日本リーダーパワー史(210)<無責任国家・日本の死に至る病>『3・11福島原発事故で、政治家はなぜ責任を取らないか』
2015/01/01
太平洋戦争での政治家の戦争責任とを比較する①』
国策遂行という点では戦争も原発推進もおなじである。それが未曾有の大失敗となった。
その原因解明も責任者の追及も進んでいない。原因の徹底解明により、責任の所在が明らか
になるが捜査機関でも国政レベルでも進んでいない。
マスメディアでの追及も弱い。
民主主義の要諦は三権分立であり、政治のチェックは司法が、行政のチェックは政治が正義と
公正に基づいて行わねばならない。この日本リーダーパワー史でも何件か歴史的な国策遂行
の過誤を取り上げたが、三権分立が機能せず、失敗隠しと責任逃れ、不正の横行がそのまま許されている。
良心のない政治家と国民のための役人ではなく害人、正義を追及しない司法関係者
(裁判官、検事、警察官)、腰抜けのマスコミが多すぎる。明治の朝鮮王妃暗殺事件(全員免訴)、
田中義一内閣での張作霖爆殺事件(これを軍法会議でキチンとさばいておれば、満州事変の暴発は
なかった)、戦後もたくさんあるが順次この中で取り上げていく。
決議案』の賛成討論(昭和20年12月1日、第89議会で)
本の確立は、断じてなしえないと思う次第であります。(拍手)
したがってわれわれは、この戦争におきまして、いやしくも政治家といたしましては、お互いに戦争中の自己行動にたいしまして、厳粛なる自己批判と反省がなされ、きわめて謙虚な気持をもって、この問題を取り扱われねばならぬということは、いうまでもございませぬ。
―と、私は思うのでございます。
このようなモノサシを持ちまして臨む時、まず議会政治家として、責任を取るべきものといたしまして、さきに自由党の決裁乗にありまするように、大東亜戦争開始以来、政府と表裏一体となって、戦時銭金の指導に当れる者うんぬんありまするこれをば、もっと具体的に.バーッキリ申しますれば、その一は、巽賛選挙推薦母体(註、昭和十七年春の東条内閣の下における総選挙に際し、政府の意を受けて、御用候補者を推薫した翼賛政治体制協畿会)の構成員であった者、これが一つであります。
さらに、もう1つは、翼賛政治会(註、戦時下の衆載院畿員を、半強制的に結集した団体)、誠大日本政治会(註、翼賛政治会の後身)の常任総務以上たりし者、これが、その2であります。
関連記事
-
-
『オンライン講座/日本興亡史の研究 ㉑』★『日本の政治家で最も少ないグローバルな戦略をもった経済政治家の先駆者(三井物産中興の祖・同上海支店長)―山本条太郎①』『三井物産上海支店長時代でロシア情報を収集し、日本海海戦でバルチック艦隊を偵察・発見させた。その後、政治家となった山本条太郎の活躍がなければ日本海海戦の勝利はなかった』
2011/12/14 日本リーダーパワー史(223)記事再録 前坂俊之(ジャー …
-
-
速報(187)『日本のメルトダウン』『子供に関しては検出限界の低い測定器で将来の発病に備える』ほか
速報(187)『日本のメルトダウン』 ●『子供たちに関しては検出限 …
-
-
日本メルトダウン脱出法(806)「視点:日本経済の「3つの命題」=マイケル・スペンス氏」●「視点:日本経済再生に移民政策は不可避=ケネス・ロゴフ氏」●「「孫正義」側近、幹部、ライバルが明かす正体 世界進出開始から3年、周囲が見た実像とは」●「なぜグーグルは「拡大力」で他を圧倒するのか 最新ニュースから読み解く「攻め」と「守り」」
日本メルトダウン脱出法(806) 「視点:日本経済の「3つの命題」=マイケル・ …
-
-
日本のメルトダウン(533)●「アベノミクスへの信頼感を試す消費増税(英FT紙)◎「再稼働説を支える3つの神話と1つの真実」
日本のメルトダウン(533) …
-
-
日本リーダーパワー史(569)『東西冷戦の産物として生れた現行憲法ーわずか1週間でGHQが作った憲法草案』を再録③
日本リーダーパワー史(569) 一連の「安全保障法制案」が閣議決定され、本格的な …
-
-
『オンライン/日本恋愛史講座』★『今年は日米戦争から80年目』★『1941年12月、真珠湾攻撃を指揮した山本五十六連合艦隊司令長官が1日千秋の思い出まっていた手紙は愛人・河合千代子からのラブレターであった』
日本リーダーパワー史(60) 真珠湾攻撃と山本五十六の『提督の恋』 …
-
-
池田龍夫のマスコミ時評(62)●『厄介な福島原発4号機の燃料プール」●「脱原発依存のウネリ高まる」
池田龍夫のマスコミ時評(62) ◎『厄介な福島原発4号 …
-
-
「オンライン・日本史決定的瞬間講座⑨」★「日本史最大の国難・太平洋戦争敗戦からGHQ「日本占領」と「単独講和」を乗り越えて戦後日本の基礎を築いた吉田茂首相の<国難逆転突破力>④』★『76歳でこんどこそ悠々自適の生活へ』★『1963年(昭和38)10月、85歳となった吉田は政界から完全に引退したのです』★『最後までユーモア精神を忘れず』★『享年八十九歳。戦後初の国葬で送られた』』
こんどこそ悠々自適の生活へ 1954年(昭和29)12月、「造船疑 …
-
-
裁判員研修ノート⑧ 冤罪、誤判と死刑を考える②-裁判官と法務大臣の胸の内
裁判員研修ノート⑦ 冤罪、誤判と死刑を考える②-裁判官と法務大臣の胸の内 …
