前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

百歳学入門⑤<クイズ>日本の長寿経営者はだれか<農業、食品企業の創業者になぜ長寿者は多いのか>②!?

   

 
百歳学入門⑤<クイズ>日本の代表的長寿経営者は誰か?②

農業、食品企業の創業者に長寿者はなぜ多いのか>
 
                   前坂 俊之
                (静岡県立大学名誉教授)
 
・大正期ではなんといっても松永安左衛門95歳ですね
 
『渋沢亡き後の昭和戦後の財界ご意見番といえば何と言っても「電力の鬼」・松永安左衛門((明治8年1875―昭和46年1971)95歳ですね。
戦後の電力再編をその豪腕で1人で纏め上げた彼の明治、大正、昭和3代の放談録、回想録は無類におもしろいし、リーダー、政治家、ビジネスマンに必見です。人間修養のため、歴史を知る上でも大変役に立ちます。
戦争と災害など幾多の試練を乗り越えた百戦錬磨の松永は太平洋戦争中にはさっさと伊豆の大田舎の山荘にこもって時機を静かに待つ。松永はどうせ戦争では負けて、彼の出番が回ってくることをちゃんとわかっているんですね』
 
ちょうど晩年の始まる65歳から70歳にかけてです。晩年の静かに死期の迫り来る音を聞きながら、国の滅亡とその先の敗戦の大混乱を端然として見守り、思索している。浪人し、隠居して時代が迎えに来るのをじっと耐えながら待つことは本当に難しい。
戦後の電力再編をやり遂げた後、最後に取り組んだのが日本人へ世界史的な感覚を持った歴史遺書を残すことでした。80歳を過ぎてトインビーの『歴史の研究』を原書でよみ、この世界でもっと難解といわれたこの大冊全20巻の翻訳に取り組み、85歳で、自らイギリスまでわたりトインビーと交渉して翻訳権を取得して、翻訳していますよね。
リーダーパワーを持っていた真の経済人として、明治人の気迫と情熱を最後まで持ち続けた。この気概こそ見習う必要がありますね』
 
・出光 佐三も気魄が違う
 
『確かにね、鈍翁松永は最高の経済リーダーでしたが、骨太さ、その独創性、行動力では出光興産創業者・出光佐三(1885―1981)95歳も決して引けをとらない。
「人間尊重」「家族経常」を実践した信念の経営者で、昭和二十八年(一九五三)、メジャーを向こうに回してイラン産石油を電撃輸入に成功した日章丸事件は日本の実業家の壮挙である。経営者としてもっとも充実していた六十代後半のこと。九十歳になっても一向に衰えない元気の秘訣は「指圧と週一回のゴルフ」。指圧は大家から直接指導を受け、前立腺肥大や心臓肥大も自分で治したというから驚く。また、ゴルフは当初毛嫌いしていたが、自分で実際にやってみてとりこになったといいます』
 
 
『今回いろいろ調べてみて気がついたのですが、食品関係の創業者がそろって長寿なことに驚きましたね。世界のラーメン王・安藤百福(日清食品創業者)96歳は自分が作ったカップヌードルを毎日食べたことが長寿になったと言っていますよね。カルピスの創業者・三島海雲は96歳ですし、江崎利一(グリコ創業者)は97歳、カゴメ創業者の蟹江一太郎96歳、磯野 長蔵(キリンビール創始者)93歳などです。
江崎グリコの創業者・江崎利一(一八八二~一九八〇)は「薬(グリコーゲン)よりも保健栄養剤の方が将来性がある」といわれてキャラメルの製造に転換し、「一粒300メートル」「一粒で2度おいしい」のグリコの有名な標語を作って、グリコキャラメルは大ヒットしました』
 
・農業、食品企業の創業者に長寿者なぜ多いのか
 
『このほかにもまだまだたくさんおられる。農業、食品企業の創業者に長寿者が多いのです。杉山金太郎(豊年製油(現・J-オイルミルズ創業者・97)、黒沢酉蔵(北海道酪農の父、雪印乳業創業者・96)、茂木啓三郎(2代)(キッコーマン発展者・94)、美智子皇后の父である正田英三郎(日清製粉発展者・95)、プリンスメロンやアンデスメロンを作った坂田武雄(サカタのタネ創業者・95)、文化納豆など納豆研究の先駆者・半沢淘(まこと)(東北大教授・94)ら、あげるときりがないくらいでやまますが長寿者が多いのですね。これについても近くこの欄でかくつもりですよ。とにかく農林漁業(食品)と環境とは健康ではリンクしている、1つの証拠なのでしょうね)
 
『初恋の味・カルピス創業者の三島海雲(1878-1974、96歳)は早稲田大学を作った政治家の大隈重信の勧めで若くしてモンゴルに渡りその「酸乳」をヒントにカルピスをつくったのです。彼も病弱で30歳以上は生きられないと思っていたのが、強い意志と独自の健康法で驚異の長寿を達成しています。
80歳を過ぎた頃でも、十時間の睡眠、八時間を健康維持に当てて次の5つの健康法を実践していたといいます。
 
①日 光 浴=1年中、夏は朝、直射十分、冬期も朝、直射三十分の後、必ず木蔭などで三、四十分日光浴を続ける。また、拡大鏡を使ってお灸の要領でへソの回りを焼かんばかりの高温で照射するのが三島流の秘訣。
②ローヤルゼリーの服用
③食生活=野菜、果実、海草、牛乳などのアルカリ性の食品をたくさん食べる。
④歩行禅=朝食前に四千歩、夕方も三千歩以上歩く。足が弱ると脳の働きも弱る。
⑤手足の温浴=朝、昼、夕の食前に、手足を四十度ぐらいの温湯で十二、三分間あたためる。就襲前に全身入浴を行ない、足の裏を軽石でこすり老廃細胞を取り除く。
 
これ以外に、歯根の摩擦と他力体操も毎日続けた。とにかく、散歩をなさい。足が弱ると、脳の働きや腰の力まで弱ってくる。腰の力まで弱ってくると、人間もうダメである。頭と足をできるだけ働かす日常生活を実行することです、といっていますね』
 
「カゴメ創業者の蟹江一太郎(1875―1971、96歳)は愛知県の農家の長男として生まれる軍隊に入って、西洋野菜の栽培を勧められ1899年(明治32)西洋野菜の栽培に着手、明治39年には工場を建設し,本格的にトマト栽培とト加工に着手、トマトソース作りを始めた。
何度も失敗をして,トマトケチャップを作った。そしてなんとか栽培できるようになるが、当時日本人にとってなじみの薄い野菜であったため、なかなか売れなかった。メーカーとして現在の「カゴメ」の発展に至るのである。自らもトマトを食べ続けた蟹江一太郎は96歳で他界。トマトが健康にいい事を身をもって証明したケースですね。』
 

 - 健康長寿 , , , , , , , , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

知的巨人たちの百歳学(112)「日本開国の父・福沢諭吉」寿命の長さ【長寿】ですべて良しとせず、平生の心身の働きを大にして、寿量(生涯の質量)を多くせよ。

          知的巨人たちの百歳学(112) 「日本開国の父・福沢諭吉(6 …

『Z世代への歴史の復讐問題』★『日本リーダーパワー史(85) ー日本最高の英雄・西郷隆盛の最強のリーダーシップとは何か(上)』

2010/08/12  /日本リーダーパワー史(85)記事再録編集 < …

「Z世代のための生成AIなどはるかに超えた『世界の知の極限値』ーエコロジーの先駆者、南方熊楠の家族関係』★『父・弥兵衛は遺書(財産分与)に「二男熊楠は学問好きなれば、学問で世を過すべし。ただし金銭に無頓着なるものなれば一生富むこと能わじ。』と記していた」

日本天才奇人伝③「日本人の知の極限値」評された南方熊楠の家族関係  & …

鎌倉海水浴場(由比ガ浜、材木座海岸)のサーファー数百人(7月31日午前700)-台風がそれたので波低し、それでも日曜日とあってサーファーラュシュの賑わい。

前坂俊之チャンネルー湘南海山ブラブラ日記

☆電子書籍で新刊を出版しました。『新聞記者の冤罪: 死刑追求の旅』 (22世紀アート) Kindle版』

☆電子書籍の新刊出版。『新聞記者の冤罪: 死刑追求の旅」 (22世紀アート)&n …

鎌倉鶴岡八幡宮の「さくらロード」(段葛)は三分咲きー外国人観光客でにぎわう(4月2日午後3時すぎ)★『4月5日(土)-6日(日)がほぼ満開だよ』★『2022年4月の段葛サクラロードは超美しい動画掲載』
2025年は太平洋戦争敗戦から80年目となる。今後1年間、日本終戦80年史を振り返り、断続的に連載する。『太平洋戦争の悲惨、無残な敗戦による結末に至る。①』

2015/03/06   記事転載 日本敗戦史(45) 「終戦」という …

『葛飾北斎の「富嶽三十六景」を追跡④―新幹線「のぞみ」下りで静岡県富士駅、富士川通過中の富士山絶景写真」を撮影する』(24年12月23日午前10時半)

 暮れも押し迫り木枯しが舞う今日このごろの12月。湘南から拝む富士山の美姿が青空 …

「知的巨人の百歳学」(145)―『世界史を変えた「真珠王.御木本幸(97歳)の長寿健康法」★『「ないないづくし」の三重県の田舎の海で、日本初代ベンチャービジネス王に輝いた御木本の独創力をエジソンも大絶賛。ノーベル賞級の大発明!』★『ミキモトパールの発明が20世紀・中東の「石油の世紀」きっかけとなった』

世界史を変えた「真珠王.御木本幸(97歳)の長寿健康法」   &nbs …

no image
知的巨人の百歳学(162 )記事再録/「昆虫記を完成したファーブル(92歳)は遅咲き晩年長寿の達人-海、山を観察すれば楽しみいっぱい

    2013/07/30 / 2015/01/ …