前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『オンライン講座・国難突破力の研究』★『(1945年敗戦)「この敗戦必ずしも悪からず」と勇気と今後の戦略を提示したその国難突破力』★『 (外交の鉄則)列国間の関係に百年の友なく 又、百年の敵なし、 今日の敵を転じて明日の友となすこと必ずしも 難かしからず』

   

近現代史の重要復習問題/記事再録/

  2019/05/18  

2016年2月10日/日本リーダーパワー史(665)

『昭和の大宰相・吉田茂のリーダーシップと先見性、国難突破力』 ①

(1945年敗戦)「この敗戦必ずしも悪からず」と勇気と今後の戦略を提示したその国難突破力、

「ピンチはチャンスなり」

(外交の鉄則)「およそ列国間の関係に百年の友なく又、百年の敵なし、今日の敵を転じて明日の友となすこと必ずしも難(むつかし)からず」

<以下は永野信利「吉田政権2616日【上】」行研2004年刊、(37-48Pの概略)より>

第1条 吉田の真骨頂は、国際情勢を見抜く鋭敏な国際感覚があり、上司の命令に盲従せず、自分の信念に基づいて行動した。

  • 大正3年(1914)、第一次世界大戦が勃発し、日本政府は中国に対華21ヵ条を要求した。21ヵ条は旅順、大連、南満州鉄道の租借期限を九十九年間延長するよう求めるなど中国の主権に踏み込んで、中国各地で排日運動がまき起こった。中国共産党の誕生となる五・四運動はここに始まった。吉田はこの要求に対して反対運動を行い、ワシントン勤務の辞令を取り消され、大臣官房文書課長心得の閑職に左遷された。

第2条―米英との関係を悪化させ、国益を害する国際連盟脱退に反対する。

  • 昭和6年(1931)9月、関東軍が満州事変を起こし、政府は翌年に満州国を承認した。国際連盟はリットン調査団を派遣して日本の侵略を認める報告書をまとめた。内田康哉外相は議会答弁で、「国を焦土としても主張を貰徹する」と言明し、新聞も一斉に追従し国際連盟脱退論一色となった。しかし、吉田は「連盟脱退は、米英との関係を悪化させ、国益を害する」と反対意見を述べたが、日本は国際連盟から脱退した。このあと、内田外相は、吉田に駐米大使に就任を求めたが、吉田は内田の主張をを嫌い就任を断った。

第3条―国内がヒットラーブームにわく中で、日独伊防共協定は、対英米戦争を起こすとして反対する。

吉田は昭和11年(1936)、駐英大使を拝命した。このとき日本政府は日独防共協定の締結を推進し、在外の主な大使から意見を聴取したが、吉田だけは反対の態度をとった。「協定を結ぶことは、明らかに日本が枢軸側に伍することを意味する。これは将来、日本は英米を向うにまわして戦わねばならぬ羽目に陥る危険がある」吉田茂『回想十年』第一巻)国内でヒットラーブームにわいている中で、吉田は国際政治力学を鋭く見抜いていた。

第4条―和平工作を逮捕されても、屈せず最後まで続ける信念と闘志をもつ

昭和14年(1939)、駐英大使を退官した。外交官として数々の体験を積んだ吉田が辿りついた世界観は「英米と協調しなければ日本の国益は守れない」との確信だった。

大半の政治家、知識人、言論人が翼賛体制になびく中で、吉田は対英米戦争を回避させるため、親交のあるグルー駐日米大使やクレーギー駐日英大使に会って事態打開を側面から説いて回った。(「回想十年」第一巻)。

しかし、吉田らの戦争回避工作は実らず、東条内閣は昭和16年12月8日、太平洋戦争に突入した。緒戦は大勝利で、国中が真珠湾攻撃の戦果に沸きかえっていた。だが吉田は冷静に戦況の行く末を憂え、勝利は一時的なもので、いずれ日本は壊滅の道を辿ると判断し、鳩山一郎、岩淵辰雄(政治評論家)、近衛文麿、牧野伸顕、原田熊雄、鈴木貫太郎らに呼びかけて、東条勢力の排除を狙った。憲兵の眼が光る中で、東条に歯向かうのは命がけの勇気である。

昭和20年(1945)に入り日本の敗北は決定的になった。昭和天皇は事態を憂慮し、近衛文麿ら重臣の意見を聴取することになった。この近衛内奏文に吉田は「敗戦だけならば、国体まで憂うる要なし。最も憂うべきは、敗戦に伴うて起る共産革命」とつけくわえて2月14日、提出した。

この結果、吉田は憲兵隊に連行、取り調べを受け長期拘留された。5月末にやっと不起訴となり、仮釈放された。以後も、不屈の闘志を燃やし「和平工作」を続けた。

·     第5条―日本歴史始まって以来の大敗北にも負けず、

·     「この敗戦必ずしも悪からす」と勇気と今後の戦略を提示

·     したその国難突破力、「ピンチはチャンスなり」

敗戦は国民の大半を茫然自失然させたが、吉田は意気軒昂、勇気凛々,見通し全開で早くも日本再建に思いをめぐらした。吉田は米軍先遣隊が日本に上陸する前日の8月27日、親友・来栖三郎に次のハガキを送った。

「わが国の負けっぷりも古今東西未曾有の出来栄といえましょう。日本再建の気運も自ら生まれてきて、軍部の政治のガンの切開除去、政界明朗化か国民道義の昂揚、外交自ら一新すること、科学振興、米資本誘致により経済、財界は立直り、ついに帝国の真髄一段と発揮すれば、この敗戦必らもしも悪からず、…」(外務省外交史料館別館所蔵)

第6条―「およそ列国間の関係に百年の友なく、又百年の敵なし、今日の敵を転じて明日の友となすこと必ずしも難からず」

9月17日、吉田は、緒方竹虎から「外務大臣になってくれ」と要請された。こうして吉田は戦後政治の表舞台に踊り出た。吉田の手元には上司幣原喜重郎から「終戦善後策」と題する意見書が届けられており、吉田は全面的に同意した。

「凡そ列国間の関係に百年の友なく、又百年の敵なし、現に連合諸国間にも幾多の重要案件に関して利害を異にする所あり、終に抗争対立するの徴(きざし)なしとせず、又、戦時に抗争対立せる諸国間にも迫て時局の進展に従ひ相互の協力、支持を要する問題に直面することあるべく、わが施策がよろしきを得たれば、今日の敵を転じて明日の友となすこと必ずしも難からず、孤立政策はわが国歩伸張(国力発展)上、得策ならざるが故に、われは終始列国離合の動向に注視し、好機に乗じて局面展開を図る用意をする必要がある」(幣原「終戦善後策」)

吉田はヤルタ体制を誇示する連合国が今後、離合することを見透かし、日本の再建策を論じる幣原の眼力に感服した。吉田は自分の日本再建策と重ね合わせ、「戦争に負けて、外交に勝った歴史はある」と闘志を燃やした。

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
『2018年、米朝戦争はあるのか』⑧ー伊勢崎賢治氏の『米朝開戦の瀬戸際で、32ヵ国の陸軍トップを前に僕が話したことー日本メディアの喧騒から遠く離れて』★『憲法9条を先進的だと思ってる日本人が、根本的に誤解していることー世界が驚く奇想天外な状況』★『知らなければよかった「緩衝国家」日本の悲劇。主権がないなんて…日米地位協定の異常性を明かそう』★『世界的にもこんなの異常だ! 在日米軍だけがもつ「特権」の真実ー沖縄女性遺体遺棄事件から考える』

『2018年、米朝戦争はあるのか』⑧ 2017年9月末、北朝鮮開戦が心配されてい …

no image
日中韓異文化理解の歴史学(6)(まとめ記事再録)『日中韓150年戦争史連載80回中、63-70回まで)★『申報の(日清戦争開戦1ヵ月後)日本.まさに滅びんとす』●『申報の開戦2ヵ月後―中国20余省の人民.200万余の兵力でちっぽけな倭奴をなぜ撃滅できないのか』中国20余省の人民.1000万にものぼる資産,200万余の兵力で.ちっぽけな倭奴をなぜ撃滅できないのか』★『「日清戦争の展開」新たな世界的強国(日本)の出現に深い危惧」 (ロシア紙)』

    『「申報」からみた「日中韓150年戦争史」(63)『(日清戦争 …

世界/日本リーダーパワー史(896)-『明治150年、日本興亡史を勉強する』★『明治裏面史―明治30年代までは「西郷兄弟時代」が続いた。』★『その藩閥政権の縁の下の力持ちが西郷従道で明治大発展の要石となった』★『器が小さいと、とかく批判される安倍首相は小西郷の底抜けの大度量を見よ』

   明治裏面史―明治30年代までは「西郷兄弟時代」   『明治藩閥政権の縁の下 …

『日本の運命を分けた<三国干渉>にどう対応したか、戦略的外交の失敗研究講座』⑮』★『日清戦争後の下関講和会議では暗号解読で乗り切った』★『日本が勝った瞬間にロシア・ドイツ・フランスが<三国干渉>という名の武力外交を突きつけてきた』

⓵日清戦争後の下関講和会議暗号解読で講和会議を乗り切る 日本の暗号の歴史をみると …

『大迫力!台風24号接近中の怒涛の稲村ケ崎サーフィン10分間動画決定版(2018年9/29am720-8.30の圧縮版)-怒涛の大波とサーファーの対決決闘編!だれが勝つか!

  2018/10/02 大迫力!決定版◎台風24号接近中の稲村ケ崎サ …

no image
世界、日本メルトダウン(1034)–『朝鮮半島チキンレースの行方はどうなる!』★『北朝鮮攻撃は偶発的な軍事衝突以外にはありえない』●『中国流の「言葉の遊び」「空約束」外交にオバマ政権も日本外交も何度も騙されてきたが、トランプも同じ失敗の轍を踏むのか?』

世界、日本メルトダウン(1034) 『朝鮮半島チキンレースの行方はどうなるのか! …

no image
『F国際ビジネスマンのワールド・ウオッチ㉔』 『リアルの本屋は消えていき、Amazonタブレット、Kindle時代がくる!

      『F国際ビジネスマ …

『Z世代のための最強の日本リーダーシップ研究講座㉟」★『120年前の日露戦争勝利の立役者は児玉源太郎』★『恐露派の元老会議に出席できなかった児玉源太郎』★『ロシア外交の常套手段の恫喝、時間引き延ばし、プロパガンダ、フェイクニュースの二枚舌、三枚舌外交に、日本側は騙され続けた』

元老会議の内幕   (写真右から、児玉総参謀長、井口総務部長、松川作戦 …

no image
日本リーダーパワー史(493)『長期化する日中韓の対立を 百年前の『アジア諸民族の解放の父』-『犬養木堂伝』を 読んで考える」

       日本リ …

『オンライン講座/日本会社資本主義崩壊の歴史』★『日本興亡学入門⑩1991年の記事再録★『百年以上前に<企業利益>よりも<社会貢献>する企業をめざせ、と唱えた公益資本主義の先駆者』ー渋沢栄一(日本資本主義の父)、大原孫三郎(クラレ創業者)、伊庭貞剛(住友財閥中興の祖)の公益資本主義の先駆者に学ぶ』★『日本で最も偉かった経済人は一体誰なのか? 、120年前に21世紀の経営哲学を実践した巨人・大原孫三郎の生涯 』

   『日本興亡学入門⑩1991年の記事再録              …