『坂の上の雲』新聞資料編『「日本は常にわが国に好意的であった」ー40年間外務省顧問のH・W・デニソン(米国人)の証言』
2015/01/01
<『坂の上の雲』新聞資料編>
『「明治の日本は常にわが国に好意的であった」ー40年間にわた
り外務省法律顧問H・W・デニソン(米国人)の証言』
り外務省法律顧問H・W・デニソン(米国人)の証言』
―『ニューヨ一ク・タイムズ』(1912(明治45) 年10月30日付)―
『ニューヨ一ク・タイムズ』(1912(明治45) 年10月30日付)
日本の変化を40年間現地で観察したー外務省法律顧問-
H・W・デニソンが久しぶりに帰国
H・W・デニソンが久しぶりに帰国
[日本は常にわが国に好意的であった]と語る
日本外務省の法律顧問を務めるアメリカ人のH・W・デニソン氏がウォルドーフ・アステリア・ホテルに到着した。デニソン氏は.1869年(明治2)以来、日本に住み.1880年以来、現在の地位にあるが,これはこの地位に就いた最初のアメリカ人パーシン・スミスの後任エリ・T・シェパードの後を引き継いだものだ。
デニソン氏は,最初に日本へ渡って以来,合衆国へ帰国することはあまりなかった。彼は1901年(明治34),ハーグ会会議に向かう途中に通過し、1905年ポーツマスでの和平交渉のために再び帰国した。
デニソン氏はこう語ぅた。「私が日本へ行ったのはペリー提督の訪問からそれほど遠くない時期でした。しかし当時でも日本人は公使や領事を置いていた。彼らはすでに学校を多数設立しており,確か4年たたないうちに東京大学が設置されたと思います。当初,そこの教授の多くが外国人でしたが,今でも何人かいます。日本人が西洋のやり方を採用し始めたのは80年(明治10年)代の初めから半ばにかけてです。
直接の原因はありませんでした。これが実現したのは,伊藤公爵が率いる指導的な人々の影響力によるものです。憲法が採用され,政府が改革されたのはこのころでした。そのとき以来,東京の市街は事実上つくり変えられました。
地震がありますから,まだだいたいが木造建築です。私が行った当時は,そこは江戸と呼ばれていました。
私の考えでは.睦仁(明治天皇)は前世紀の最も聡明な指導者の1人でした」
「日本人は常にわが国に好意的でした」と,デエソン氏は質問に答えて言った。
「外務省にこれほど長くいるので,彼らの考えを知る機会が十分ありました。.ホプソンたちにもかかわらず.彼らは常に好意的でした。もちろんわれわれの間には移民問題が常にありますが、両国政府はそれを懸命に処理しようとしています。
私はアメリカ人として言いますが,われわれは東京にオプライエン氏という立派な大使を持っていました。彼は,移民問題の処理に貢献しました。彼は日本人に非常によい印象を残しました」
デニソン氏はこう言った。「日本が製造業の分野へ進出を始めたのは1890年以降のことで,これは関税の改正後に始まりました。領事裁判権を伴う条約のもとでは.関税率は5%でしたが.徴収費用を差し引くと約3%になりました。日本が関税自主権を得て,それを実行したとき.製造業が始まったのです。
最初に着手された業種は,中国市場向けの綿糸と綿製品だったと思います。今日では,製造業のほとんどすべての業種がこの国で営まれています。
日本は.製造目的の機械と器具を大量に輸入しています。
ひとこと言いたいのですが,私はあるアメリカの新聞で,ノックス長官が亡き天皇の葬儀の特使として任命されたことが当地ではいくぶん批判されているのを見ました。私の考えでは.日本政府と国民はこの任命を非常に喜んでいます。彼らは,ノックス氏が,わが国の派遣できる最高の高官であることを理解しています。氏が出席したことに彼らは大いに喜びました。
日本で今大きな「毅的関心の的となっていることはありませんが,ただし例外として中国の先般的惰勢が大きな不安を生んでいます。日本人は,この情勢に関して他の列強と協調しています。事態はあちらではきわめて急速に進展しますが,私は1か月前に出発して以来,新しいことは何も聞いていません。
生活費の高騰が,当地と同様,日本を襲っています。過去15年間に.あらゆる方面の物価が2倍になったと言ってよいでしょう。これは食品に影響し,食品はあらゆるものに影響します。地税を改定するにあたって、稲田の価格が1873年に調査されました。
今日,同じ土地の価格は4倍になっています。労賃はそれに応じて上がりました。同じ土地から,1873年のほぼ倍の量の米が生産されます。彼らは農業の方法を改良しました。一部では今でも原始的な方法を使っていますが,化学肥料が一般に使用されるようになってきています。
→合衆国は,日本の貿易の最大のシェアを占めたことがありません。おそらくそれは・イギリス単独のシェアよりは大きいでしょうが,イギリスとその植民地を合わすたよりも大きくはありません。英語は他のどの言語よりも盛んに学ばれています。ドイツ語は科学的な問題の研究のために採用されています。変わった面白さがあるのは,1873年(明治6)以前に教育を受けたすべての古参将軍がフランス語を話すのに対し.その年,以後に訓練を受けた将軍たちがドイツ語を話すことです。
これは普仏戦争のせいです。しかしすべての実務的な目的には,日本では英語が他の外国語をすべて合わせたよりもよく使われています。パナマ運河はもちろん日本で関山を呼び)ましたが,それがどんな影響を及ぼすかは私には分かりません。私は新聞で.日本の汽船会社がパナマ航路向けの汽船を建造しょぅとしているという記事を読んだことがあります。日本は運河の完成に敵意を持っていないと言ってよいでしょう。
アメリカの沿岸航路船舶の使用料免除が話題にされるのを日本で聞いたことはありません。日本人はこの間題を自分たちに関係があるとは見ていません。
朝鮮での日本人の態度について知りたいのですか。宣教師は,あの国の日本人に敵意を持っています。しかし,私は汽船で来るとき.われわれが言う「反対派」に属する宣教師と一緒になりました。彼は朝鮮に8年間住んでいました。彼によると,行政と税制の両面で,日本支配下の状態は以前の状態より大幅に改善されたものであるのは間違いないそうです。
確かに初めのころは日本にとても多くのァメリカ人がいたものです。私が行ったときにあそこにいた人はほとんど残っていません。しかし.こちらで見るものはやはり変わっていません。国を出るときに知っていた人に偶然出くわすことはまずありません」。彼はこう付け加えた。「あまりにも昔のことなので,私は何年になるのか,ほとんど分からなくなっています」
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