として立たなくてはならぬ」と訴えた(大塚健洋「大川周明のアジア観」)。

日露戦争の勝利で日本に学ぼうと多くのインド人が来日した。民族運動の指導者ウ・オッタマは

欧州旅行中に日露戦争の日本の勝利に感動し、 一九〇七年に来日し浄土真宗本願寺派の門主大谷光瑞や、名古屋の豪商の伊藤次郎左衛門の援助で三年間ほど日本に滞在した。オッタマは、日本の発展と日本人の勤勉さ、とくに天皇を中心とする団結心に感動し、帰国後は『日本事情』を出版し、「日本の興隆と戦勝の原因は明治天皇を中心にして青年が団結して起ったからである。
「われわれも仏陀の教えを中心に青年が団結、決起すれば必ず独立を勝ち取ることができる。……長年のイギリスの桎梏からのがれるには、日本に頼る以外に道はない」と主張した。そして仏教青年会を組織し独立運動を続けたが、 一九二七年に逮捕され、その後に獄を出ることはなかった。しかし、日中戦争が始まると獄中から『中国と日本』を出版し、両民族の和解とアジア民族の団結を訴えていたが一九三九年に獄死した。(「日露戦争が変えた世界史」平間洋一著、芙蓉書房出版、2004年)

また、アジアで最初にノーベル文学賞を受賞したラビンドラナート・タゴールのように、日本との連携やアジア主義を主張する者も生まれ、それが岡倉天心の「アジアは一つ」の主張にも共鳴し、西欧文明に対抗しアジア文明である仏教、儒教、神教、イスラム教などの精神文明を共有し、アジアから西欧の帝国主義を排除しようとする興亜アジア第 主義へと連なっていった。

また、インドから分離され最初のビルマ首相となったバー・モウは、次のように回想している。

「最初のアジアの目覚めは日本のロシアに対する勝利に始まり、この勝利がアジア人の意識の底流に与えた影響は決して消えることはなかった。……日本が西欧勢力に対抗する新勢力として台頭したことは、日本のアジア諸国への影響をますます深めていつたのである。

それはすべての虐げられた民衆に、新しい夢を与える歴史的な夜明けだった。私は今でも、日露戦争と、日本が勝利を得たことを聞いたときの感動を思い起こすことができる。私は当時、小学校に通う幼い少年に過ぎなかったが、そのころ流行した戦争ごっこで、日本側になろうとして争ったりしたものだ。

こんなことは、日本が勝つ前までは想像もできぬことだつた。ビルマ人は英国の統治下に入って初めてアジアの一国民の偉大さについて聞いたのである。それはわれわれに新しい誇りを与えてくれた。歴史的にみれば、日本の勝利は、アジアの目覚めの発端、またはその発端の出発点とも呼べるものであつた」(バー・モウ『ビルマの夜明け元国家元首)独立運動回想録』太陽出版, 1995年)

インドカレーを日本に紹介した人といわれているインド人革命家、ビハリ・ボース(中村屋ボース)は著書で

「東洋はこの戦勝により覚醒をかけられた。トルコをはじめとしてフィリピンに至る東アジア民族自覚活動が勃然として生じてきたのは歴史の明示する所である。祖国インドの独立運動は前からあったとしても実際の力を得るに至ったのは日露戦争以後のことである」と述懐している」

 - 人物研究, 健康長寿, 戦争報道, 湘南海山ぶらぶら日記

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

『オンライン講座/三井物産初代社長/益田 孝(90歳)晩年学』★『『千利休以来の大茶人・「鈍翁」となって、鋭く生きて早死により,鈍根で長生きせよ』★『人間は歩くのが何よりよい。金のかからぬいちばんの健康法』★『 一日に一里半(6キロ)ぐらいは必ず歩く』★『長生きするには、御馳走を敵と思わなければならぬ』★『物事にアクセクせず、常に平静を保ち、何事にもニブイぐらいに心がけよ、つまりは「鈍」で行け。』

  2012/12/06 人気記事再録/百歳学入門(59) …

no image
『ニューヨーク・タイムズ』「英タイムズ」などは『ペリー米艦隊来航から日本開国をどう報道したか」★『『日本と米合衆国ー通商交渉は武力を 誇示することなく平和的に達成すべし(NYT)』

   1852 年(嘉永4)2月24日付 『ニューヨーク・タイムズ』 『日本と米 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(271)★『日本敗戦(1945/8/15)の日、斬殺された森近衛師団長の遺言<なぜ日本は敗れたのかー日本降伏の原因>★『日本陸軍(日本の国家システム中枢/最大/最強の中央官僚制度の欠陥)の発足から滅亡までを 日露戦争まで遡って考えないと敗戦の原因は見えない』★『この日本軍の宿病ともいうべき近代合理的精神の欠如、秘密隠ぺい主義、敗因の研究をしない体質はその後の日本の官僚制度、政治制度、国民、政治家、官僚も払拭できず、現在の日本沈没に至っている』

  2010/02/10 /日本リーダーパワー史( …

no image
鎌倉カヤック釣りバカ日記(9/24早朝)ーグイグイ引く元気で可愛いカワハギ君の登場だ、よく遊びに来たね!➀

鎌倉カヤック釣りバカ日記(9./24早朝)ーグイグイ引く元気で可愛いカワハギ君の …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(62)記事再録/『金正男暗殺事件にみる北朝鮮暗殺/粛清史のルーツ』福沢諭吉の『朝鮮独立党の処刑』(『時事新報』明治18年2月23/26日掲載)を読む➀『婦人女子、老翁、老婆、分別もない小児の首に、縄を掛けてこれを絞め殺すとは果していかなる国か。』『この社説が『脱亜論」のきっかけになり、日清戦争の原因ともなった

    2017/02/20 &nbsp …

no image
『美しい葉山海』スペシャル!』 シ―カヤックで初出陣、荒波にちょっぴり怖かったが、ラダーの使い方練習(4/28)

 <『美しい葉山の海』スペシャル!>   連休スタート4月2 …

no image
知的巨人たちの百歳学(179)記事再録/「女性芸術家たちの長寿・晩晴学④」―石井桃子、武原はん、宇野千代、住井すゑ

    2013/01/02 &nbsp …

『Z世代への日本インテリジェンス史の研究講座』★『明治大発展の国家参謀・杉山茂丸の国難突破力に学ぶ」今こそ<21世紀新グローバル主義者>出でよ』

2014/03/09日本リーダーパワー史(482)「明治大発展の国家参謀・杉山茂 …

『リーダーシップの日本近現代史』(310)★『明治維新の元勲・大久保利通の性格は典型的な武士気質の「寡黙不言・決断・断固実行型」―

     2014/10/01 /日本リ …

『Z世代のための百歳学入門/作家・宇野千代(98歳)研究』★『自主独立の精神で、いつまでも美しく自由奔放に恋愛に文学に精一杯生きた華麗なる作家人生』★『私の長寿文学10訓』

   2019/12/06 記事再録   『いつま …