前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

記事再録/『中国/内モンゴルのゴビ沙漠の不毛の砂漠を300万本のポプラの木を植えてと緑の農地によみがえらせた奇跡の男・遠山正瑛(97歳)★『中国で、生前銅像が建てられたのは毛沢東と遠山の2人だけで、その台座には「90歳の高齢ながらたゆまず努力し、志を変えなかった」』

   

 

  2009/05/06  世界が尊敬した日本人(50)

 

中国の不毛の沙漠をよみがえらせた奇跡の男・遠山正瑛(97歳)の感動物語

         前坂 俊之(静岡県立大学国際関係学部教授)

 

地球温暖化、沙漠化対策が世界の緊急課題となっている今、中国・ゴビ沙漠の不毛の大地に300万ものポプラの木を植え、緑をよみがえらせた奇跡の男・遠山正瑛が注目されている。         

遠山正瑛は1906(明治39)年12月、山梨県富士吉田市に生まれた。1934年、京大農学部を卒業後、外務省の国費留学生として中国に農業研究にわたった。広大な沙漠を知るとともに、黄河の大洪水で農地も家屋も流された農民の悲劇に衝撃を受けた。一九三七(昭和12)年、北京郊外で日中戦争が勃発した。遠山は中国軍からスパイ容疑で拘束されたが、車で命からがら脱出して帰国した。鳥取大学農学部教授となり、鳥取砂丘で砂地農業に取り組んだ。「不毛の沙漠で農作物はできない」という常識を打ち破って、スプリンクラーを日本で初めて導入し、メロン、イチゴ、ブドウなどの高級果物の栽培に成功した。「国立沙漠研究所」を設立して所長を務め、日本の砂地農法、砂漠緑化の第一人者となった。

095301383965

 1972年、65歳で同大学を退官した遠山は中国の沙漠緑化に本格的に取り組んだ。人口13億の中国は国土は日本の25倍だが、耕地面積はわずか11%しかかない。しかも沙漠面積は日本の4倍、毎年、東京都の面積が沙漠化しており、100万人以上の農民が土地を失い、食糧難が年々深刻化していた。 

遠山の沙漠緑化への情熱は2千年以上の日中友好の歴史ともに、日中戦争などの侵略に対して賠償を一切求めず、逆に旧満州の残留孤児を親身に養育してくれた感謝と贖罪、恩返しの気持ちからであった。

遠山は中国に何度もわたり、「砂漠緑化は食糧増産につながり、戦争を防ぎ、世界平和への道だ」と要人たちを説得して回ったが、「不可能ことだ」と相手にされなかった。「やれば、出来る。やらなければ、出来ない。続けさえすれば、いつかは成功する」と遠山は日本でボランティアを募り、募金を集めて、苗を買って独自に植栽に取り組んだ。

昼は気温40度を突破する沙漠は、夜はマイナス10度にもなって凍てつく。沙漠に強く根が短期間に1mも伸びるくずを黄河流域に何万もタネをまいたが、遊牧の羊に食べられて失敗した。今度は成長の早いポプラの木を植えて牧柵をつくって、羊を防ぎ、砂防と緑化の1石3鳥の作戦を考えた。内蒙古自治区のゴビ沙漠に1本1本、ポプラ木を植え続けた。これには中国人も驚き、アリがゾウに立ち向かうようなものとあきれて見守っていた。

1991年、やっと中国科学院も協力を示し、遠山も「日本沙漠緑化実践協会」を設立し、内蒙古自治区クブチ沙漠で本格的にモデル地区を作って取り組むことになった。この時、遠山は84歳。1年のうち300日近くも現地でテントに寝泊りしながら毎日10時間以上も黙々と植え続けた。

「地球環境も食糧問題も日中は運命共同体」との遠山の熱心な呼びかけに、日本側のボランティア、献金が続々集まり、10年間に延べ7千人が砂漠との戦いに海を越えた。1995年8月にポプラの植林は累計でついに100万本を突破、98年には200万本、2001年12月には300万本を達成し、不毛の地は立派なポプラの並木と緑の農地によみがえった。

まさに、「愚公、山を動かす」、奇跡がおこったのである。江沢民前国家主席は、遠山と二度にわたり会見し、砂漠緑化への貢献を高く評価した。現地では遠山に感謝して銅像が建てられた。中国で、生前銅像が建てられたのは毛沢東と遠山の2人だけという。その台座には「90歳の高齢ながらたゆまず努力し、志を変えなかった。」 と讃えている。

2001年、国連「人類に対する思いやり市民賞」を、2003年にはアジアのノーベル賞「 ラモン・マグサイサイ賞」を相次いで受賞した遠山は「満足とは、自分が金持ちになり、財産や、名誉、地位を持つことではありません。生きている間は世のため人のために尽して、一人でも困っている人を救うことです」と語っている。「奇跡の人」遠山は2004年2月、97歳で亡くなった。

 tttp://www.yafo.or.jp/letter/pdf_new/vol147_1.pdf

 - 人物研究, 健康長寿, 戦争報道, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争』㉔『開戦2ゕ月前の「ロシア紙ノーヴォエ・ヴレーミャ」の報道ー『ロシアと満州』(その歴史的な権利と経過)『1896(明治29)年の条約(露清密約、ロバノフ協定)に基づく』●『ロシア軍の満州からの撤退はなおさら不可能だ。たとえだれかが,この国で費やされた何億もの金をロシア国民に補償金として支払ってくれたとしても。』

 『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争』㉔『開戦2ゕ月前の   19 …

no image
日本リーダーパワー史(93)尾崎行雄の遺言・日本の派閥政治を叱る、『元老は去れ,政権を返上すべし』

日本リーダーパワー史(93) 尾崎行雄の遺言・日本の派閥政治を叱る、元老は去れ …

no image
終戦70年・日本敗戦史(65)徳富蘇峰が語る『なぜ日本は敗れたのか』⑮ 日本は官学の形式、独善教育によって亡んだ。

 終戦70年・日本敗戦史(64) A級戦犯指定の徳富蘇峰が語る『なぜ日本は敗れた …

no image
●<記事再録>巨大地震とリーダーシップ①3・11から5年目に熊本地震発生―危機突破の歴史リーダーシップに学ぶ①関東大震災と山本権兵衛、渋沢栄一

2011/04/06―日本リーダーパワー史(137) (再録)関東大震災での山本 …

no image
「日韓衝突の背景、歴史が一番よくわかる教科書」➂ベルツの『日本・中国・韓国』五百年の三国志② <日清・日露戦争はなぜ起こったのか>

日本リーダーパワー史(306)ベルツの「日中韓500年史②」『朝鮮が日本に併合さ …

no image
速報(275) ◎『除染作業を見た双葉郡広野町_』 『原発事故1年_Jビレッジ周辺_』 『2号機水位 格納容器底から60センチ 」

 速報(275)『日本のメルトダウン』  ◎『除染作業を見た …

no image
百歳学入門(171)-『生死一如ー 鈴木大拙師(96歳)を偲んで』★『敢えて、今日から明日へ、来年また来年と、将来に希望をかけることが私の九十三歳の健康法だ』●『特別に健康のことを考えて暮らすわけではないが、わしは過去のことは考えんな。いつも未来のことを考えておる。あれをしなくてはならぬ、これをしなくてはならぬとな』

 百歳学入門(171)-生死一如   鈴木大拙師(96歳)を偲んでー敢えて、 今 …

no image
日本リーダーパワー史(366)<まとめ・正木ひろし>生涯かけて司法の正義、人権擁護のために戦った最高の人権弁護士

 日本リーダーパワー史(366)   <まとめ・正木ひろしに …

no image
速報『日本のメルトダウン』(3・11)を食い止めるぞ、10日目ーガンバレ・日本!④

速報『日本のメルトダウン』(3・11)を食い止めるぞ、10日目ーガンバレ・日本! …

no image
速報(452)●『米国が日本との貿易協定を支持すべき理由」●『今の日本の経営者は、しょうもなさすぎる』

 速報(452)『日本のメルトダウン』   ●『米国が日本と …