百歳学入門(227)―記事再録『元祖ス-ローライフの達人・仙人画家の熊谷守一(97歳)のゆっくり、ゆっくり、ゆっくり❢!』
2018/06/01
2010/02/14 日本風狂人列伝(34)
元祖ス-ローライフの達人・仙人画家の熊谷守一(97歳)
仙人、超俗の画家として生前も人気の高かった熊谷は没後,評価はますますうなぎのぼり。その画風とともに「スローライフの」生き方に共感する人が増えている。
画家は好きなことをやっているので長生きの人が多いし、奇人、変人ばかりといっていいでしょうが、その中でも極めつきが熊谷守一でしょう。熊谷守一は97歳で亡くなったが、早くから、「画壇の仙人」「超俗の人」「奇人画家」、伝説の人と呼ばれていましたね。
一八八〇(明治十三)年四月、岐阜県生まれ。父は岐阜市長や衆議院議員だが、中学のとき画家になりたいというと、「芸者と坊主と絵かきはみんなこじきだ」と猛反対された。懇願して何とか一九〇〇(明治三十三)年、東京美術学校西洋画科に入学、青木繁、児島虎次郎らが同級生でいた。
熊谷は小さい時から「偉くなる」ことに疑問を感じた。観察クセはこの頃から強く、小学校時代、先生の話など聞かず、雲の流れや木の葉がヒラヒラまい落ちる様子などをじっと眺めていたので、先生からよく叱られた。
先生はいつも「偉くなれ、偉くなれ」というので、「みんなが、偉くなったら、偉い人ばかりで困るのではないか」と内心思った。「そのころから人を押しのけて前に出るのが大きらい」と自伝的エッセー『へたも絵のうち』で回想する。
美校時代に日暮里の踏切で、人が電車にはねられて死んだところに通りかかり、交番に届けもせず一心不乱に写生、駈けつけた巡査のカンテラまで描いてその写実精神を賞賛されたこともある。
大正十一年、熊谷は四十二歳で秀子夫人と結婚した。二十四歳の秀子夫人は変わった人と聞いた上での、貧乏覚悟の結婚だったが、想像以上だった。
明日食べる米がないという時でさえ、小鳥やネコを飼っていたり、と思えば、一晩中ローソクの明かりで時計やカメラをバラバラにして組み立てに熱中したりで、生活のための絵は一切描かない。窮乏生活が続き、翌年、長男が生まれたが、子供に着せるものがないと、『風呂敷に穴をあけてかぶせとけ』といった具合でまったく描かない。子供が病気になっても医者に見せる金もない。
昭和三年、次男陽(三歳)を疫痢で、昭和七年、三女(一歳)も肺炎で、さらに昭和二十二年に長女(二十二歳)と愛児三人を連続して亡くした。
陽が亡くなった時には、この世にこの子を残す何もないことを思って、棺の中で花に埋もれたわが子の死顔を夢中で描き続けた。描いているうちに自分が嫌になって三十分ぐらいで止めた。『陽の死んだ日』と題したこの絵は熊谷の代表作となった。
子供が病気になっても、生活に困った時でも、絵を描いて金にかえるといぅことは出来なかった。秀子夫人や周囲から「なぜ絵を描かないか」と責められたが、守一は「四十年も過ぎた今になっても、胸のしめつけられる思いですが、あのころはとても売る絵はかけなかったのです」と自伝で回想している。
東京 にある熊谷の家は昭和七(1932)に建てられた。老朽化し雨もりがひどいので、49年夏は屋根瓦をふきかえた。それまでは家の中にバケツを置いて何とかしのいだ。
●家を一歩もでず
木門をはいると、すぐ庭で真ん中が築山となっており、クリ、モモ、カキ、クルミ、ねむの木、などが生い茂っていた。ここが雑木林、今でいう小さな里山となっており、中央に小さな池がある。縁台には小鳥の鳥箱が置かれ、年中、庭に集まってくる鳥のサエズリ、ハーモニーがにぎやか。春夏秋冬と四季折々で、樹木はその姿を180度変える。
水飲み場があるので集まる鳥も昆虫も年中、バラエティに富む。生物多様性のある小宇宙であり、大自然でもある。熊谷は暖かくなった時期には庭にゴザを敷き、木のまくらで昼寝をする。
夏には木陰で休む、手製のパイプを吸いながら、ゴザの上で昼寝もしながら半日過ごす。何時間でも木々や葉々を眺め、鳥のさえずりに耳を傾け、地面に動き回る昆虫やアリの動きを画家の眼で見つめた。
アリの動きをゴザで横になって水平に近い真横から近接してみるとまったく違う。「蟻の歩き方を幾年も見てわかったんですが、蟻は、左の二番目の足から歩きだすんです」「雨、軒からの雨垂れ、雨の一滴。その雨を、何年も何年も見つめます。単純化の極致の熊谷の絵の1つに、「蟻」があるが、あくなき観察から生れた。庭の植物や動物、風物への愛情のこもった作品は、こうして生まれた。
●文化勲章受章を断わる
昭和四十二年、熊谷は文化勲章受章者に内定したが、断わってしまった。宮内庁が再三にわたって説得したが、「めんどうで煩わしい」と聞き入れない。「小さいときから勲章はきらいだったんですわ。
よく軍人が勲章をぶらさげているのを見て、どうしてあんなものをべたべたさげているのかと思ったもんです」「欲しがっておられる方に差し上げてくださればよい」と最後まで固辞した。世間の損得などを超越して、無関心な熊谷は静かな日々は失われることを恐れ、無心に創作三昧の日々を選んだのである。
熊谷は勲章もきらいだが、ハカマもきらい。晴れがましいこと、かしこまることも一切きらい。だから正月もきらい。結婚式に招かれてもハカマは着ないで、モンペで通した。
その翌年、ある新聞で、熊谷は淡々と次のように語っている。
「…犬が横になって寝るのも、猫が病気になると地べたに寝ころんで眠るのも天の
理。私はゴザをしいて庭に寝ころんで眠り、アリが走ればそれが絵になる」 「絵を上手に描こうとは思わない。上手になってどうするんだ。絵は描いているうちにどうなるかわからない。そこがおもしろい。腹が減ったら食う。食うときが旨いので腹がふくれればおわりだ。いまはなにも欲はない。しいて欲しいと思うのは、いのちだけだ」
「私は生きていることが好きだから、他の生きものもみんな好きです」でも・・・。「犬はあまり人間に忠実なので見るのがつらくて飼ったことはありません」、猫の方が好きなのだ。
関連記事
-
-
新刊お勧め本ー日本にいいとこないかな、引越しするのに<最適の岡山>「ハレの国で、深呼吸」(安心して幸せに暮らせる街>
◎日本にいいとこないかな、移住、引越し するのに?→<最適の岡山です> …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(304)★『凡人超人奇人たちの往生術➂/『一怒一老、一笑一若、少肉多菜 少塩多酢 少糖多果 少食「多岨(たそ)この字が正確 、少衣多浴 、少車多歩 少煩多眠 少念多笑、少言多行 少欲多施(渋沢敬三)』
2010/01/21 百歳学入門③記事再録 & …
-
-
日本メルトダウン(949)【独占】小泉純一郎大いに語る「自民党は、どうかしている」●『「日本人よ、目を覚ませ!」市場が、黒田日銀をついに見放したのかもしれない 現れ出した「不自然な動き」』●『もう来なくていい!中国人の「ドタキャン」ひどすぎる』●『一代で年商500億を超えた「新しい億万長者」たちの仕事哲学 急成長のヒミツを徹底調査!
日本メルトダウン(949) 【独占】小泉純一郎大いに語る「自 …
-
-
『日本の代表的な歴史美観地区をぶらり散歩する巣ごもり動画の旅』★『観光立国日本のシンボル都市―岡山県倉敷市の歴史美観地区」<和と洋、レトロとモダンな蔵が並ぶ江戸時代の町並みはステキ!>
2013/01/09   …
-
-
知的巨人たちの百歳学(183)/記事再録/『中国の沙漠を甦らせた奇跡の男・遠山正瑛(97歳)』★『やればできる、やらなきやできない。それだけのことですよ。世の中、口ばかりで行動に移さない人間が多すぎるんだねえ』
2013/09/26   …
-
-
知的巨人の百歳学(154)記事再録 <日本超高齢社会>の過去④<日本の天才長寿脳はだれなのか・黒澤明(88歳)、『野上弥生子(99歳)、昭和天皇が87歳で最長寿、在位期間も63年で一番長いですね>
2010/01/26 /百歳学入門(14) < …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(60)記事再録/『高橋是清の国難突破力②』★『「明治のリーダー・高橋是清(蔵相5回、首相)は「小さな 政治の知恵はないが、国家の大局を考え、絶対にものを恐れない人」 (賀屋興宣の評)
2013/11/11 …
-
-
『ウクライナ戦争に見る ロシアの恫喝・陰謀外交の研究⑦』★日露300年戦争(3)★『『露寇(ろこう)事件とは何か』―『教科書では明治維新(1868年)の発端をペリーの黒船来航から書き起こしている。 しかし、ロシアの方がアメリカよりも100年も前から、日本に通商・開国を求めてやってきた』
2017/11/16日露300年戦争(3) 『元寇の役』 …
-
-
『 鎌倉通―鎌倉アジサイYouTubeチャンネル』≪6月の鎌倉は紫陽花・極美の世界。「東慶寺は花・鳥・緑の極楽!≫
『 鎌倉通―鎌倉アジサイYouT …
