『アジア3国の―最新ミステリーとは⑤「シンガポール」「マレーシア」「ベトナム」の謎々クイズだよ、答えは
アジア3国の―最新ミステリーとは・・⑤
●「シンガポールーアジア最強の小都市国家である」
◎「マレーシアー「マレーシアの父」のマハティールとは」
◎「ベトナムーベトナム戦争の傷跡は・・」
前坂 俊之(ジャーナリスト)
シンガポールーアジア最強の小都市国家
面積は東京23区と同じの小国シンガポールはマラッカ海峡の東の出口にあるマレー半島南端部の島国。人口は約400万人、東京の3分の1。
1965年、マレーシアから分離、独立して国家としてスタート、初代首相のリー・カン・ユー(1923-)の「ルックイースト」政策(日本を見習え)によって「シンガポールの奇跡」といわれる大発展をとげた。今や一人当たりGDPは日本を大きく凌駕するまでに成長し、国際競争力ランキング(世界経済フォーラム、2013年版)でも2年連続でベスト2位(日本は9位)とダントツの経済力である。
1981年、アジア最大規模のチャンギ国際空港が建設され、空のネットワークの一大拠点となり、シンガポール港は世界最大規模のコンテナ港となった。
日本株式会社をまねて国家指導の開発独裁型の「シンガポール株式会社」で
80年代には、外資企業を積極誘致し製造業の育成、外資からの技術移転と輸出産業振興をその戦略の中心に据えた。その後は低コストの外国人労働者を受け入れ、高付加価値産業誘致へ政策転換。
90年代以降は外資誘致から、金融自由化、FTAや物流インフラ、ハブ機能強化による国際競争力を国作りの中心として金融、情報通信、クラウド、観光などでアジアのハブを握った。
外国資本が東京から次々に逃げ出す中で、約7,000社の多国籍企業がシンガポールに拠点を置き、うち6割がアジア地域統括店である。
1990年代には、政府は国民生活の目標を『5C』<キャッシュ(現金)、クレジットカード、カー、コンドミニアム、カントリークラブ(ゴルフ会員権)に置き、現在ではこのライフスタイルをほぼ実現させたというから、金持ちがシンガポールに移り住みたいというはずである。
マレーシアー「マレーシアの父」といわれるマハティール
マレーシアの語源はサンスクリット語で「山脈のある土地」の意。マレー半島南部にあり、1957年に英国から独立、1963年に成立した。人口約2900万人の6割はマレー系、3割が中国系、1割はインド系。この「マレーシアの父」といわれるのがマハティール・ビン・モハマド(1925―)である。
マハティールはエドワード7世医科大学卒。在学中の1946年、統一マレー国民組織(UMNO)の発足に携わり政治活動を開始。81年から2003年10月まで22年にわたって首相を務めた。
マレー系の彼は英植民地時代に受けた差別的な扱いと日本軍人の規律正しく、勇敢な態度に敬服し、戦後の日本の奇跡的な発展をみて「親日家」となった。
1961年から来日は50回を超えマハティールは「日本人の職業倫理、仕事への完璧さ、規律正しさを見習いたい」と日本の近代化を手本とする「ルック・イースト政策」を掲げ、マレーシアの近代化に取り組んだ。
日本企業と連携した初の国産自動車プロトン・サガの開発、先進国入りを目指す中長期計画の立案、マレーシアの工業化・経済発展を推進し、農業経済から工業経済に転換し、シンガポールと並んで『東南アジアの優等生』と呼ばれている。
一九九一年、2020年には先進国に仲間入りする「ビジョン2020」を開始した。1997年のアジア通貨危機に対しては、独自の通貨政策でアセアンで唯一、危機を乗り切る見事な手腕を発揮した。
また、その後のリーマンショックなど世界経済の混乱では、英米系の投資家をきびしく批判、米国外交にもイスラム国のリーダーとして歯に衣着せぬ発言をし、日本にも「戦争責任の謝罪はする必要がない。日本は自信をもって世界の指導国になれ」とエールを送り、世界的に注目された。
ベトナムーベトナム戦争の傷跡は・・
ベトナム戦争は,1954年から75年までの間,ベトナムの南北統一を目指した共産党(当時の労働党)と南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)が,南ベトナムの親米政権を維持しようとした米国との間で戦われた民族解放戦争で、第2次世界大戦後では最大の戦争となり、米国側の完敗に終わった。
米国側は最大五五万人の兵力を投入、北ベトナム側は三一万人の間で戦われ、使用、投下爆弾量は第二次大戦の三倍にのぼった。
その結果、膨大な犠牲者を出して米陣営が戦死者二三万人、米軍の戦死者は五万八〇〇〇人、北ベトナム・解放民族戦線側の戦死者九七万人。米軍はゲリラが潜むジャングルを破壊するため大規模な枯れ葉作戦を展開し,猛毒のダイオキシンの枯れ葉剤を散布。マングローブ林の約40%を破壊、ベトちゃん・ドクちゃんらの奇形児を数多く発生させるなど深刻な環境破壊を引き起こした。
同戦争は,75年4月の南ベトナム政権の崩壊で終結し、翌76年に南北を統一したベトナム社会主義共和国が成立した。
世界最大の軍事大国・米国が「パクス・アメリカーナ」の絶頂期に起こした戦争でアジアの小国ベトナムに敗退した点では世界史を変えた一大事件であった。その後遺症は,「ベトナム・シンドローム」として,いまなおアメリカの対外政策や社会・文化に大きなキズ痕を残している。
一方、ベトナムでも同共産党が「ベトナム戦争の栄光」から飛躍するために1986年に「ドイモイ」(改革開放刷新政策)を打ち出して、新しい社会主義的国造りに取り組み、現在は新興国として経済的な発展を遂げている。
関連記事
-
-
『リモートワーク/外国人観光客への京都大徳寺動画ガイド』(2014 /04/01)★『京都大徳寺』ー龍源院の石庭、枯山水の名勝庭園を参観する』★『The Beautiful Garden京都大徳寺ー興臨院の禅庭の春の特別公開を参観』★『織田信長創建の黄梅院の禅庭の特別参観』★『大友宗麟の瑞峯寺の禅庭を参観』
2014年4月1日 前坂俊之チャンネル再録 Wikiによると、 大徳 …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(99)記事再録/『今から10年前の日本の状況は!・』★『2009年4月(麻生内閣当時)のーリーダーと知識人不在の日本の悲劇―脳死状態の日本』
2009/04/16   …
-
-
『日本の運命を分けた<三国干渉>にどう対応したか、戦略的外交の研究講座⑤』『米中対立は台湾有事に発展するのか』『130年前の日清戦争と同じ』★『頑迷愚昧の一大保守国』(清国)対『軽佻浮薄の1小島夷(1小国の野蛮日本)と互いに嘲笑し、相互の感情は氷炭相容れず(パーセプションギャップ)が戦争に発展した』『トランプの政策顧問で対中強硬派のピーター・ナヴァロ著「米中もし戦わば」(戦争の地政学)と同じ』
逗子なぎさ橋珈琲テラス通信(2025/11/08am700) &n …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(162)記事再録/日本名人・達人ナンバーワン伝ー『イチローは現代の宮本武蔵なり』★『「五輪書」の「鍛錬」とは何か、鍛とは千日(3年間)の稽古、錬とは1万日(30年間以上)の毎日欠かさずの練習をいう』●『武蔵曰く、これが出来なければ名人の域には達せず』(動画20分付)★『【MLB】なんで休みたがるのか― 地元紙が特集、イチローがオフも練習を続ける理由』
2017/10/22『イチローと宮本武蔵「五輪書」の「鍛錬」の因果関係ー免許皆伝 …
-
-
日本リーダーパワー史(755)『日露首脳会談の結果は予定通りの空振り!?』★『安倍の地球儀外交/領土問題願望/期待先行外交対プーチン独裁/国益最重視/非国際外交の対決は長期の延長戦へ』●『 日ロ首脳会談、領土問題は共同経済活動の交渉開始のみ合意』●『プーチンの戦略に完全に振り回された安倍首相…ロシア側の成果ばかり、すれ違い深刻』
日本リーダーパワー史(755) 日ロ首脳会談、領土問題は共同経済 …
-
-
速報(147)『日本のメルトダウン』『原子力学会の無責任ぶり』と『辞めてから弁明する総理大臣の無責任、職務倫理の崩壊』
速報(147)『日本のメルトダウン』 『原子力学会の無責 …
-
-
日本リーダーパワー史(697)日中韓150年史の真実(3)「アジア開国の父・福沢諭吉」ーなぜ「悪友とは交際を一切謝絶する脱亜論」に転換した理由<井上は朝鮮で最初の新聞「漢城旬報」を発行したが、清国側(中国)が猛反発して、井上の暗殺指令を出し、さらには『漢城旬報』の販売停止を命じたので辞任、帰国した③
日本リーダーパワー史(697) 日中韓150年史の真実(3)「アジア・日本開国 …
-
-
知的巨人たちの百歳学(169)記事再録/小説家・小島政二郎(100歳)の人生訓ー 『いつまでもあると思うな親と金、ないと思うな運と借金』
2012/11/23 百歳学入門 …
-
-
『Z世代のための昭和100年、戦後80 年の戦争史講座』★『『日本で最初の対外戦争「元寇の役」はなぜ起きたか④』★『 文永の役はモンゴル軍の優勢のうち、『神風』によって日本は侵略から助かった』』
2017/12/01日本の「戦略思想不在の歴史」⑷ 1274年(文永11)10 …
