百歳学入門⑧<クイズ>歴代天皇で最長寿は昭和天皇ですが、その長寿脳の秘密は何ですか②・・!?
百歳学入門⑧<クイズ>歴代天皇で最長寿は昭和天皇ですが、
その長寿脳の秘密は ②!?
前坂 俊之
(静岡県立大学名誉教授)
Q「トップリーダーという面では、昭和天皇は歴代天皇では最長寿で87歳ですよね」
―「そうです。歴代天皇のなかで、昭和天皇(明治34年〔1901〕4月29日―昭和64年(1989)1月7日)は87歳と最長寿です。在位期間も62年余と歴代最長記録です。激動の20世紀に、東洋の1小国だった日本は大日本帝国にのし上がり、戦争、敗戦、廃墟から再び経済大国としてよみがえる奇跡の逆転を演じました。日本の歴史の中で、奈良時代(84年)、安土桃山時代(約30年)、明治時代(44年)などと比べても、昭和時代がいかに長かったかがわかる。

若冠20歳で摂政殿下として公務を担った昭和天皇は、25歳で即位し、昭和20年の敗戦時は44歳。それからほぼ半世紀。「戦争と平和」の時代を、戦前は現人神(あらひとがみ)として、敗戦直後は戦争責任論が出て、その後は象徴天皇として、日本の復興、発展に大きく貢献してきた。その生涯は前半と後半では180度変わり、一身にして二生、三生を送る波乱万丈の人生です。
世界史をみると、歴代王朝や為政者の栄枯盛衰は世の常だが、戦争に敗れながら、平和時に再び国をそれ以上に発展させ、長期間にわたってそのままトップに君臨した例は数少ない。その意味では世界史の中の1つの驚異であり、天皇であり続けることによる何重ものストレスをいかに克服したのか、その強靭な精神力と健康長寿の秘訣が注目されますね。
昭和天皇の長寿の秘訣は一体どこにあったのだろうか。79歳の時の宮内庁記者会との会見で、昭和天皇は「昔から言っているように、腹八分目、食事を余計にしない、規則正しい生活をすること。医者の意見をよく聞くことと、歩くことだ」(昭和55年9月2日)と答えています。
80歳のときには「特別考えることはないね、79歳から1年たったというだけだよ」と淡々と語り、「(健康法について)特に、秘訣はない。しいていえば、柳に雪折れなしという言葉があるように、自然のまま無理をしないことだ」と答え、在位60年の85歳の時には「医者の意見を尊重し、腹八分目の食生活、適度の運動をして、規則正しい生活につとめること」と同趣旨の回答をしていますね。
もともと、天皇家の食生活は健康長寿を目指す「食養学」に基づく。「身土不二」(環境と体は不可分であり、土地のものを食べるのが健康の源)「一物全体食」(1つのものを丸ごとすべて食べる)という自然食品的な思想、オーガニック(有機栽培)である。天皇家の食材は御料牧場(栃木県塩谷郡高根沢町)などから調達される。この牧場で馬、乳牛、羊、豚、ニワトリなどが飼育され、敷地内には搾乳場、肉加工場などがある。野菜栽培用の農場や水田もあり、オーガニック(有機栽培)で一貫している。食事のメニューはどうなのだろうか。
・天皇家の食事・・
朝食は午前8時からで、昭和天皇はいつもきちんとネクタイと上着を着て、皇后とともに食事された。朝食は毎日かわらず洋食メニュー。オートミールかコーンフレークスに、火を通した野菜料理、サラダの盛合せを一品。これに独自のカルグルト(天皇家独特の牛乳から脂肪分を除いた乳酸飲料)、御料牧場で丹精こめた特製牛乳を毎日飲まれていた。これに、ピーナッツや銀杏を必ず三粒食べるのが習慣だったといいます。
昼食は正午から、夕食は午後6時と決まっていたが、和食と洋食のほぼ交互のメニューとなっていた。昼が洋食であれば、夜は和食、昼が和食なら、夜は洋食になる。一般的には天皇家の食事は毎日ご馳走ばかりと思われがちだが、そうではない。どちらかというと質素で庶民的。ご飯は白米ではなく、長く麦入りのご飯だった。太平洋戦争中から戦後のきびしい食糧難に心を痛めて自身で希望されて、続けていたといいます。
天皇は食べ物や料理の好き嫌いを口にされないが、どちらかというと、うなぎ、天ぷら、中華料理などあぶら濃いものを好まれた。中でもサツマイモ(宮中ではきいもという)やジャガイモ、サトイモなどのおイモ料理が好き。レタスの煮込みなど野菜も大好きで、同牧場で特別栽培されたシイタケの「すり身揚げ」と「シイタケとイカのいため煮」なども好まれた。
魚料理では、意外とサシミ類が少ない。万一、生ものがお腹にさわって公務に差し支えてはとの配慮からで、生水も煮たもの以外は一切飲まれない。魚は小骨までを丁寧に抜いて出された。『目黒のサンマ』ではないが、サンマなどは姿のまま焼いて、天皇にご覧いただいて側で小骨をとって出される。背の青いイワシ、アジなどもお好きだ。
また、お出かけの際にはサンドイッチが大好きで、特にイチゴジャムのサンドがお気に入り。果物ではリンゴ、スイカなど。逆に嫌いな味つけが、酸っぱいもので、酢の物はあまり召し上がらなかった、という。また、お酒は若いときから1滴も飲まれなかった。
昭和48年、72歳のときに、侍医のメモが宮内庁大膳課に保存されており、それによると、「カロリーはそれほど必要ない。脂肪の取りすぎが問題であり、バター炒めの献立などについては減らす、食事後のお菓子類も控える」などの注意書きがあった。
この方針に沿って、「脂肪分や塩分を少なくして、よりあっさりと味つけする」メニューとなった。そして、食事は一日約千六百キロカロリーに抑えられていた。天皇のご年齢からいえばこの数字は妥当といえよう。腹8分を守っておられた天皇は、大体、食事はその三分の二ほどしか食べられなかった、という。
天皇が81歳の時の昭和59年(1984)の1年間のメニューが残っている。メニューの多い年間ベストでは和食はウナギの蒲焼、ワカサギの空揚げ、ウズラのたたき肉のつけ焼が各16回で最も多い、副菜では野菜の油妙めの精進煮 44回、八方煮 32回などの順。洋食では牛繊肉焙焼(牛フィレ肉のロースト) 12回、家鴨酒煮(合鴨の赤ワイン煮) 8回などとなっていたが、大体において質素な食事です。(渡辺誠著『昭和天皇 日々の食』(文芸春秋社、2004年10月刊)
・運動好き、スポーツマンだった昭和天皇
昭和天皇自身は腹8分の食事とともに、運動やよく歩くことを健康長寿で強調されている。天皇は植物や海辺の生物の研究などで著名な学究肌タイプで、もともとスポーツマンというわけではないが、若い頃は、テニス、ゴルフ、水泳、乗馬、登山などあらゆるスポーツを楽しまれた。
平成天皇と皇后のテニスの縁は有名だが、昭和天皇ご一緒にテニスをされている姿をテレビ映像で何度か目にしたことがある。多忙な公務の間にスポーツで体を鍛えて、気分転換にスポーツ、散歩、山登りなどを大いに楽しまれたのです。
お住まいの吹上御所から公務のため、雨の日などは除いて毎朝歩いて皇居の宮殿まで向かう。0分ほど徒歩での出勤が日課である。皇居は東京のど真ん中にあるが、天皇のむやみに人の手を入れぬようにとの方針で、豊かな森と自然そのまま残っている。
ご静養で那須などにお出かけの際は、植物研究や観察で、野山をよく歩かれる。那須では、ひまさえあれば植物の観察に出かけ、これがストレスを発散にもなっていたのであろう。晩年になっても“その健脚ぶり”は驚くほどで、同行した側近や宮内庁記者たちも及ばなかったほどだった、という。
最晩年の昭和63年には那須御用邸に47日間滞在され、その間17回も植物観察に出かけられた。昭和62(1987)9月に病に倒れて腸のバイパス手術を受けてのち退院、その後公務に復帰されたが、翌年9月に再び、病床について百余日の闘病のあと89年1月7日、十二指腸腺ガンのため崩御された。生涯は87年8ヵ月です。」
・日本の最長寿政治家は加藤シヅエ、104歳でしょうね。
『尾崎行雄は63年間の国会議員活動はギネスに認定されていますが、日本の最長寿政治家は加藤シヅエ(1897―2001)104歳でしょうね。加藤は日本初の女性代議士です。大正八年(一九一九)に渡米。ニューヨークでマーガレット・サンガー女史と出会い、産児調節、女性運動に目覚める。労働運動家の加藤勘十と再婚。48歳で長女を出産しています。昭和21年の戦後初めての総選挙で当選した婦人代議士第1号。昭和49年に政界引退まで参議院議員を通した。95歳で、女性の政治スクール名誉校長に就任。98歳で家族計画国際協力財団会長になるなど生涯現役を貫いた。百歳になっても講演会などに出かけて理路整然と、よどみなく講演しており、その頭脳活動は衰えなかった。
加藤ならではの健康法は
① 『一日に十回感動すること』。何事も感謝、感謝で一日を過ごす。親からもらった健康な体にまず感謝。食事では作ってくれた人々に感謝。会ってくれる人々にも感謝。感謝の心を持っていると、ハッピーな気持ちになり、感謝は感動を呼び、頭脳、肉体に刺激を与えてますます健康になる。
②「昼寝は厳禁」。昼寝は夜の睡眠と違い、脳を休ませて脳細胞の衰えを促進するように思えてしない。
③『1日3合の牛乳を飲む』。西洋化した家庭環境で育ったので、子供の時から毎日牛乳を飲んおでおり、晩年も続けた。九十五歳で骨折した際、レントゲンで見ると、医師も驚くほどの骨ぶとだったという。これも牛乳のおかげ。
④『うがいの励行」。演説が命の政治家にとってうがいは習慣。長い間のうがいによって耳、鼻、喉の清潔が保たれ、風邪をひかない、耳が遠くならなかった」。加藤が補聴器がいるようになったのは97歳を過ぎてから、大変なものですね』
・奥むめおは101歳
『主婦連を作った奥むめお(一八九五年―一九九七)は婦人運動の草分けの1人、百一歳まで後進を育成しましたね。平塚らいちょう、市川房江ら女性運動家は長寿の人が多い。 奥むめおは日本女子大学を卒業、「良妻賢母」に嫌気がさし、〝女工哀史 の工員になった働く。平塚らいてうにさそわれて市川房枝とともに、新婦人協会を作って、婦人参政権と母性保護運動をおこなった。 戦時中は国の〝産めよ増やせよ″に対して、〝産むも産まぬも女の自由〝を叫び、戦後の第一回の初の参議院議員選挙に当選した。五十三歳の時である。されから半世紀時、主婦連の先頭に立って、「くらしのつらさは政治の悪さからくる、わたしたちの自覚の足りなさからくる」と引っ張っていったエネルギーはたいしたもんですね』。・政治ジャーナリスト・徳富蘇峰は94歳、日本1の著作家
『政治家ではないですが、明治、大正、昭和と3代にわたって政治指南役を務めた言論人、新聞人の徳富蘇峰(1863―1957)94歳と最後まで書き続けていますね。近代日本の精神的縮図ともいってよい蘇峰は三代70年にわたり膨大な量の著作をものにしています。昭和35年11月、94歳で亡くなる直前まで、毎日執筆しており、驚くほどエネルギッシュです。
ライフワークの「近世日本国民史」を 大正七年、五十六歳で 「国民新聞」に連載を開始し、昭和十五年、七十八歳で一万回を突破し、毎日毎日書き続けて34年間、ついに昭和二十七年四月、九十歳で『近世日本国民史』全百冊を完成しています。 個人が書いた歴史書ではこれが日本ばかりではなく、世界でも最長編であり、このほかにも数百冊の著書があるという超人的な著作活動で、それを可能にしたのは94歳という長寿と旺盛な生命力です。この創作の秘訣は「原稿より健康、体力第一」だと本人も力説していますね。その蘇蜂はこころの持ちようとして
① 朝起き、読書、富士の山、律義、勉強、愚痴をいわぬこと。
② 必要以上に思い悩んで精力を消耗しない。
③ 過ぎ去ったことにはくよくよしない。
④ まだ起きもしないことを想像して取越し苦労をしない。
―をあげて、『この世に本がなかった、今日の寿命は保てなかった』と述懐し、83歳で敗戦という最大の苦難にぶつかりながら、大著作を完成できたのも、読書と周りの看護と支援があったからだと感謝していますね』
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