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「オンライン・日本史決定的瞬間講座⑨」★「日本史最大の国難・太平洋戦争敗戦からGHQ「日本占領」と「単独講和」を乗り越えて戦後日本の基礎を築いた吉田茂首相の<国難逆転突破力>④』★『76歳でこんどこそ悠々自適の生活へ』★『1963年(昭和38)10月、85歳となった吉田は政界から完全に引退したのです』★『最後までユーモア精神を忘れず』★『享年八十九歳。戦後初の国葬で送られた』』

   

 

  • こんどこそ悠々自適の生活へ

1954年(昭和29)12月、「造船疑獄」で吉田は政権を投げ出しました。すでに七十六歳。神奈川県大磯の三万六千坪という広大な邸宅「海千山千楼」に引っ込んで、悠々の晩年を送ったのです。その名の由来は「訪問者が海千山千の連中ばかりなので……」と彼一流のユーモアで煙に巻いていた。

引退しても、政権運営している吉田学校の教え子たちから、〝元老″に祭り上げられて、大磯詣で政治家、要人は引きも切らずので、その〝リモート.コントロール″が話題となった。

この大邸宅の効用について「このごろは外国からきたお客さんを接待するものがいなくなったからね。以前は三井や住友がやっていた。それを自分が代わりにやっているんだ」!と風刺漫画家・清水箆に語っている。

二階の居間兼書斎からは、吉田の大好きな富士山と相模湾がパノラマのように一望できた。当時珍しかった曲面ガラスを使用したサンルームもあり、どの部屋からも富士山が見えるように設計してあった。この広大な邸宅で、政治の行く末を見守りながら、後添えのこりんと住み込みの執事、コック、看護婦ら六人の使用人と悠々自適の生活を過ごしたのです。

トレードマークの和服、白足袋、葉巻は相変わらずで、新聞は毎日『ロンドン・タイムズ』に目を通し、愛読書は英国のユーモア小説や捕物小説『銭形平次』、食事ではウイスキーとビーフステーキなどを欠かさなかった。

吉田は長い外交官生活から美食家と思われがちだが、そうではなかった。ただ、食には彼一流のこだわりがあり、アルコールは日本酒、ウイスキー、コニャック、ワイン、シェリー酒など何でもござれ。ただし、ウイスキーはジョニーウオーカーの黒、シェリー酒はスペインもの、ワインにもうるさかった。

昔は日本酒一点ばりだったが、酒の肴はウニ、カラスミのたぐいはだめ、サシミも厚いものより薄手を好んだ。八十歳を過ぎてからは、その日本酒もプッツリやめて洋酒党になった。好物は目玉焼き、豆腐、湯豆腐、はんぺん、いもの煮っころがしなどでした。

吉田の長寿は、ひとえにその気概、精神力にある。大久保利通、岳父の牧野伸顕(宮内大臣)の家系からくる国士、「臣茂」と揮ごうした強烈な愛国心です。

西ドイツのアデナウアー首相の「常に何かひとつ、しゃくの種をもっていることこそが、長寿の秘訣だ」との言葉も愛し、「長生きの秘けつ!だって、そりゃカスミを食うことだよ、いや人を食うことだな!」と冗談を飛ばしては、大笑いしていた。

1963年(昭和38)10月、85歳となった吉田は政界から完全に引退したのです。

しかし、〝大磯参り″が政界の流行語になり、静かな楽隠居というわけにはいかなかった。依然、吉田は日本での最高実力者であった。難しい外交問題が最後には持ち込まれ、吉田も老体に鞭打って奔走した。

1964年(昭和39)2月には、日中貿易、政治懸案を処理するため、首相の特使として台湾に飛び、蒋介石とさしで会談して、解決している。その二ヵ月後の四月五日、マッカーサー元帥が亡くなった。周囲が海外旅行で健康を損なうことを心配する中で、直ちに娘の麻生和子を連れて米国に飛び立って葬儀に参列した。何が何でも、「マ元帥の恩義に日本を代表して感謝しなければならぬ」という哀悼の一念からだったのです。

  • 最後までユーモア精神を忘れず

同年11月、赤坂離宮での観菊会に出席。昭和天皇から「大磯は、暖かいだろうね」とのお言葉があった。「はい。大磯は暖こうございますが、私の懐(ふところ)は寒うございます」と答えると、天皇はキョトンとしたまま。従者の説明に天皇もやっと意味がわかり、二人は大笑いになった。

最晩年の一日のスケジュールは朝10時に朝食、ひと休みして庭を散歩、付き人と江ノ島などをドライブし、午後1、2時の昼食は来客との会食、昼寝1時間、夕方散歩、夕日を楽し楽しむ。七時ごろ夕食、九時頃までテレビを見る、午後10時前に就寝となっていた。

吉田はフロ好きだったが、晩年は看護婦たちが心臓の悪化をおそれて入れさせなかった。主治医が、腰をかけたまま両方から持ちあげられるイスに吉田をすわらせ、そのままフロの中に入れたこともあった。

同じ年、人に支えられて歩くのをきらった吉田は階段の上り降りもできなくなった。そのため、邸内にエレベーターを作ることになった。しかし、「来客がうるさくて失礼だ」と吉田がしばしば工事を中断させ、ついに完成しないまま亡くなった。

「白足袋宰相」として有名だった吉田は「患者としてはまことに立派な人だった」と、日本医師会会長を長く務めた武見太郎はその著『武見太郎回想録』(日本経済新聞社 1968年刊)で書いている。

吉田はすべて、自分の知らないことは専門家にまかせるという割りきった考え方をする人で、病気についてもそうだった。 総理大臣当時、いやな問題が起こると、血圧が20や30すぐにとび上がった。あるとき、非常に重大な問題で頭を悩まして、気分が悪いというので血圧を測ったら、最高230で最低が120もあった。そこで武見が、煙草と酒を減らすように注意すると、「こんな面白くない<商売>をしていて、酒やタバコをとめられてたまるものか」と怒った、という。

また、ある日、これからマッカーサーに会いに行くというとき、血圧を測ったら200を越えていた。自分でも少しは気分が悪いというので、降圧剤を注射して見送った。三十分ほどして帰ってきて、マッヵーサーと話していたら声が出なくなった。マッカーサーが非常に心配して、すぐに帰って医者に見せろというので帰ってきたという。血圧の動揺のひどいときは、50ぐらい動くことがあり、総理大臣がいかに激務かを物語っています。

  • 「臨終に間に合いましたナ」

1966年(昭和41)8月、2日ほど胆石のような発作の激痛が起こり、3日目に左肩を貫通するような痛みが走った。武見がかけつけると、もう声がカスれていて、呼吸も苦しそうだったが、武見の顔をみるや、吉田は「臨終に間に合いましたナ」といって笑った。武見は医者になってから何百件も駆けつけて行った先で、こんなあいさつをうけたのは初めてだった、という。

吉田は心筋梗塞で入院した時、娘の和子が見舞いに行って、冗談交じりに、「ヤーィ、とうとう腰が抜けちまったじゃないの」と、からかった。すると、吉田はベッドに臥せたまま「なアに、腰が抜けたんじゃない。やっと、腰がすわったんだ」と言い返して、二人して大笑いになった、こともあった。

 ついに最晩年が訪れた。気分のいい朝は太平洋を望む別邸の高台までこりんと散歩し、ベンチに腰かけて、しばらく相模湾や富士山を眺めながら時間を過ごしていた。岳父の牧野伸顕(大久保利通の二男)は1949年(昭和24)1月に87歳で亡くなっており、「やっと親父の齢に追いついたな」ともらした吉田は1967年(昭和42)十月二十日に大往生した。

享年八十九歳。戦後初の国葬で送られている。

 

 

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