前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史(159)『江戸を戦火から守った山岡鉄舟の国難突破力③-活禅談、読書の論は何のクソにもならぬ』

   

日本リーダーパワー史(159)
 
『江戸を戦火から守った山岡鉄舟の国難突破力③
活禅談、読書の論は何のクソにもならぬわいー』
 

                      前坂 俊之(ジャーナリスト)
 
活 禅 談
 
 明治の初期、排仏毀釈のやかましかった頃、荻野独園禅師は山岡鉄舟の邸に請ぜられて、参禅に接した。
 ある日の説法に「忠孝仁義というも、いたずらに名目にとらわれてはならぬ。名は後からつけたもので本体ではない」というような言葉があった。それを鉄舟の門下の一人で、儒学の素養があり、剣道では山岡道場の師範代をも務めた頑固一徹な男が聴いていた。
 
「ただの坊主の言葉なら聴き流しにもしょうが、いやしくも大教正管長ともあろうものが、忠孝仁義は後からつけた名だといったのでは、世道人心を毒すること甚しい。断然、聞き捨てにはならん。われ独園禅師の異端の邪説を説破し、仕儀によっては坊主首をはねてくれる」
とえらい見幕で憤慨し、鉄舟が如何にさとしても承服しない。そこでついに鉄舟立会いの上、禅師と討論することとなった。
彼はその前に鉄舟に証文一札を入れ、もし禅師を論伏し得なかった時は自分は切腹すると約束したほどで、その意気込みが知れる。

さて対決の当日、口角泡を飛ばしてまくし立てた男の言葉が一段落というところで、禅師はプカリブカリと吹かしていたキセルで、前の煙草盆の灰吹をコツコツと叩き、返す手で金属製の火入れをチンと打つと
「どうじゃ、今の音は何と鳴ったかな。貴公の耳が聞いた通りを正直に言うて見なされ」と云った。
 
彼は怒って「私は禅師にそんなことを問うているんじやない。そんなことは子供だってわかり切ったことだ。初めのはコツコツで、後のはチンじゃないか」

 と云うのを、禅師はすかさず


「それじゃよ。そうわかればよろしい。よいかな、名は後からつけられたものじゃ。人が都合上撃につけた符ちょうじゃよ。今の音も跡方もないものに、コツコツじゃの、チンじゃのと名を付けて呼ぶが、若し灰吹の方で、俺の音はコツコツじやないといい、火入れが俺の音はチンじゃないよ、と苦情を持ち出したとしたら何としよう。又、打ったのはキセルであるから、キセルが、それア俺の音じゃと物言いを付けたら何としよう。

音の本体はキセルにもあらず、灰吹にもあらず、火入れにもあらず、又チンでも、コツコツでもないとしたら、今の音はひっきょう何だというのじゃ。さア今の音をもう一度云ってみい。チンでも、コツコツでもないところの音の正体を云いあらわしてみい。どうじや、さアどうじや」

男は、ここに至って禅師にこうきめつけられるといよいよ頭を下げるばかり・一言も反論できなない。禅師は一段と声に力を入れて、

「書生の説、読書の論は何のクソにもならぬわい。忠孝仁義の名は、つまりはコツコツチンなのじゃ。名や論だけの忠孝仁義では役に立たぬ。シツカリせよ。今国家は多事多難の際じゃ。有為の男子が、物の本体を忘れて影法師の名儀のみを追いまわしているとしたら、何と恥しいことではないか。国家社会に申し訳ないことではないか。何がもとで何が本体なのか、退いてよくよく胸に手を当て、自分で自分に問うて見い。

儒教でも、君子は日に三省す、といい、日に新にして、また日日に新なり、というではないか。三省日新の工夫が大事じゃぞ、喝!」

 訓然として目を開けられたかのような男は、禅師の前に平伏すると共に師の鉄舟に手をついてお詫びを述べ、約束により切腹するという。それを独園禅櫛がうまくつくるって、今後の精神生活への精進を誓わせ、証文を焼いてしまったという。
 
 
南  天  棒
 
·         中原南天棒 (なかはら-なんてんぼう )とは何者か
1839
-1925幕末の僧。
天保う)10年4月3日生まれ。臨済りんざい)宗。羅山元磨(らさん-げんま)の法をつぐ。「直心じきしん)即道場」を持論に禅風をひろめ,松島海清寺の住職をつとめた。大正6年みずからの生き葬式をいとなむ。乃木希典(のぎ-まれすけ)も帰依きえ)した。大正14年2月12日死去。87歳。肥前郡(佐賀県)出身法名は全忠。字(あざな)は鄧州(とうしゅう)。別号に白崖窟。著作に「提唱碧巌集」など。【格言など】これでいつ入寂しても本望じゃ(生き葬式をいとなんだ際のことば)松浦(瑞巌寺,西宮(((てんぽ大正時代
『デジタル版 日本人名大辞典』
 
 
 或る時、陸軍大将児玉源太郎が、東京市ヶ谷の道林寺に中原鄧州(ニックネームを南天棒和尚といった)を訪ね
「軍人は禅を如何にあつかったらよろしいか」と尋ねたが、和尚は

「今、ここで三千の兵を指揮して見せなさい。それが出来れば戦って勝たぬということはない」

「それは無理なお話だ。三千の兵を指揮することは、何のぞうさもないが、しかし居らぬ兵士を指揮する訳にはいかない」

「そんなことは朝飯前のお茶の子だ、まことに易いことじゃないか。それが出来ぬようでは真の軍人にはなれぬ。天下の将軍となって万卒を率い、大戦をすることはならぬのじゃ。それしきのことが出来なくて、どこに将軍面がある、このニセ軍人やッ」
 
 と、和尚は真向から罵倒した。児玉大将もその雑言にたまりかねたか、顔面サッと朱を注ぎ「しからば和尚やって見られよ」
「よし、やって見せよう」というが早いか、イキナリ大将を捕えて引き倒し、

「それっ、馬になれっ」と、手拭をクツワにかえて大将の背に跨がり、かねて持っていた南天棒を振って、「全隊進めッ」
 
 ピシャリとお尻に一ムチあてた。すると大将は思わず前進したが、その刹那、ハッと悟るところがあって、和尚を乗せたまま、
 
「解りました。解りました」という。そして和尚が座についた時、うやうやしく礼拝して
「今日、はじめて、この境をみました」と、児玉大将がいったのである。
 
鄧州・松島の瑞厳寺に居った頃、仙台師団長の佐久間将軍が、名士揃いのある席上で「一体坊主なんてものは天下の遊民、無用の長物云々」

 と口をすべらした。その席に南天棒がいたからたまらない。イキナリ立って行って大喝一声、将軍をねじ倒し、素早く馬乗りになって、首根っ子をギュサと押えつけ、
「さア、もっと言うのだ、坊主が何んだと、もう一度言って見よ」
 とどなった。その不思議な気力と体力に圧倒されて、さしもの豪傑将軍身動きも出来ず、口も利けなかった。
 
 その後、将軍は和尚に推服して弟子の礼をとり、心から禅の心要に参するようになったという。
 
 乃木将軍が殉死されて、その盛んな葬儀の席へ、一本の弔電が配達された。

「万歳、万歳、万万歳」
 この電文には時の文武百官、居並ぶ人々は驚き入ったまま不審の眉をひそめた。その弔電の発信人は、即ち豪放辛辣な禅機をもって鳴らした南天棒であった。
 
 
 

 - 人物研究 , , , , , , , , , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

『オンライン講座/日本興亡史の研究 ⑰ 』★『日本最強の外交官・金子堅太郎のインテリジェンス』★『ルーズベルト米大統領をいかに説得したか] ★『大統領をホワイトハウスに尋ねると、「なぜ、もっと早く来なかったのか」と大歓迎された』★『アメリカの国民性はフェアな競争を求めて、弱者に声援を送るアンダードッグ気質(弱者への同情心)があり、それに訴えた』

    2011-12-19 『ルーズベルト米大統 …

no image
『世界が尊敬したスーパー日本人』ー『世界議会史上最長のギネス政治家(議員生活六十三年)の尾崎行雄(咢堂)

『世界が尊敬したスーパー日本人』 世界議会史上最長のギネス政治家〔議員生活六十三 …

no image
日本リーダーパワー史(854)ー『2018年には米朝開戦か、北朝鮮を核保有国と認めて 「核シェアリング」で核抑止するかーギリギリの選択を迫られる 』(下)『北朝鮮は「核保有国」を宣言。核開発と経済発展の『並進路線』を推進 』

  北朝鮮は「核保有国」を宣言。核開発と経済発展の『並進路線』を推進  …

no image
『オンライン講座/百歳学入門(54)』★『玄米食提唱の東大教授・二木謙三(93歳)の長寿法『1日玄米、菜食、1食のみで、食はねば、人間は長生きする』★『二木謙三博士の健康十訓ー①食べること少なくし、噛むことを多くせよ。②怒ること少なくし、笑うことを多くせよ③言うこと少なくし、行うことを多くせよ④取ること少なくし、与えることを多くせよ⑤責めること少なくし、ほめることを多くせよ 』

  2012/11/05    …

no image
『オンライン講座/国家非常時突破法』★『なぜ、最強のリーダーパワーの山本五十六は太平洋戦争をとめられなかったか』★『山本五十六の不決断と勇気のなさ、失敗から学ぶ』★『  トップリーダの心得「戦争だけに勇気が必要なのではない。平和(戦争を止める)のために戦うことこそ真の勇者である」(ケネディー)』

  2012/09/05 日本リーダーパワー史(311)記事再録 &n …

no image
『不況、デフレで経営トップはどう決断、行動したか① 』 小林一三(大阪急創業者)/土光敏夫(経営の鬼)から学ぶ-

 日本リーダーパワー史(473)    『不況、デ …

no image
『百歳学入門(231)-『60,70歳から先人に学ぶ百歳実践学入門』ー『平櫛田中の一喝!「六十、七十 はなたれ小僧、男盛り、女ざかりは百から、百から。いまやらねばいつできる、わしがやらねば、だれがやる。』

日本ジャーナリスト懇話会112号(2018年6月15日号) 『60,70歳から先 …

no image
明治150年歴史の再検証『世界史を変えた北清事変④』★『連合国を救援するために日本が最大の部隊を派遣、参謀本部の福島安正情報部長が「各国指揮官会議」を仕切って勝利した』

 明治150年歴史の再検証『世界史を変えた北清事変④』-   連合軍の足並みの乱 …

ジョーク日本史(5)西郷隆盛の弟・西郷従道は兄以上の大物、超人だよ 『バカなのか、利口なのか』『なんでもござれ大臣」「大馬鹿者」と(西郷隆盛は命名)『奇想天外』「貧乏徳利」(大隈重信はいう)

ジョーク日本史(5) 西郷隆盛の弟・西郷従道は兄以上の大物、超人だよ 『バカなの …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(79)記事再録/ ★『日本史を変えた大事件前夜・組閣前夜の東條英機』★『近衛文麿首相は「戦争は私には自信がない。自信のある人にやってもらいたい」と発言。東條は「(中国からの)撤兵は絶対にしない」と答え、「人間、たまには清水の舞台から目をつむって飛び降りることも必要だ」と優柔不断な近衛首相を皮肉った。

  2004年5月 /「別冊歴史読本89号』に掲載 近衛文麿首相は「戦 …