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終戦70年・日本敗戦史(128)『日米戦争の敗北を予言した反軍大佐、ジャーナリスト・水野広徳』② 日米戦えば日本は必ず敗れると主張

      2015/08/14

終戦70年・日本敗戦史(128)

<世田谷市民大学2015> 戦後70年  7月24日  前坂俊之 

◎『太平洋戦争と新聞報道を考える』

<日本はなぜ無謀な戦争をしたのか、どこに問題が

あったのか、500年の世界戦争史の中で考える>⑩

『日米戦争の敗北を予言した反軍大佐、ジャーナリスト・水野広徳』②

 日米戦えば日本は必ず敗れると主張

前坂 俊之(ジャーナリスト)

自らの軍人生活に良心の苛責を感じ悩んでいた水野は、一1921 (大正十)年 正月、『東京日日新聞』(現『毎日新聞』)の依頼に応じて「軍人心理」を書いた。

大胆率直に自らの軍人心理を吐露したものだが、上官の許可を受けずに政治意見を 表明したとして処分された。これが軍人をやめるきっかけとなった。

「軍人心理」の内 容はその後の水野の主張や満州事変以降の軍人の政治発言と比べると、ずいぶん 微温的なものである。

しかし、当時は社会主義にかぶれた軍人の出現として話題を集めた。 水野は、軍隊の威力を保持するために神聖純潔なるデモクラチックな軍国主義を実 現せよ、と訴えた。特に二つの点を主張した。軍隊のデモクラシー化(民主化)と、もう 一つは軍人の参政権の要求であった。

 2・・軍国主義者から一八〇度転換し、反戦平和主義者へ

「現代の軍人は軍隊は政府の私兵に非ずして、国家の公兵であるとの自覚を有して居る。一政党の番兵に非ずして国民の護衛兵であるとの信念を持って居る。世界の文明国中今日尚お軍人の参政権を奪うが如き非デモクラシイの国はフランスとイタリ アとそして我が大日本帝国のみである」(「軍人心理」)

昭和戦前期の言論抵抗で、軍閥が日本を滅ぼすことを的確に見抜き、日米戦うべ からず、戦えば必ず放れる、と一貫して軍縮を訴えたジャーナリストは水野ただ一人 といって過言でない。

ところが、水野への評価は、決して高くない。

たとえば菊竹六鼓は 5・15 事件での言論批判で高く評価されており、桐生悠々もミニコミ誌『他山の石』に立てこもり孤立無援でたたかった執念への畏敬の念が大きいきらいがある。

その点では、軍閥や軍部の病根をきちんと押さえ、軍縮や近代戦への合理的な思 考という点では水野のほうが、はるかにすぐれている。

思うに、水野が海軍出身の軍事評論家であり、菊竹や桐生のような生粋のジャーナリストではなかったこと、軍事一本の評論が一般受けしなかったことなどが理由で十 分評価されていないのではなかろうか。

水野は、海軍軍人と訣別し、筆1本の評論家生活に入った1920(大正十)年以来、 当時、日本の論壇の中心であった『中央公論』『改造』に毎月、軍縮論を執筆しキャン ペーンを張った。

『中央公論』をみると、

1921年10月  「華盛頓会議と軍備縮限」

1922年1月  「軍備締少と国民思想」

3月  「陸軍縮少の可否と其の難関」

8月   「軍部大臣開放論」

12月  「西伯利座の軍閥劇」

1923年6月  「新国防方針の解剖」

1924年6月   「戦争一家言」

1925年4月   「米国海軍と日本」

1927年8月   「軍縮会議論」

19279月   「決裂したる軍縮会議」

1930年9月   「海軍お家騒動の総勘定」

以上は、軍縮などのタイトルのついたものなどを集めたものだが、『中央公論』だけみても一九二二年に十四本、二三年に十五本と毎月登場、軍部や軍縮について縦横無尽のペンをふるった。

二五年は七本、二七年は四本と減ったものの、大正末から昭和の初めにかけて、水野は日本を代表する軍事評論家として油が乗り切った活躍をみせており、軍事や軍部についての詳細なカルテを精力的かつ正確に記録したといえるだろう。

比喩的にいえば、一九三二年の満州事変以降は軍部が対外侵略へと一挙に暴走 した時期にあたるが、その原因は当然その前に兆候として現れており、水野はその潜伏期間にすでにその病状と原因を見破り、将来どんなにヒドイことになるかも予言し、 何度も警告を発しのである。

 3・・日米戦えば日本は必ず敗れると主張

剣をペンに変えた水野は、冷静で大局的な判断に基づいた軍事評論を展開した。 大正、昭和初期にかけて、ますます声高になるのは対英米強硬外交であり、右翼的なアジア主義であった。

一九二二年にワシントン軍縮条約が締結され、英米に対して七割の主力艦保有を主 張していた日本海軍は六割で涙をのんだ。

以後、これが国防問題の焦点となり、三〇 年のロンドン軍縮会議で海軍の内部対立は決定的となった。

ワシントン条約と並んで 一九二四年五月に米国で排日移民法が可決され、反米感情が一挙に高まり、日米 危機説がクローズアップされた。

こうした風潮にうまく乗り、『圧迫された日本』(1922年刊)『日米戦争 日本は敗 れず』(二四年刊)などを出版、日米撃措閥おり、アジア人のアジアを唱え、もし日米戦わば日本が必ず敗れる」と主張した軍事評論家・石丸藤太(1881-1942) らに対して、水野は真っ向から反対した。

1923年一月、加藤友三郎首相、上原勇作参謀総長らはアメリカを仮想敵国とす る新国防方針を作成した。水野は『中央公論』(同年六月号)に「新国防方針の解剖」を書き、日米戦を徹底して分析した。

次の戦争は空軍が主体となり、東京全市は 一夜にして空襲で灰じんに帰す。戦争は長期戦と化し、国力、経済力の戦争となるため、日本は国家破産し敗北する以外にない-と予想、日米戦うべからずと警告した。

水野は「当局者として発狂せざる限り、英米両国を同時に仮想敵として国防方針を 策立する如きことはあるまい」と指摘したが、太平洋戦争の約二十年前のこの予言は 見事に的中したのである。

水野はワシントン条約を「有史以来の人間の為したる最も高尚なる、最も神聖なる大事業。日本財政の危機を救いたるもので……日本海軍の危機を救いたるもの」 (「軍艦爆発と師団減少」-『中央公論』1924年十月号) と高く評価した。

また、日米の経済関係を重視して「日本は経済生活において米国に負うところ大な ることを知って居る。日本潰すに大砲は要らぬ。米国娘が三年日本に綱をストライキすれば足る」(「米国海軍の大演習を中心にして」-『中央公論』一九二五年二月号) と日米協調不可欠を主張、次のように軍国主義者の威勢のいい態度を批判した。

「今の日本人中に無責任に放言的に、日米戦争を説く者は甚だ多い、彼等は太平洋 を泳いで渡り、大和魂と剣付鉄砲さえあれば、ロッキー山を越え得ると思って居るで あろう。いやしくも、多少なりと日米の事情に通ぜる人間にして、日米戦争など本気で 考える者は恐らく一人もあるまいと信ずる。

 不幸にして我国には日米戦争煽動者が甚だ少なくない。軍人を中心とし、其の周囲 に巣食う慢性愛国患者や憤慨常習病者等である。彼等は今尚を『敵国外患無ければ 国危し』との侵略御免時代の常套語を金科玉条として、国民の元気を鼓舞する唯一の道は、対外敵愾心を煽るに在りと信じているらしい」

1924年一月、宇垣一成が陸軍大臣に就任。明治以来、増強の一途だった軍備 に初めてメスを入れ、四個師団を廃止し、三万六千九百人の将兵、馬五千六百頭を 削減、そのぶんを戦車、高射砲などの兵器や装備の近代化につとめた。

これに陸軍は猛反対したが、国際、国内事情からすれば英断であった。

水野はこの陸軍軍縮を先頭になって唱えた。軍人が分を守り、シビリアン・コントロール下で行動するように一貫して主張した。

軍縮に対して軍部が猛反対し、時の田中義一陸軍大臣が一兵をも減ずることに反対だ、と述べたことを指し「軍人がヤレ一兵 一馬を減ずるを許さずとか、ヤレ四個師団以上減少する能わずなどと頑張るのは非立憲時代の通弊である」と次のように厳しく批判した。

「由来我国軍人は封建的因襲により国防を我物顔に振舞い、其の計画をまでも専断 せるは大なる間違いである。借越である。国防はもともと国家の国防、国民の国防に して、断じて軍人の国防ではない。殊に国防は国家の重大なる政務であって、決して 単なる軍務ではない」

国防計画を定むるものは国民の信任ある政治的識見高く、国際的眼界広く、経済的知識大なる人々でなければならぬ。いたずらに敵悔心のみ強き軍国主義、帝国主 義の軍人のみに任すべきではない。軍人は寧ろ定められたる国防計画の範囲内に 於て、作戦用兵のことを掌れば宜いのである」(「軍艦爆発と師団減少」)

 - 戦争報道

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