前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

<屁(おなら)のような昭和史>浜口雄幸、吉田茂

      2015/01/02

               2007年6月10日、    雑誌「本」に掲載      
 
<屁(おなら)のような昭和史>
                               
  前坂 俊之
                        静岡県立大学国際関係学部教授)
 
昭和史はおもしろい、昭和史の新聞を読むのはもっとおもしろい。1930(昭和5)年十一月一四日。金解禁を実施した浜口雄幸首相、彼こそは小泉前首相の先輩に当る元祖 “ライオン宰相”である。
 
 
浜口は官吏減俸(国家公務員の減俸)法案を提出するなど行政改革に熱心に取組み、その政治姿勢、風貌では小泉と瓜二つだが、この日、浜口首相は東京駅で右翼の青年にピストルで狙撃された。浜口はひん死の重症を負ったが、『男子の本懐』ともらした言葉が一躍、流行語となった。このテロの一発がわが国の軍国主義への号砲ともなった。
 
 
銃弾はヘソ下から入り、小腸に達していたが、手術は成功し一命をとりとめた。浜口番の記者たちは東大病院にテントを張って経過を見守った。ところが、主治医の顔色がさえない。腸がつながったことを示す〝オナラ〟が出ないのだ。「腹膜炎併発の兆候、首相の容体悪化す、生命を左右するガスの排出」「全世界が待ち焦がれるガス1発」(『読売』15日付)と、新聞各紙トップにデカデカと「屁」「オナラ」の見出しが踊った。
「ガスはまだか…」 
「オナラは出ないのか…」
 記者団と主治医の〝屁問答″が続き、国民もカタズを飲んで〝総理の一発″を今か、今かと待ち望んだ。三日目。疲れた切った記者団のテントに秘書官が大喜びで飛び込んできた。「バンザイ、やっと出たよ。大きなガスが…」
 
17日午前一時過ぎ。ベットの浜口は二度続けて『ブーツ、ブーツ』と〝大号砲〟を放った。まさに日本、世界中が待ちにまった起死回生の〝一発“。「ガス1発のよろこび」(『大阪朝日』19日付)、『首相の屁1つ、円為替を煽る』(『大阪毎日』20日)。
 
この屁で上海の円為替は一挙に上がった。関係者も大喜びで、「寒月やライオンの屁にゆらめけり」「屁1つ秋の世界の晴れ渡る」『秋の夜や天下にひびく屁1つ』とへたな祝福の川柳を詠んで、読者は屁に一喜一憂して笑い転げたのである。
しかし、浜口はこの傷の直りが悪化して、翌年八月二十六日、ついに不帰の客に。この3週間後に、関東軍の満州・柳条湖での1発が満州事変の号砲を告げることになる。
 
 
国家の悲劇と喜劇、歴史の因果はめぐりめぐって興味は尽きない。この浜口の入院で臨時首相代理となったのが幣原喜重郎で、ロンドン軍縮会議の統帥権をめぐる国会答弁をめぐって紛糾し責任追及された。
「英米派」の幣原は、若槻内閣でも外相を務めるが、その後は政界から姿を消してしまう。この当時の外務次官が吉田茂である。
 
吉田は幣原とはそりが合わなかった。幣原は英語の達人で、実務にも明るく神経質なのに吉田は英語がダメで、万事おおらかなタイプ。幣原は欧米のエリートコースを歩いたのに比べ、吉田は中国通とまるで反対。幣原は吉田が目を通したものでも、すみずみまでチェックし、全面的に書き直した。
ある時、幣原外相が吉田の決裁したものに朱筆を加えたのに、吉田はカンカンに怒った。「今後は局長の次に大臣に見せたまえ、最後に僕が見る。信用できない次官の印など捺すだけムダ」と言った。以後、省内では「吉田大臣、幣原次官」と呼ばれた。
 
幣原は1946(昭和20)年10月、首相としてカムバックし、吉田も外務大臣となり、吉田と幣原の関係はガラッと変わった。吉田が幣原を終始立てて、協力してことに当たった。
 
吉田は「外務省時代は冷や飯ばかり食わされていましたから、ムシの居所が悪かったんで、上司に立てついてばかりいました」と振り返る。吉田は戦後、芦田均首相とも終始、意見が対立したが「芦(あし)も葦(よし)ももともと同じもの。心がけが悪ければ〝悪田〟、良ければ〝吉田〝になる。理の当然ですよ」と記者を煙に巻いた。
 
昭和史最大のパラドックスは1934年(昭和11)の2・26事件である
 
このとき、クーデターを起こした陸軍若手将校の反乱部隊は首相官邸など政府要人を次々に襲撃し高橋是清蔵相、斎藤実内大臣は暗殺され、鈴木貫太郎侍従長は瀕死の重傷を負った。全身に銃弾を浴びて虫の息の鈴木は最後のトドメを指される寸前にたか夫人が身を呈して兵士を制止した。この武人の妻の一言が無ければ間違いなく鈴木は絶命していた。この時、確かに鈴木の心臓は1時、停止していたが、奇跡的に一命を取り留める。
 
 
この1度死んだはずの鈴木が昭和20(1945)年4月、太平洋戦争最後の土壇場で、昭和天皇の「頼む」の一言で77歳の老体に鞭打って首相に就任、戦争の幕引き役に登場し、終戦の「聖断」を引き出すことになる。
 
 
昭和史は汲めどもつきぬ興趣があり、それを現場で記録した新聞をよむのはスリリングでおもしろい。

 - 人物研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

『オンライン講座/真珠湾攻撃から80年➄』★『 国難突破法の研究➄』★『ハワイ・真珠湾攻撃は山本五十六連合艦隊司令長官の発案だった②」

  2010/06/28  日本リーダー …

『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ(15)』『オーストリア・ウイーンぶらぶら散歩➁』郊外の「ハイリゲンシュタット(Heiligenstadt)」で ベートーヴェンを偲ぶ』

   2016/05/17『F国際ビジネスマンのワ …

『オンライン/日本長寿学講座』★『世界最長寿のギネス芸術家は平櫛田中翁ではないのか!?』★『日本超高齢社会』のシンボル・彫刻家・平櫛田中翁の気魄に学ぶー今やらねばいつできる、わしがやらねばだれがやる』★『50,60洟垂れ小僧、70,80男盛り、100歳わしもこれからこれから!』

 2019/03/02  「知的巨人の百歳学」(1 …

『Z世代のための米大統領選挙連続講座⑤』★『トランプ氏暗殺未遂事件の衝撃(7月13日)★『トーマス・クルックス容疑者(20歳)犯行のプロセス』★『1インチの奇跡が歴史を変えた。助かったトランプ氏』

前坂俊之(ジャーナリスト) トランプ前大統領の暗殺未遂事件を見た瞬間、私は60年 …

no image
日本リーダーパワー史(370)緊急動画座談会ー国際通貨経済戦争で安倍内閣はルビコン河を渡った。<ナローパス>を突破

日本リーダーパワー史(370)   <緊急動画座談会> 国際通貨・経済 …

『オンライン百歳学入門講座』★『一怒一老、一笑一若、少肉多菜 少塩多酢 少糖多果 少食「多岨(たそ)この字が正確 、少衣多浴 、少車多歩 少煩多眠 少念多笑、少言多行 少欲多施(渋沢秀雄)』★『世界最長寿の122歳を全うしたフランス人女性/カルマンさんの健康長寿法とは』

  2010/01/21 百歳学入門(3)記事再録 前坂 俊之 &nb …

『Z世代のための天皇論講座』★『日本リーダーパワー史(199)『約110年前の日本―「ニューヨーク・タイムズ」が報道した大正天皇―神にして人間、即位とともに神格化』(上)再掲載

2011/10/16  日本リーダーパワー史(199) 『ニューヨーク …

no image
歴代最高の経済人は誰か①ー『欲望資本主義を超克し、21世紀の公益経済学を先取りしたメッセの巨人』三井、三菱、その他の実業家より偉大な財界人・ 社会貢献の偉大な父・大原孫三郎から学ぶ③

『単に金もうけだけしか考えない人間が多すぎる、そんな拝金亡者が 世界中で地球の有 …

no image
オンライン講座/日本は新型コロナパンデミックを克服できるのか(上)』★「インド変異株で五輪開催か、中止の瀬戸際に(上)」★『「死に至る日本病」の再来か』★『3度目緊急事態宣言再延長(5月末)』★『死に至る日本病」の再来か』(5月15日までの状況)★『菅首相のリーダーシップとインテリジェンス(見識)』★『SNS上で「玉砕五輪!」「殺人五輪」の非難合戦』

  「インド変異株で五輪開催か、中止の瀬戸際に」   前坂 …

Z世代への遺言「東京裁判の真実の研究②」★『敗戦で自決した軍人は一体何人いたのか』★『東京裁判ではA級戦犯の死刑はわずか7人、BC級裁判では937人にものぼり、下のものに圧倒的に重罰の裁判となり、「復讐の裁判」との批判を浴びた』★『戦陣訓』で、捕虜になるより自決を強制した東条英機の自殺失敗のお粗末、無責任』

『リーダーシップの日本近現代史』(124)ガラパゴス日本『死に至る病』 &nbs …