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終戦70年・日本敗戦史(138)「日中戦争(支那事変)では「暴戻支那膺懲」で陸軍が再び暴走し泥沼に、新聞界も挙国一致で協力反中キャンペーンを展開した②

      2015/08/17

終戦70年・日本敗戦史(138)

<世田谷市民大学2015> 戦後70年  7月24日  前坂俊之 

◎『太平洋戦争と新聞報道を考える』

<日本はなぜ無謀な戦争をしたのか、

どこに問題があったのか、

500年の世界戦争史の中で考える>⑯

 前坂 俊之(ジャーナリスト)

「日中戦争(支那事変)では「暴戻支那膺懲」で陸軍が再び暴走し泥沼に、新聞界も挙国一致で協力「暴戻支那膺懲」不法支那軍「嘘つき支那」など反中キャンペーンを展開した②

A級戦犯の「大本言論報国会会長」・徳富蘇峰は「支那事変(日中戦争世界戦史上、最も愚劣な戦争」こき下ろす

 

<以下は海原治「日本人的『善意』」が世界中目の敵にされている」(講談社、1987年、78-80P) より

<軍部のスローガンだけの全くウソの「東亜新秩序」「聖戦」「暴支膺懲」を国会で質問追及して衆議院から除名された齋藤隆夫代議士>

日本人は、自分にとって望ましい姿を目標に定めるが、その願望の入手のための具体的な、現実の方法論を検討しないという性癖を持っている。

目標を入手するための方法は、格言である。〝一念岩をも通す〟〝我に不可能の文字はない〟で、達成不可能な目標に向かって、猪突猛進するのが、日本人である。

大日本帝国の崩壊の口火を切ったのは、昭和6年9月18日に始まった満州事変だが、 政府はずるずると軍部にひきずられ、新聞も目前の小さな〝勝ち戦〟に眼を奪われ、批判的精神を失い、むしろ〝皇軍の聖戦の遂行〟を賛美し、賞揚した。

冷静に事態を観察し、その行きつく先を見極め、公にその危険を警告した政治家がいても、世の俗論はこれを抹殺してしまった。

昭和15年2月2日、憲政会の齋藤隆夫代議士は、2時間余にわたって、支那事変の終結について、政府の施策をただした。

「一体、支那事変はどうなるものであるのか。いつ済むのであるか。いつまで続くものであるか。国民は聴かんと欲して聴くことができず。この議会を通じて聴くことができうると期待しない者は、おそらく一人もないであろう。さきに近衛文麿内閣は事変を起しながらその結果みずして退却をした。平沼騏一郎内閣はご承知のとおりである。阿部内閣に至ってはじめて、事変処理のために邁進するとは声明したものの、国民の前には事変処理の片鱗をも示さずして総辞職してしまった」

米内光政内閣は、「事変を処理する確乎不動の方針がある」というが、それは何か」と斎藤代議士は追及した。「実にこのたびの事変は、名は事変と称するけれども、実は戦争である」「事変処理の内容を充実するにあらざれば、出征の将士は言うにおよばず、日本全国民は断じてこれを承知するものでない」と断定した。このとき、議場からは、「ヒヤヒヤ」の声と拍手がわきおこった。

「道義外交」「共存共栄」「世界の平和」「かくの如き雲を掴むような文字をならべ立てるが、具体的な施策は何か」と斎藤代議士は、激しく政府を追及したである。

この演説をきいた陸軍大臣畑俊六大将は、「なかなかうまいことを言うものだ」といい、鈴木貞一少将も「斎藤代議士なら、あのぐらいのことを言うだろう」と感想を述べていた。

ところが、中佐級の〝青年将校″が、「斎藤演説は、聖戦を冒漬するものである」と陸軍の首脳部をつき上げた時点から、形勢は一変してしまった。斎藤代議士の演説をきいた議員の多くは、賛成の拍手をおくったのであった。だが、情勢の変化につれてその態度を変えた。斎藤代議士は憲政会を離れたが、衆議院は斎藤氏を除名するにいたった。この経緯は、日本人は権威に弱く大勢順応型であって、口では〝千万人といえどもも吾ゆかん″といいながら、実際は右顧左晒し優柔不断であることを示している。

日中戦争(支那事変)では「暴戻支那膺懲」で陸軍が再び暴走し泥沼に、新聞界も挙国一致で協力した

①1937(昭和12)年7月7日夜、北京の近くの蘆溝橋付近での1発の銃声が以後8年間にわたる日中全面戦争へと発展、太平洋戦争の引き金となった。

②陸軍中央部は満州事変の立役者で当時、参謀本部の石原莞爾第一作戦部長は不拡大の方針を出したが、部下の武藤章第三課長、田中新一軍事課長、杉山元陸軍中央の幕僚や関東軍は強硬論を主張、近衛文麿内閣は九日朝の臨時閣議で不拡大方針を決めが、陸軍の強硬派は巻き返し内地から三個師団の派兵を決定した。「中国は一撃さえすればすぐ屈服する」との甘い判断があった。

③ ところが、中国は以前とは違っていた。36年12月に西安事件が起こり、〝国共合作〃がついに実現、抗日の民族統一戦線が結成された。中国全土での民族闘争へと発展していたが、中国を蔑視した日本側はこうした質的な変化を見抜けなかった。

 

④ 12日夜、政府は首相官邸に新聞、通信社の代表を呼んだ。『東京朝日』『東京日日』『読売』「同盟』ら新聞人代表50人を集め近衛文麿首相が事変への政府方針を説明し「挙国一致で政府の方針に協力してほしい」と要請、新聞側は全面協力を約束した。

日中戦争で新聞は「暴戻支那膺懲」不法支那軍「嘘

つき支那」など反中キャンペーンを展開、戦争熱をあおった②

①「新聞は戦争によって発展する」とおり、事変発生と同時に新聞は猛然と「暴戻支那膺懲」(ぼうばくしなようちょう=人道に反する中国をこらしめるの意味)のキャンペーンを開始し戦争熱をあおった。中国への敵意をむき出しにした。

②「血迷った支那兵が発砲」「挑戦する支那・誓約を無視」「南京政府・和平の意思なし」「狡猾極まる態度」「支那軍また不法」(以上、朝日)

毎日は「支那軍不遜行為を繰返す」「不法支那軍反省せず」「嘘つき支那厳重監視」「反省の色なき支那」「暴戻支那軍膚懲に三度交戦」「仮面下に爪を磨ぐ支那」三十四日朝刊)とセンセーショナルな見出しのオンパレード。

③7月29日、陸軍は内務省等保局に新聞・通信各社の代表を招集し、新聞紙法第27条「陸軍大臣、海軍大臣、外務大臣は新聞紙に対し軍事、外交の事項の掲載の禁止、制限をすることができる」を発動した。

④ 満州事変では関東軍が謀略によって事変を起こし、既成事実をつくりあげ、不拡大方針の政府を追いつめ、新聞も軍部と一体となって戦争熱をあおったが、日中戦争でも全く同じパターンが再現された。

A級戦犯の「大本言論報国会会長」・徳富蘇峰は「支那事変(日中戦争世界戦史上、最も愚劣な戦争」こき下ろす

①支那事変(日中戦争)は蘆溝橋事件の1発から、ただ鹿の後を追っかけ追い廻わし、へトへトになった挙句が大東亜戦争となった。何のために戦ったか、なぜ戦うのか。

国民自身も、誰れ一人これを知る者はなかった。当局者も、ただ支那人が抵抗するために、戦ったという以外に、大義名分はなく、いわば戦争をするために、戦争をしたという外なかった

②日本の兵站線が、釜山に始まり、鴨緑江を渡り、満洲を経て長城に入り、遂に支那を東西に横断し、大東亜聖戦の開始の際には、支那の国境を超えてベトナム、タイ、シンガポール、マレー半島まで拡大した。広き支那に、多き支那人を、追い回しても、10年はおろか、100年を経ても、支那が滅亡しないことは、その五千年の歴史が、これを証明している。

③5年間、日本軍が支那内地を占領したが、一人の支那人も、心服させたことはない。ただ、国民党政府、蒋介石の政権を作り上げるために、御奉公をしたに過ぎなかった。

『徳富蘇峰終戦後日記』より

 - 戦争報道

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