陸羯南の日清戦争論⑤日清、日露戦争の原因は『韓国は中国の属国にあらず』

By: See-ming Lee
陸羯南(くがかつなん)の日清戦争論⑤
韓国問題が日清、日露戦争の原因―明治初年から
日清(日中)外交、日朝(日韓朝)外交の年表
『我東洋問題の起因』⑤―韓国は中国の属国にあらず
1891年(明治24)、東邦協会創立総会で清国公使・李経芳、朝鮮公使・李鶴圭
も来会。席上、清公使が「東邦というは貴国(日本)と弊邦(中国)とあるのみ」
と語ると、韓公使は起って『日清韓の三国がある』と反論する騒ぎがあった。
東邦協会はこれより注目された。
陸羯南(くがかつなん)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E7%BE%AF%E5%8D%97
『我東洋問題の起因』 【日本】明治27年11月13日号
帝国議会は23年末より24年始に至るまでその最初の実演を示せり。条約改正の業、また青木外務大臣に因り善後策として計画せられつゝあり。世人は此の二大事に向ひて幾許の希望を属したるか、
吾輩は唯々、その失望の色を見る。内に私党人の闘争あり、外に居留人(外国人)の運動あり、立憲法政治、対等条約は区々たる手段を以てその真相を現し得べからじとは、眼孔の大なる者皆、これを思うに至れり。
明治24年は実に我東洋問題が動き始めた時代である。我が『日本』は創刊の初より日本国民をして、その天賦の任務を尽すことを目的とす。この目的を達する手段としては国の統一、特立を主張するべきであると信じたり。
東洋問題の実演は内に私党人の卑念を消ぜしめ、外に居留人の驕心を消ぜしむるに足る。統一及特立はここに至りて自ら現はる。憲法及条約の効は斯くの如くして完きを得べし。24年は啓端時代なり。
○明治24年2月、新任の清国公使李経芳
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E7%B5%8C%E6%96%B9
来りて東京に駐在す。
李経芳は李鴻章の養子にして、夙に西洋東洋の事情に通じ称して俊才と為す。世に伝ふ、新公使は琉球問題を以て来ると。
同三月、我国の儒士・鄭某なるもの、密書を清国公使・李経芳に贈りて、日本官民内訌(ないこう=内部の乱れ。内部の騒ぎ。うちわもめ。内紛の意味)の甚しきを告げ、乗じて以て制すべきを言う。その書の本文は『日本』が獲てこれを公にす。一時、喧伝皆な鄭の売国心を責む。
同4月、横沢居留外人等は日本の条約改正に反動して、その意志を発表し、中には日本の裁判に従い難きをいいすこぶる忌憚(きたん=いみはばかること。きらいいやがること)なし。この月、
故西郷南洲未死の風説『日本』に載す。街巷相告ぐ。
同五月、露国(ロシア)皇太子東洋に来遊し、前月清国より我国に来り、京都を経て大津に至るや、狂漢あり皇太子を傷く。海内騒然たり。
同六月、清国長江一帯の地方に哥老会の徒起りて乱を作し(太平天国の乱)
https://www.google.co.jp/#q=%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E5%A4%A9%E5%9B%BD%E3%81%AE%E4%B9%B1
キリスト教師を殺傷す。在清各国公使は相い議して北京廷に迫り、その処分を促す。わが公使もまた其の事に与りしという。
同7月、『東邦協会』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E9%82%A6%E5%8D%94%E4%BC%9A
なるもの起り、その創立総会を東京・富士見軒に開く。清国公使・李経芳、朝鮮公使・李鶴圭もまた来会す。席上清公使が起って「東邦といふは貴国と弊邦とあるのみ」と語り。韓公使は更に起って『日清韓の三国がある』という。この事は頗る会衆の耳目を惹く。
東邦協会此より注視される。
凡そこの歳上半期に生じたる事実を総括して一覧するときは、その事の原因は各各異なるに拘らず、皆な国民の対外心を鼓舞する者ならざるなし。
是よりさき露国はアジアに向いてシベリア鉄道を計画し、将に此歳を以てその黒竜部より工を起さんとす。事すこぶる英国の東洋政略に一大恐慌を与えたり。英国の策は清国を利用してロシアの東侵に当らしむるに在りとすれば、清廷が朝鮮に益々その勢力を張らんとするに至れること固より自然なり。
故に当時、吾輩は断じて曰へり、李公使の来任に琉球問題を伴へるということ恐くは事実ならん。彼れこの問題を賭けて朝鮮における権利を専有せんとするなり。彼れは我れの能く為す無きを思えり。議会の開設は彼れの眼より見れば内訌の兆なればなり。
関連記事
-
-
日本リーダーパワー史(647)日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(40)<国難『三国干渉』(1895年(明治28)に碩学はどう対応したか、 三宅雪嶺、福沢諭吉、林ただすの論説、インテリジェンスから学ぶ』(1)『臥薪嘗胆論』①<三宅雪嶺〔明治28年5月15日 『日本』〕>
日本リーダーパワー史(647) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』 …
-
-
『Z世代のための<日本安全保障史>講座③」★『明治の富国強兵/軍国主義はなぜ起きたのか』★『明治政府が最初に直面した「日本の安全保障問題」は対外軍備を増強であり、ロシアの東方政策に対する侵略防止、朝鮮、 中国問題が緊急課題になった』★『現在の対中国・韓国・北朝鮮問題の地政学的ルーツである」
2015/11/25/日本リーダーパワー史(612)日本 …
-
-
★<人気リクエスト記事再録 2009/02/10>昭和戦後最大の冤罪事件の真犯人が語る『全告白・八海事件-これが真相だ(下)サンデー毎日1977 年9 月18日掲載』★『異常に発達した自己防衛本能』★『検事が書く台本を覚えて法廷に』★『法廷なれで度胸が一層つく』
八海事件の真相 (下) サンデー毎日1977 年9 月18日掲載 異常に …
-
-
速報(124)<座談会・フクシマの教訓①>『事故原因、原子力村、事故処理、低線量被爆など徹底討論する』(上)
速報(124)『日本のメルトダウン』 <徹底座談会・フクシマの教訓 …
-
-
日本リーダーパワー史(694)(再録)-150年、日中友好、対立、戦争の歴史裏面史ー 「五百年に一人しか出ない男」ー日清貿易研究所を設立した荒尾精
日本リーダーパワー史(694) (再録)-150年、日中友好、対立、戦争の歴史裏 …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史(15)人気記事再録/『日本の最強の経済リーダーベスト10・本田宗一郎の名語録
記事再録/日本リーダーパワー史(80) 日本の最強の経済リーダーベスト10・本田 …
-
-
『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ(101)』「パリぶらぶら散歩(2015 /4/30-5/3)★『パリ・オペラ地区の大衆レストラン、シャルティエは 百年以上パリ市民から愛されてきた名店,銀座にこんな居心地のいい親しみやすい店はない』
逗子なぎさ橋珈琲テラス通信(2025/10/11/am700) &n …
-
-
日本リーダーパワー史(615)世界が尊敬した日本人(85)関東大震災の復興、「横浜の恩人」の原三渓ー今も天下の名園・三渓園にその精神は生きている。
日本リーダーパワー史(615)ー世界が尊敬した日本人(8 …
