前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『Z世代への日本リーダーパワー史』『 決定的瞬間における決断突破力の研究 ②』★『 帝国ホテル・犬丸徹三は関東大震災でどう対応したか②』★『関東大震災でびくともしなかった帝国ホテルの建築』★『焼失した各国大使館、各メディアは帝国ホテルに避難して世界に大震災の情報を送り続けた』★『フランク・ロイド・ライトは世界的な名声を得た』

   

犬丸は語る。

「最初の晩は、火事が心配であった。次の夜は、暴徒の侵入が恐ろしかった。道ひとつへだてた日比谷公園には、何千人という避難民がいたからだ。彼らは、食うものが手にはいらない場合、何をするだろうか?また、もし雨が降ってきたら、どういうことになるだろう?数日間、雨は降らなかった。まだ暑くて、そとで寝ることはできたのだが・・・。

ところで、地震の翌日には、市内でけんかや侵入事件があり、避難民が大挙して侵入してくるというこわい噂も流布されていた。ある日本人の官吏が私にささやいたところによると、そうした暴徒たちは、わがホテルー経済と政治の中心となっていたーを目がけていた上に、東京駅を襲撃して交通をまひさせようとしているということであった。

わがホテルには、数名の大使を含む多くの外国人がいたので、とくべつに警戒する必要があった。ホテルの使用人たちはめいめいに、あり合わせのもので武装して、その晩はひと晩中、警戒に当った。その晩、私は近衛部隊の隊長に手紙を書いて、ホテルに兵隊を派遣してくれるように要請した。ところが、軍隊は個人の要請によって出動するものではなくて、命令がなければ出動できない、軍当局がそれを必要と認めれば派遣する、との返事だった。

そこで私は、自分で出かけていって、こういった。
「では、必要であるという時期を当局はいったいどうしてきめるのですか? 当局で認めたころには、もう手おくれですよ。国内問題だけなら、なんとかかくしておくこともできるでしょう、しかしことが外国関係となると、電信ですぐに伝わってしまいます。いまはその国際的な問題であるのに、どうしてあなたは兵隊を出さんのですか? 警衛ということは、私の仕事ではないのです。それでも、兵隊をよこしてはくれなかったので、私は翌朝、外務省にいって話したところ、三十名あまりを派遣してくれ、さらにあとで増強してくれた。私は、その晩は眠ることができたのであった」

  • 地震第二日目―
  • 地震第二日目となってもリスク管理に冴えわたっていた犬丸は司厨長にいった。「食糧を節約なんかするな。今日の分は、充分あるんだ。みんな使ってしまえ。あしたになったらおれがなんとか見つけてくる」

月曜日になると、犬丸はこの約束を果たすための現金が必要であったが、おりから月のはじめで、先月の収入は全部銀行に入れてあったので、現金といっては一文もなかった。 しかし、銀行が一軒も開いていなくとも、犬丸はほんのちょっとのあいだしかへこたれてはいなかった。彼は外務省にいくと、外人客を丁重に扱うことがいかに大切であるかを説いて、必要なだけの額を出してもらった。  

 こうして手等を整えた彼は、フランク・ロイド・ライトが残していったキャディラックを含むホテルの自動車で、まだ車が通れる道路のある東京市の北方の田舎へ、食糧買出し隊を派遣した。やがて、一日や二日は充分にもちこたえられるだけの食糧を入手して買出し隊が帰ってきた。犬丸は、その一部を宿泊客用に使い、また一部を向いの日比谷公園に設けられていた避難民用の給食所の方へまわしてやった。

 

東京にあった目ぼしい外国公館のうち、アメリカ、ブラジル、フランス、イタリアの公館が焼失し、イギリスの公館は大損傷を受けた。犬丸は、それらの国々の大公使に対して、帝国ホテル内にいっしょに住んで、オフィスも設置するようにと呼びかけた。

イギリスには、ロビーの上のバルコニーが割り当てられた。アメリカは北側のウイングが当てられ、また数日後にマニラから到着した同国の救援委員会は、うしろ側にある食糧貯蔵所のついた一階のグリル・ルームにいることになった。

宴会場と、そこに通ずる遊歩廊下は、立ち直った東京各紙のために開放され、ここで再刊の準備をすることになった。南側のそでは、焼失してしまった公益事業機関のために開放された。こうしたところの人たちは、食糧持参であって、幹部の面々がロビーに寝起きをして、ホテル正面の車回しのわきの駐車場で火を燃やしては、大きななべで米を炊いていた。

 

大倉喜八郎男爵(帝国ホテルの設立者)の邸宅も火災にあったことを知った犬丸は、月曜日朝、外務省よりも先にまずこの大倉のところを訪ねた。行ってみると、男爵は着物に頭巾という姿で、彼の隠居所だった家の焼跡近くの芝生に立ったまま、ぶすぶすとくすぶっている彼の私設美術館のあとをじっと見ていた。

ここには、当時の価格で一億円を下らないといわれた絵画が集められていたもので、その収集こそは彼の最大の関心事だった。犬丸には、人と話をするときに、人差指で相手を突っついて注意をうながすくせがあった。この男爵との会見についても、彼はのちにこう言っている。

「私は、男爵の身体に軽くさわって話し、私といっしょにホテルに来るように説得につとめた」。男爵は言われた通りに下町に出て、彼の会社のあった建物の焼跡を見てから、帝国ホテルにはいったが、犬丸はここで彼に朝食の「ポリッジ」をたべさせてから、居心地のいい部屋に案内した。

九月六日になって海外電報が部分的にではあったが、打てるようになり、アメリカとのあいだに電報を交換した。当時アメリカでは、フランク・ロイド・ライトはロサンゼルス市内のある建築の設計に当っていたのだが、彼は日本の地震の記事については、一般の読者よりははるかに熱心な関心を寄せていた。

九月四日になると、東京からアメリカやその他の国々に伝わった噂として、帝国ホテルが壊滅してしまったという記事が掲載された。ロサンゼルスのエグザナー紙の記者がライトに電話をして意見をもとめると、ライトはそんなことは信じられないとして、すぐに問い合わせの電報を打ったが、それが結局、犬丸のところに届いた。犬丸は、直ちにその電報を大倉男爵に示して、二人で次のような返電を打った。

「貴下の天才の記念塔としてのホテルにはいささかの損傷もなく、避難民に完全なサービスをなしつつあり。ご同慶のいたり。大倉」

 この大倉男爵からの電報は、九月十三日にウィスコンシン州いたライトのところに届いたが、これは決して単なる感謝電報にとどまるものではなかった。それは、当時の非常事態の下にあって、著名な日本の貴族による目撃報告であったのであり、未曽有の不幸に見舞われた地域からの、極めて数少ない明るいニュースの一つだったのである。

ふだん口数の少ないライトがこの話を新聞記者に伝えると、それが全世界のビッグ・ニュースとなったのは、むしろ当然であった。こうして、東京で地震に堪えた建物は帝国ホテルだけであったという伝説―それは間違っているにもかかわらず、不滅のものと思われるくらいのーをつくりあげた。

この伝説はまた、ライトを全世界に有名にしてしまったと同時に、それにも増して、彼によって代表される建築の流派を広めることになったー彼の流派は、自後四十年間にわたって、世界の大都市の姿に革命をもたらすことになった。

 帝国ホテルが地震を通じて、ところどころにほんの少しの歪みがあったくらいで、問題にするほどの損傷は受けず、それによってライトの念願と主張がかなえられた。

(参考文献)●私の履歴書〈第12集〉『犬丸徹三』(日本経済新聞社 1961年)
●犬丸徹三『ホテルとともに70年』(1964年)  

  • ノネル、F,ブッシュ著、向後英一訳『外人記者の見た関東大震災 正午二分前』(早川書房昭和43年)
  • 永沢道雄『大都市が震えた日』(朝日ソノラマ、2000年)

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

『Z世代のための昭和戦後宰相論』★『中曽根康弘首相の長寿逆転突破力』★『戦後総決算」を唱え、歴代内閣が実現できなかった行財政改革を敢然実行した』★『「ロン・ヤス」の日米関係蜜月、韓国を電撃訪問し、日韓関係を一挙に改革、胡耀邦氏と肝胆合い照らし日中関係も改善。口先だけではない即決断実行型の首相だった』

『Z世代のための昭和戦後宰相論』★『中曽根康弘首相の長寿逆転突破力』★『戦後総決 …

no image
速報(253)★『原発民間事故調報告書まとまる。これを見て<原子村>ではなく<ガラパゴス原子国家日本の悲劇>を考える

速報(253)『日本のメルトダウン』   ★『原発民間事故調報告書まと …

no image
司法殺人と戦った正木ひろし弁護士超闘伝⑪」「八海事件の真犯人は出所後に誤判を自ら証明した(下)」

   ◎「世界が尊敬した日本人―「司法殺人(権力悪)との戦い …

no image
世界リーダーパワー史(939)― 安倍首相が三選―歴代首相でトップの最長政権(2021年9月までの通算10年間弱)を達成するか』★『安倍首相の解決スピード不足と出口戦略がないために、現実の「人類史上初の超高齢化・少子化・人口減少、消滅自治体、国家財政のパンク、迫りくる巨大災害」にキャッチアップできていない。』

世界リーダーパワー史(939) 安倍首相が三選―歴代首相でトップの在任期間(21 …

no image
『ガラパゴス国家・日本敗戦史』㉝総理大臣を入れない「大本営」、決断力ゼロの「最高戦争指導会議」の無責任体制➁

『ガラパゴス国家・日本敗戦史』㉝ 『来年は太平洋戦争敗戦から70年目― 『アジア …

『人気記事リクエスト再録』ー『ストーカー、不倫、恋愛砂漠、純愛の消えた国日本におくる史上最高のラブストーリー』★『結婚とは死にまでいたる恋愛の完成である』「女性学」を切り開いた高群逸枝夫妻の『純愛物語』

逗子なぎさ橋珈琲テラス通信(2025/11/02am1100)   2 …

no image
日本リーダーパワー史(573) 日中150年戦争史<日本の海外派兵の歴史>を討論するジャーナリスト・ディープビデオ対談(40分)①

日本リーダーパワー史(574) 日中150年戦争史、<日本の海外派兵の歴史>を討 …

no image
日本メルトダウン脱出法(585)●『諦めムードの香港民主化運動」●『サイバー空間時代にものを言う「国民の文化力」

   日本メルトダウン脱出法(585) &nbsp …

no image
『F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ウオッチ(128)』『東芝問題に見る、会社の危機は個人の危機?』●「 東芝「出直し新体制」を操る「最高実力者」の危険な影響力」

 『F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ウオッチ(128)』 『東芝問題に見 …

『Z世代のための< 日本議会政治の父・尾崎行雄の日本政治史講義』★『150年かわらぬ日本の弱体内閣制度のバカの壁』★『 明治初年の日本新時代の 当時、参議や各省長官は30代で、西郷隆盛や大久保利通でも40歳前後、60代の者がなかった。 青年の意気は天を衝くばかり。40を過ぎた先輩は何事にも遠慮がちであった』

2012/03/16  日本リーダーパワー史(242)『日本 …