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裁判員研修ノート⑥ 八海事件の真相は=真犯人は出所後に、自分のウソの証言を告白し、誤判を証明した(下)

   

 
裁判員研修ノート

八海事件の真相は=真犯人は出所後に誤判を証明した(下)
     
<以上は「月刊 ジャーナリスト」1977年12月号より>

                        前坂 俊之(毎日新聞記者)
 
 
再会
 
 「私の嘘で大変御迷惑をかけました。阿藤君らにおわびしたいのですが……」
 
 吉岡のまなざしは真剣だった。原田弁護士に異存のあろうはずはない。吉岡が自発的に阿藤や他の被告に謝罪すれば、灰色に塗り込められた事件は完全な冤罪であったことが証明される。佐々木哲蔵弁護士らに連絡を取ろうと原田は決意した。
 原田はまず、親しくしている中国放送の記者に吉岡の仮出所を知らせた。阿藤と吉岡の対面を録画して、全国に放送してもらおうと考えたのである。
 
 が、吉岡を預かるTは、吉岡がマスコミと接触することを極度に警戒していた。福山所長との約束もあったし、本人の更生のためにも、マスコミの餌食にさせられない、とTは拒否した。
 
 そうこうするうち、地元の中国新聞が一〇月一九日付社会面トップで吉岡の仮出所を報じてしまった。吉岡が居住する場所は紙面に明記しない配慮はあったものの、マスコミの吉岡追跡は当然始まった。中国放送記者も落ち着いてはいられない。原田と中国放送記者はTを無視することにした。
 
 二人がおぜんだてをして、一〇月二五日、呉市内に原田、佐々木両弁護士、吉岡、阿藤、久永が集まった。
 
 このときのやりとりが、また印象的なのである。吉岡は声をやっとしぼり出しながら、あえぐように話し、一方、向蕗は落ち着いて堂々としていた。二人の態度の差は決定的だった。どちらが嘘をついたのか。
 
この対話を錬音したテープを聴いてみれば誰にでもはっきりするはずだ。 吉岡がここで語った刑務所内での経過や状況が、以後に様々な問題を浮き彫りにさせることになる。このあたりをはっきりするためにも、つぎに活字で再現してみよう。
 
謝罪した吉岡・検察からウソを強要された
 
吉岡 嘘をついて、誠に申し訳ない。なんばおわびしても許していただけないと思うけど・…・・。
 
阿藤 吉岡君が出てきた時、体の方が大丈夫なのかと思った。許すも許さんも吉岡君の出方ひとつだ。迷惑をかけたみなさんに同じようにわびる必要があると思う。
 
原田 吉岡君はね、出所した二日目に私のところに来て、その時から、あなたに会っておわびしたいと……。
 
吉岡 中におる時から、出たらおわびしたいと思っていた。
 
阿藤 吉岡君は昔、つき合っていて、ほんとうは(うそをつくような)そういう人ではない。とにかく良心は必ず残っている。つらい立場だったと思うが、その良心を握りつぶした奴を……。
 
吉岡 そういうふうな、たとえどんな理由があろうと、私がすべて悪かった。
 
阿藤  一つだけ聞かしてほしいのだが……。最初に一人でやったといい、それから六人になり、われわれとやったと変わったが、これはどういうわけかな……。
 
阿藤 こんなことを言っても何じゃが。なんば一人でやったと言っても聞いてくれんのじゃ。殴ったり、けったりでね一。殴った以上に背中に棒をさし込み、指にエンピツを入れ拷問して寝かしてくれん、それで五人でやったといえば、手のひらを返したよぅに菓子を食べさせてくれるし、機嫌をとる。
 
阿藤 …………。
 
佐々木 ちょうど三年前、最高裁の判決があってから、一カ月ぐらい後に、吉岡君はほんとうに申し訳なかったと言っていた。出てからも僕のところへ手紙をくれて、まず最初に書いてあるのがみなさんに申し訳なかった、ということだ。その点で吉岡君がすまないという気特は心から出ていると思う。
 
吉岡 みなさんに迷惑をかけたことはどんなにおわびしても許していただけないと思う。
   阿藤さんの日記を読んで、涙が出て仕方がなかった。自分がそんな立場に立ったら、どうだろうと思うと。
 
阿藤 残念なのは、それをもっと早い時期に言ってほしかった。一八年も続く前に育ってほしかった。愚痴になるかも知れないが、やむを得ない。今日はここであなたが良心からそう言うなら、許してもよい……。
 
吉岡 再びみなさんに迷惑をかけないように生きるのが、せめてものおわびだと……。
 
阿藤 二審の公判の時ね。風呂に入っている時、会ったな。あの時、あんたはすまんと言ったな。あんたはその時は本心でそう育ったと思う。今も信じている。あの時も今と同じようにすまんと言ったと思う。
 
原田 今、吉岡君がこうやって全うには非常に決心がいるんですよ。
 
吉岡  一生、社会に出られないと思っていた。刑務所、検察庁のいうなりになっておけと決心した。
 
阿藤 仮釈中だし、いろいろ制約もあって、いえないこともあると思う。刑務所にいて、われわれ四人を常に引きずりこんでいた毎日毎日の生活で、良心的に苦しかったのではないか。
 
吉岡 今からこう言っても信用してもらえないかも知れないが、出る気特はなかった。一生、出られないと思っていた。中で可愛いがってもらえればよいと思っていた。こうしているうちに、いろんな人から励ましや、激励の手紙がきて目が覚めた。
 
佐々木 一生出られないと思ったわけだね。
 
吉岡 暖かい手紙で、長い時間はかかったが、だんだん良心に目ざめました。早く本当のことを言えばよかったが……。
 
原田 正木さんの本や映画を見て、あなた方に激励の手紙を出す人もたくさんあった。中には吉岡君に対して、「他の者が嘘を言っているので、君は苦しいだろうと思う。がんばってくれ」という手紙を出す人もいた。その中で、ある一人のずっと暖かい手紙をくれた人の気拝に揺り動かされたんですよ。
 
吉岡 自分が阿藤君のような立場に立つと兄弟、家族はどう思うだろうか。罪もないのに、どんなに苦しむだろうか……。
 
阿藤 そう思っていたが、あの中では言えなかったというわけやな。
 
吉岡 言おうと思って何度も上申書を書いた。河相裁判長の時も書いたが、出してくれないんじゃから出した、出したと嘘を言って……。
 
阿藤 これは本当に思うんだけれど、裁判も公正で最後には真実が勝った。これで、こうやって話ができるんだ。もし不正な裁判で通されて、そのまま僕は無実の死刑が決まっていたら、そうはいかなかったと思うよ。その点をよく考えてほしい。今だから、こうやって、話し合えて解決して、メデタシになっている。吉岡も心では重荷になったかも知らんが、一つの安堵を持って、晴れて仮釈放で出てきた。こうやって立場は遽うけれども……。
 
佐々木 吉岡君ももっとリラックスな気持になった時にね。
 
阿藤 懺悔してもらおうと思う。
 
吉岡 中の内容はふれたくないんだが、事件の真実はいつか言わないと……。
 
阿藤 謎に包まれた部分が多いので、吉岡君が自発的に明かす時がきたら、明かしてほしい。
 
佐々木 僕はね。吉岡君が決して良かったとは思わない。それよりも、嘘を見抜けなかった、嘘を押しっけた警察、検察、裁判所がもっと責任があると思う。被告としては、吉岡君にしっかりしてくれという気持が強かったと思う。僕らとしてはここで、吉岡君が本当に申し訳なかったと言ってくれたことで満足だ。八海事件は真に誤判だということがわかった。
 
吉岡 官がどうしたとしても、言い訳には   
佐々木 吉岡君のその言葉が心から改心を表わしていると思う。
 
久永 広島拘置所に入っている時、運動場で明日の公判では本当のことを言うからなといった。が、明くる日になるとコロッと達うんじゃ。そういう状況に置かれている時はすまんかったとは思ってると思うんじゃが、吉岡はどうなってるのかと思った。
 
原田 その通り貫くと、吉岡君も死刑になってたろうね。検事も控訴していたしね。
 
吉岡 世間の人は冷たいかも知らん。苦しいだろうと思うが、人に迷惑をかけないようにするのが、償いではないかと思う。
 
阿藤 こうやっていると、昔の吉岡君を思い出す。警察に逮捕され、僕たちと一緒にやったと言って、一八年間、長い裁判が続いてね。僕は死刑を一回も二回も三回も受けて、最後に勝って、吉岡君も出所してきた。これで八海事件も解決した。吉岡君のやることは、生活を築いてちゃんと生きる道を組んで行く。みなさんにおわびするということは、真実を自発的に語ることだと思う。四人を無実の罪に陥れて申し訳ないということは誠心誠意でた。それは認めます。
 
吉岡 これから先は、人に迷惑を与えないようにしたい。
 
阿藤 青年時代の時を思い出す。それがあれだけ長いこと嘘を言い続けたのか。ひっかかる。
 
原田 彼の人間性を押しつぶした奴を……。
 
阿藤 その奴だ。……腹の中では思うけど、こうやって会えて良かった。吉岡君が真実に立ち返ってくれて、告白してくれたことはうれしい。俄悔してくれたことはうれしい。
 
佐々木 吉岡君は歳は今、四二歳か。まだまだこれからだ。
 
阿藤 僕の頭が薄くなったけれど、吉岡君のも薄いね。
 
久永 ああ、長かったな。
 
原田 どうか、最後に握手だけしたら。事件をあやつるカゲ阿藤、久永、吉岡の六つの手がしっかりと撮り合わされた。
 
 わずか二〇分ほどの会見だった。一八年の長期裁判に比べると、それはあまりに短いもの
だった。が、世紀の難事件といわれた八海事件は完全な誤判であったことを、 
吉岡自身があっさりと立証したのである。
 
 
 膨大な記録も、火を吐くような法廷論争も、この短い会見に優るものはなかった。事件の核心はここに尽きた。
 
 戦後、数多くの菟罪事件が起きている。帝銀事件から松川、三鷹、幸浦、二俣、白鳥、仁保、松山、島田、免田事件など実に多い。その中には、真犯人が不明のまま結着したものもあれば、刑を確定された被告が今なお無実を叫んでいるものもある。
 
そうした中で、八海事件のように真犯人が最後にすべてをぶちまけた例は、日本の裁判史上はじめてであった。
 会見から三日後の一〇月二八日午後一一時、TBS系の「ニュースデスク」で、吉岡謝罪のニュースは約五分間の特集として全国に流された。
 
 このニュースは関係者に異様な衝撃を与えた。広島保護観察所は早速、吉岡を呼び、規則違反を責め、厳重に注意した。
 
 これまで隠されてきた刑務所、検察側の汚ない手口が吉岡の口から暴露されるのを恐れている、と疑われても仕方がなかった。一一月一一日、八海事件の弁護団として佐々木哲蔵弁護士とおしどりコンビで戦ってきた佐々木静子委員(当時、社会党の参議院議員)は、参議院法務委員会で、この不当な制限と圧力を鋭く追及した。しかし、法務省も負けてはいなかった。
 
「弁護士が口実を設けて吉岡を呼び出し、テレビ出演をさせたのは遺憾だ。吉岡の出所は極秘にするように指示した。それは第二の人生に踏み出す刑余者に対する配慮から行ったものだ」
 
 法務省保護局長の笛吹享三はこう答弁し、誤判の責任や保護観察所の圧力にはあくまでシラを切った。法務省は自らの非を認めようとはしなかった。事件をヤミに葬ろうとしていたのである。
 
 大阪で運送会社を経営している阿藤は、トラックを運転中、事故を起こしたことがある。肋骨三本と腰骨を折る重傷を負い、意識不明に陥ったのだ。死の淵をさまよっていた丁度この日が、法務省保護局長の答弁の日と重なった。偶然といえばそれまでだが、あまりにも象徴的な、八海裁判―嵐の日であった。
 
 
 しかし、獄舎の鎖を解かれた吉岡の口を封じることは、もうできなかった。彼は真実を打ち明け、心の平安を欲したのである。
 年があけた昭和四七年一月二六日。吉岡は、罪に陥れた他の被告へ再度の懺悔をしたいと、原田弁護士に付いてもらい旅に出かけたのである。その日は名古屋で阿藤の実弟を訪れ、稲田にも会って謝罪した。
 
 二七日には大阪に引返し、阿藤に会う予定だったが、阿藤は交通事故でまだ入院中だった。佐々木弁護士の事務所から、見舞いの電話をかけ、直接会わずにすました。一八年にわたる無実の苦しみが、一片の謝罪やおわびですむものではないにしても、かつての被告の廟では、こうして事件は落著したのである。
 
 ただ、吉岡の背後で事件をあやつったカゲは、依然として事件の責任にほおかぶりしたまま、という現実だけが残った。               
(文中敬称略)
 
                                     (まえさか としゆき・毎日新聞記者)
 

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