『世界が尊敬したスーパー日本人』ー『世界議会史上最長のギネス政治家(議員生活六十三年)の尾崎行雄(咢堂)
『世界が尊敬したスーパー日本人』
世界議会史上最長のギネス政治家〔議員生活六十三年〕の尾崎行雄(咢堂)
連載28回『歴史読本』(2007年10月号)
今年(2007年)は参議院発足から六十年。グローバリゼーションに翻弄される日本で、今最も必要とされるのは、国際的に通用する真の政治家である。第一回衆院選挙から六十三年間議席を持ち続けた、世界議会史上最長のギネス政治家・尾崎行雄が再び脚光を浴びている。
尾崎行雄(尾崎咢堂)は一八五八年(安政五)、相模国津久井県(現・神奈川県相模原市)に生まれた。新聞記者、東京府会議員のあと、一八九〇年(明治二十三)七月のわが国初の総選挙で当選。以来、連続当選は二十五回、昭和二十八年まで六十三年間にわたって議員生活をおくり、日本の「議会政治の父」「憲政の神様」と謳われている。
尾崎は自由主義者で、立憲政治を打ち立てることに情熱を注ぎ、明治、大正、昭和の三代にわたって政党政治の敵であった藩閥政治や官僚政治、軍閥政治と体を張って戦った。犬養毅(つよし)と並ぶ議会を代表する雄弁家として鳴らしたが、尾崎の演説は筋道が通っていてわかりやすかった、とわれる。
1906年(明治三十九)には、尾崎三良(さぶろう)とイギリス女性との間に生まれたテオドラ夫人と再婚した。英国や米国での海外生活、外遊経験が長く、こうした国際的な視野の中でその政治思想は形成された。
尾崎が華々しく活躍したのは、大正期のいわゆる大正護憲運動で、「彼らは口を開けば忠君愛国をとなえるが、常に玉座の陰にかくれて政敵を狙撃する」と火を吐くような内閣弾劾演説を行い、藩閥政治の象徴だった桂太郎内閣を総辞職に追い込んだ。以後、犬養と並んで「憲政の二柱」と讃えられた。
〔桜に託した日米友好〕
「日米をかける友好の桜」として、米国ワシントンのポトマック河畔に桜を贈った。衆院議員と兼務した東京市長時代の明治四十五年に、タフト米国務長官夫人から「桜の木を贈ってほしい」と要望があった。日露戦争での米国の多大な援助に対する感謝の気持ちもこめて、尾崎は三千本の桜を贈った。これがりっぱに成長し、今では日米友好のシンボルとなった。
尾崎は「政は正なり」という言葉を愛し、一貫して良心と道理と正義にのっとって政治を行ってきた。政治生活も、ただ長ければよいというものではない。問題は何を行ったかで、尾崎は二つの「ふせん」「普選」(普通選挙運動)と「不戦」(軍縮・平和)にその政治生命をかけた。
大正期では「普選」運動の先頭に立ち、これを実現。昭和に入って軍部ファシズムが高まってくると、軍縮を叫び、軍国主義に反対、武力を排する平和主義、国際主義を主張した。
齢(よわい)七十歳を超えても、尾崎の気力は一向に衰えをみせず、軍部をきびしく批判し続けた。昭和7年の五・一五事件で僚友の犬養がテロに倒れた後は、ただ一人体を張って、軍部ファシズムに抵抗したといってよい。
〔復活した「憲政の神様」〕
一九四二年(昭和十七)四月、東条首相の翼賛選挙を激しく批判し、その中止を求めた公開質問状を送った。友人の応援演説で「売り家と唐様(からよう)で書く三代目」という川柳を引用したことが、天皇に対する不敬罪に当たるとして起訴され、八十四歳で巣鴨刑務所に拘置された。
45年(昭和二十)八月、予言通りの敗戦、そして亡国。尾崎は八十六歳だったが、戦後は一躍「憲政の神様」「護憲の神様」として復活して、マスコミから一大脚光を浴びた。終戦後初の議会では、第二次世界大戦の教訓を生かして「世界連邦論」をいち早く唱え、新憲法に盛り込まれた民主主義のルールには、尾崎の長年にわたる主張が取り入れられた。
1950年(昭和二十五)五月、講和条約締結に向けて米世論の支持をもとめるグルー、キャッスルら新旧の米駐日大使らが集まった「日本問題審議会」から招待され、九十一歳の尾崎は渡米し四十日にわたって米国に滞在し、各地で大歓迎を受けた。ニューヨークではグルーや湯川秀樹ら約二百五十人が集まり、大歓迎会が開かれ、ここでも世界連邦論をぶって『ニューヨークタイムス』『ニューズウィーク』などのマスコミは尾崎を「日本の良心」と費えた。
昭和二十八年四月の総選挙では落選し、ついに九十四歳で議員生活にピリオドをうった。そして翌年十月、九十五歳で亡くなったが、世界から最も評価された政治家であった。
近現代史の復習問題/記事再録/日本リーダーパワー史(82)尾崎行雄の遺言「日本はなぜ敗れたかーその原因は封建思想の奴隷根性」
http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/33677.html
近現代史の復習問題/記事再録/日本リーダーパワー史(87)-『憲政の神様/尾崎行雄の遺言/『敗戦で政治家は何をすべきなのか』<1946年(昭和21)8月24日の尾崎愕堂の新憲法、民主主義についてのすばらしいスピーチ>
http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/33650.html
近現代史の復習問題/記事再録/日本リーダーパワー史(498)-『 2018年は明治維新から約150年、大東亜戦争(アジア太平洋戦争)から73年目を前に― <日中韓の対立激化を戦争へ発展させるな!>
http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/33629.html
近現代史の復習問題/記事再録日本リーダーパワー史(236)ー<日本議会政治の父・尾崎咢堂が政治家を叱る。 日本一の政治史講義を聞く①>「150年前の明治中期の社会、国民感情は、支那(中国)崇拝時代で元号を設定し、学問といえば、四書五経を読み書きし、難解な漢文を用い、政治家の模範の多くはこれを中国人に求めた」
http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/33620.html
関連記事
-
-
日本の「戦略思想不在の歴史」⑷『日本で最初の対外戦争「元寇の役」はなぜ起きたか④』★『 文永の役はモンゴル軍の優勢のうち、『神風』によって日本は侵略から助かった』
文永の役はモンゴル軍の優勢のうち、『神風』によって助かった。 1274年(文 …
-
-
巨人ベンチャー列伝ー石橋正二郎(ブリジストン創業者)の名言・至言百選ー『遠きを謀る者は富み、近きを謀る者は貧なり。』
巨人ベンチャー列伝ー 石橋正二郎(ブリジストン)の名言、確言、凡語百選ー 『遠き …
-
-
『日本敗戦史』㉛『太平洋戦争敗戦70年目―ポツダム宣言を即座に受諾する政治決断力がなく終戦までの3週間 に50万以上が犠牲に。
『ガラパゴス国家・日本敗戦史』㉛ 『来年は太平洋戦争敗戦から70年目― …
-
-
「トランプ関税と戦う方法論⑭」★『日露戦争勝利と「ポーツマス講和会議」の外交決戦始まる②』★『その国の外交インテリジェンスが試される講和談判』★『ロシア側の外交分裂ー講和全権という仕事をウイッテが引き受けた』
2022/04/07/ オンライン講座/ウクライナ戦争と …
-
-
終戦70年・日本敗戦史(80)戦後70年―決して忘れてはならないマッカーサー、蒋介石の寛大な処置③
終戦70年・日本敗戦史(80) 戦後70年―決して忘れてはならない敵国の寛大 …
-
-
歴史秘話「上野の西郷さんの銅像はこうして作った」「西郷さんと愛犬」の真相ー彫刻家・高村光雲が語る。
「上野の西郷さんの銅像はこうして作った」-彫刻家・高村光雲が語る。 銅像「西郷 …
-
-
『池田知隆の原発事故ウオッチ⑳』◎「地熱発電」の開発を急げ―地熱資源立国にむけた規制緩和を―
『池田知隆の原発事故ウオッチ⑳』 『最悪のシナリオから考えるー「地 …
-
-
人気リクエスト記事再録 『百歳学入門(186 )』-百歳長寿社会へのお手本『世界ベストの画家・葛飾北斎(90歳)の創造力、晩年学こそ長寿力』★『北斎こそ世界を席巻した「ジャポニズム」「ジャパンアニメ」「ジャパンクール」の元祖である』
2011年1月15日執筆<超高齢社会のモデル> 世界ベストの画家・葛飾北斎―90 …
-
-
『オンライン/鎌倉ウインドサーフィン動画』★『鎌倉材木座の青春の輝き』(2020/11/22)★『太陽がいっぱいの青い海にカラフルでキラキラ輝くウインドサーフィンの美しいチョウチョの舞が見えた。
鎌倉材木座の青春の輝き(2020/11/22am11)-太陽がいっぱいの青い海( …
-
-
『Z世代のための百歳学入門』★『ブリヂストン創業者 ・石橋正二郎(87歳)の『「よい美術品を集める」「庭を作る」「建築設計をやる」この3つの楽しみを楽しむことが私の健康法』★『 石橋の経営名言20選『遠きを謀る者は富み、近きを謀る者は貧なり』
2015/08/19 知的巨人たちの百歳学(115)記事再 …
