片野勧の衝撃レポートー太平洋戦争<戦災>と<3・11>震災『なぜ、日本人は同じ過ちを繰り返すか』㉖
太平洋戦争<戦災>と<3・11>震災㉖
『なぜ、日本人は同じ過ちを繰り返すか』㉖
第4の震災県―青森・八戸空襲と津波<3>
片野勧(ジャーナリスト)
ふるさとのうみ扇ケ浦への鎮魂歌
われは海の子/白波の/さわぐ磯べの/松原に/煙たなびく/とまやこそ/わが懐しき/住み家なれ
戦前の文部省唱歌『われは海の子』そのままに育った彼のふるさとは「扇ケ浦」。しかし、日本列島改造の嵐とともに、そのふるさとも地球上から消えてしまった。彼は昭和20年代、小型底曳船やイカ釣船に乗り、沖合から八戸の海岸を遠望していた。
「海から眺めるふるさとの風景は何とも言えない美しさがありました」
彼、山根勢五さん(88)はこう振り返った。わけても夏の夕暮れ時。扇ケ浦を囲む海岸段丘が夕陽を浴びて、森や林や人家が織りなすモザイク模様は息を呑む思いだった、と。
私は、この日、八戸市史編集委員会(近現代部会長)の本田敏雄さん(72)=国立八戸高専名誉教授=に会うために八戸市立図書館を訪ねた。2013年6月15日正午過ぎ――。私はそこで偶然にも山根さんにお目にかかったのである。
山根さんは記憶の彼方に遠くなったふるさとの海のあれこれを綴った『扇ケ浦』という自伝本も出されていた。サブタイトルに「海猫よ おまえの眼は泪でいっぱいだ ふるさとのうみ扇ケ浦への鎮魂歌」とあった。
『扇ケ浦』によると、春先には北の潮に乗りやってきたトドやアザラシがのんびりと岩場で昼寝をしていたり、夏から秋にかけてはマイワシの大群が押し寄せ、地曳網からあふれて砂浜を埋めるほどの恵まれた海だったという。
「地球上で最も美しい場所」と司馬遼太郎
八戸の海(種差海岸)を愛した作家や画家は多い。作家の司馬遼太郎は「この地球上で最も美しい場所のひとつ」と、この海を称えた。画家の東山魁夷はこう書いている。
「ひとすじの道が、私の心に在った。夏の早朝の野の道である。……道だけを描いてみたら――と思いついた時から、ひとすじの道の姿が心から離れなくなった」(『風景との対話』新潮新書)
魁夷の代表作「道」はこうして生まれた。そのふるさとの海も津波で呑まれてしまったのである。
宮中歌会始に入選
山根さんは歌人である。昭和41年(1966)1月、宮中歌会始に初入選した。
“抱卵期に入りたる海猫の騒ぐ声
夜更けて聞こゆ 向ひの島より”
島とは今の蕪島。戦時中、アメリカ軍の来攻に備えて日本海軍が蕪島の地下壕構築を進め、その工事用道路として海面を埋め立てたもの。いまでは国指定天然記念物、ウミネコ繁殖地として全国的に知られている。私も蕪島に行ってみたが、ウミネコが島一帯を覆い尽くし、壮大な風景に圧倒された。
宮中歌会始の入選作の「ゴメ」の原型はカゴメで、神の加護を伝える鳥の意。メはツバメ・スズメに見られるように鳥の古称。ゴメはカモメ類の総称で古い呼び名。純白の羽毛に包まれ、グレーの翼をもつゴメは、いかにも神の使者といった風情を見せていた。
入選したこの年の昭和41年、皇太子殿下(現天皇陛下)ご夫妻が八戸を訪問され、「みなと・はちのへ」は大きな喜びに包まれた。この年の水揚げ高は25万3千トン。118億4千万円で、前年まで首位を続けてきた釧路港を抜いて、見事日本一の水揚げ高を記録した。
八戸は津波の多い町。そのために山根さんの歌には津波を歌ったものが多い。たとえば、昭和8年の三陸沖地震、昭和35年のチリ地震、昭和43年の十勝沖地震など。
「八戸は海とともにある街です。津波は仲間ですから、あまり怖いとは思わないですね」
こう言って、山根さんは今回の津波についての歌をノートに5首、書いてくれた。
▪「裸馬ぁ鞍反さぬ」と潜水漁 つらぬくかこの浜の漁師ら
▪水底に消えゆく声か 瓦礫より拾ひしトランペットの音色
▪大津浪に洗はれ一年 畦道に花ほころびぬタチツボスミレ
▪浜風にさらされひたに耐えてゐる 陸前高田の一本松です
▪大槌町死者の名簿にKの名も 少年飛行兵たりし八十五歳
――ところで、3・11のときはどこにおられましたか。
「八戸平和病院のベッドの中にいました。海抜20メートル以上の高台ですから、切迫感はなかったです。ただ、2、3日、電気はきませんでしたね」
――戦争のときの怖さと今回の地震の怖さを比べてみて、いかがですか。
「今回は怖いという恐怖感はありませんでした。病院の建物は鉄筋コンクリートだし、簡単につぶされるとは思っていませんから。しかし、空襲は違います。木造でほとんどが焼かれましたから。また防空壕だけには入りませんでした。窒息死する例がたくさんありましたから」
3・10東京大空襲の惨状
昭和19年(1944)8月。学徒動員で横浜の工場に配置された山根さんは、B29編隊の東京爆撃や、空母から発進するグラマン機による空襲を毎日のように体験した。とくに昭和20年3月10日の東京大空襲。本所深川で教員をしていた兄を捜すために東京にいた山根さんは、その焼け跡の匂いと悲惨な光景を今もまざまざと思い起こすという。
「私は動員先の川崎の工場も宿舎も焼かれ、そして東京でも焼け出され、やっとの思いで八戸へ帰ってきました」
八戸に帰ってきたのは昭和20年5月20日。一望、焼け野原の東京と違って、なんとのんびりした八戸の町かと思った。しかし、それもつかの間。二階の窓を開け、海を眺めた途端に、グラマン機の甲高い音――。
昭和20年7月14日早朝だった。町の人々にとっては寝耳に水の米軍機の来襲に、誰もが大慌て。防空頭巾を被って浜崖の横穴防空壕へと駈け込んでいく。しかし、横浜でグラマンの機銃掃射に襲われたことのある山根さんは、何と無謀な行動をする人たちだろう、と思った。防空壕に駈け込めば、逃げ場がなくなって、死んでしまうのに。それは東京大空襲でも多くの人たちが証言していることだった。
爆風の起きない焼夷弾に対して、防空壕は役に立たないどころか、却って危険なのである。穴の中で蒸し焼きになるだけだからだ。こうして防空壕の中で多くの人たちが死んでいった。
空襲被害は国策による人災
しかし、理由はそれだけではない。「空襲時、退去禁止」という「防空法」がそれを妨げたのである。もし、防空法に違反すれば、1年以下の懲役または1000円以下の罰則が科せられた。当時、教員の初任給は55円だった。
また消火活動も義務付けられ、違反した者には500円以下の罰金が科せられた。要するに、空襲被害は避けられなかった偶然の災害ではなく、国策による人災だったのである。
3・10東京大空襲。焼け跡には男女の区別のつかない死体の山、山、山。防空壕の中で蒸し焼きにされた死体である。2時間~3時間にわたり、灼熱の火に追われ、逃げ場のない恐怖。身体に火が付き、断末魔の悲鳴をあげる極限の苦しみ。
山根さんは、そうした光景を見ているだけに、八戸市民が防空壕に駈け込んでいく姿に違和感を持ったのだろう。
八戸文化の心象拠点「石田家」
鮫駅から歩いて数分のところにある八戸文化の心象拠点「石田家」。秋田藩士・石田多吉が明治16年(1883)に創業した老舗旅館である。石田村次郎が2代目多吉を継ぎ、「石田家」を一流の割烹旅館に育て上げ、この地方の政財界人や文化人の拠点となったのである。
この「石田家」が3・11の大震災で被災を受け、取り壊された。その際、蔵の中から出てきた貴重な歴史資料1076点を八戸市立図書館に寄贈した。その中には初見のものを含めた『八戸市公報』13点。そのほか、緒方洪庵訳『扶氏経験遺訓』や八戸特攻隊の隊員募集のチラシなどもあった。これらは近現代史研究に欠かせない資料だ。先の本田敏雄さんは言う。
「津波で被災した石田家には失礼かもしれませんが、蔵から思いがけない貴重な資料が出てきたことは大変な意味があります。これまで見たこともない資料もあり、近現代史研究にとって必要不可欠であり、後世に残す価値があります」
地震や津波など自然災害に見舞われた際、貴重な古文書などは汚れてしまい、捨てられることが多いという。しかし、これらの資料は、その地域の生活を伝えるもので、大切に保存していくべきだろう。大震災のさまざまな記憶を未来に引き継いでいくためにも。
さらに本田さんは語る。
「東日本大震災から2年10カ月、さまざまな課題が新たに持ち上がり、生活の復旧、復興もまだまだこれからです。その中でも最も時間がかかるといわれているのが歴史資料の保存です。家族や地域の大切な記憶が失われないよう、根気強く進めていきたい」
つづく
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