前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

<国難日本史ケーススタディー①>『三国干渉』(明治28年)でのリーダーたちのインテリジェンスー知恵と勇気の古典に学ぶ①

   

<国難日本史ケーススタディー①>
 
『三国干渉』(1895年(明治28)でのリーダーたちのインテリジェンス
から学ぶー』
現在の超難関を突破するため、『坂の上の雲』の先人たちの
知恵と勇気の古典に学ぶ①
 
 
日本の超難問クイズを考えましょう。現在日本が陥っている状況はーーーー
   少子超高齢化から、2050年には人口4000万人急減の衰退国家になる。
   財政赤字は国地方合わせて2000兆円近い借金赤字倒産国家
   原発廃炉まで50年かかる長期低線量被ばく国家
   3・11大震災の3重苦、4重苦の未曾有の国難に襲われているー
 
それなのに政治の現状は日々、メディアを通して皆さんご存じの通り。亡国の惨状である、国に日本の行くべき道を示す国家戦略は全くなし、政治家に人なし政治力なし、外交力は昔からなし、明治、大正に少なからずいた危機にあらわれる行動派知識人なし、無能なマスゴミ、叡智のメディアなし、低俗テレビは一切見る時間の無駄、政治に無関心な羊のようなおとなしい、悲しき日本人ばかり、そして日本は・・・・>
 
前坂俊之(ジャーナリスト)
 
 
ここでは日清戦争の勝利の後に、ロシア、フランス、ドイツが組んで、勝利の獲物を手放さないと戦争をするぞと最後通牒をつきつけた「三国干渉」を学ぶ。これは日清戦争に勝利したと油断した途端、日本は絶体絶命のピンチに陥った。突きつけられた3大国からのピストルに即、ホールドアップして、屈服したのである。
当時の帝国主義全盛の国際軍事競争の中で、下位の新興国日本の大国中国に勝ったという慢心の鼻を容赦なくへし折った。当時の知識人、三宅雪嶺、福沢諭吉、林( ただすらはこの日本外交の失敗と今後の国民の態度をどう批判したかを見て行く。いずれの言説も今読みなおしても正論を展開しており、大いに参考になる。
 
 
 
臥薪嘗胆論①<三宅雪嶺〔明治28年5月15日 『日本』〕>
 
 太閤豊臣秀吉の朝鮮を伐ち、明国と戦いてより、ここに三百三十年、しこうして今上天皇陛下の朝鮮を助け清国を征せさせ給えるあり。前には鴨緑江を越ゆることあたわず、あとには遠く北は遼河の水を渡り、南は遥かに高砂の岸に及びぬ。神州の威武、歳月を経て衰えざる、知るべきかな。
 
清の袁棟、本朝前朝に超越するもの八事といい、第二は台湾、青海また版図に入り、幅員の広さことこれ、第八は外方平治して和親致幣の事なし、御守の略これといいしか、.この二事は、今や我が帝国のために毀傷せらるることとなりぬ。我、
実に東洋の形勢を動かせるにあらずや。
 
将の事、相の事∵完全を標準とせば、もとより批難すべきなきにあらず。しかも電光石打や機を一瞬に決するの際、多少の遺漏、多
少の錯誤はけだし免れざる所、これを咎むるは、むしろ難を人に求むるものならんか。
 
ただ最後の頓挫真に憾むべく、疾呼し絶叫して責むるの価値あるも、しかるも当局者に於いて、既にすでに自から悔悟する所あるべけ
 
れば、今更これを窮逐するも益なかるべきか。ただ波瀾や顕わるる所、彼に止まり、しこうして.その淵源は至って遠く、末渾浩流転して浩々平で茫々乎たるべきを測られず。
 
国民は長江に浮かぶの心掛けなかるべからず。標的を失わんか、いかんすべき、大風起こらんか、いかんすべき。舵の用意、帆の用意-
 およそ物は順境に過ぎれば観るに足らず。草木は温湿を要し、肥料を要するも、すべてあまりに充実すれば、いたずらに葉ぼこりして、実りきわめて鮮少、ために田夫は枝を折り葉を除き、農夫は麦田をしてことさらに人の蹂躙に任すなり、けだし枝葉の損害は花実を多くすべければなり。人の究厄して奮起するまたしかり。
 
蘇秦以って六国の印綬を帯び、省門以って関八州を領収し、しこうて公卿輩はついになすこと有なし。国家の大に在りても、メキシコのごとく、ペルーのごとく世界に離れて無事泰平を貪るものはひとたび外邦と衝突して亡びざるを得ざれども、欧洲列国のごとく虎視狼睨、今に明を料りがたき形勢に慣れては、突如異変の伸発するあるも、容易に崩壊せざるなり。

累卵より安さはなく、任辱より危うさはなしとは、それこの謂いにあらざるか。艱難は人を玉にし、また国を玉にす。我が国は建国以来、他の侮蔑を被りしことなく、入皆愛国心に富み、夢裡なおかつ外邦の検束を受けんとはせざるなり。

かの拝西家なるもの、ややもすれば自国を忘るるの観あれども、そのはなはだしきに至るは、急速に欧洲と同等ならんと欲するか、

もしくは一時,感情に浮かされ定前後を識別せざるかにして、事あるの日にほ、おおむね身を以って国に殉(したがう)わんとすべきなり。
 
愛国の民は篤く国力を信じ、機会もあらば祖先伝来の威信を発揚せんと欲ししが、昨年端しなくも扶弱挫強の任を帯び、海外に突出するに至りぬ。
しかれども兼ね国力を信じたりしも、敵国は名にしおう大国なれば、一かれ兵弱く術拙くも、兎に角、災厄に遭遇せざるべからずと慮りしに、ひとたび出兵してより以来、戦うとして勝たざるなく、攻むるとして取らざるなく、我ながら力の大なるに驚くほどなりしが、
 
これいわゆる禍患の忽微に積み、知勇の溺るる所に困しむ所、胆大なるとともに、心また大となり、一躍して宇内に雄飛せりとし、東洋の事は東洋自から当り、敢えて西洋の容回かいを許さざるべしとは、戦勝者の自から言う所にして、これを戦敗者に望むべからざるを忘却するに及べり。慢心は良き所にて挫けたり、ここに挫けざれば必ず或る処に挫けん、ここに挫けしは、すなわち事日大を成す所以ならん。
 
 征清の師は、以って清国の弱を知り得しも、以ってわが帝国の強を知多に足らず、師団長にして今回の戦争は演習よりも易しと言うありき。内地に在りて勝報を聞き、我強しとせるは、これ油断の大敵を招ける所ならざらんや。もし連戦連勝の時に当りで、深く時勢の大局に視、微を慎しみ漸を戒めば、決して邦家の大計を誤るこよなかるべかりしなり。
 
西邦強しといえども、東洋に在りては強弩の未、我、清国に加うるに、更に一国を以ってするを得べくも、救国連合とありては多勢に無勢、我ついに屈せざるを得るも大害を免るるに由なし。
 
戦争外に数千万金を得たざるの結果、かくのごとぐなるべきか。現代の東洋は西洋に関連す。事を東洋に起さんと欲せば、もとより西洋の状勢を図り、兵力にして以って当るべくは、すなわち以ってで当るの覚悟をなし、縦横の策にして用ゆべくは、すなわちこれを用ゆる孜々(しし)べんべん、ごうも他の来る来たらざるをたのむべからざるな。

時には目を閉じて断乎として決行する所なきを得ざるも、世界を相手にするの念慮、しゅゆも去るべからず。清国に勝たんとせば、清国より大なるものに勝つの覚悟ありて、しこうして後可。今回の蹉跌は、実に国民をしてここに感悟する所あらしめしなり。書を読むは憂いの初め、国家、兵を用ゆるは外患の初め、しかれども世界に天職を尽すにやむを得ざるものあかんか、また何をか尽せん。

 
 

 - 人物研究 , , , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

『オンライン/2022年はどうなるのか講座④』★「日米戦争80年」―インテリジェンスなき日本の漂流は続く』★『コロナ敗戦、デジタル敗戦、超高齢少子人口減少社会で2度死ぬ日本は「座して死を待っている状態だ」』

  「日米戦争80年」―インテリジェンスなき日本の漂流は続く    前 …

日本リーダーパワー史(605)日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(元寇の役、ペリー黒船来航で徳川幕府崩壊へ)ー日清、日露戦争勝利の方程式を解いた空前絶後の名将「川上操六」の誕生へ①

  日本リーダーパワー史(605) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』 (元寇の …

no image
日本リーダーパワー史(49)名将・川上操六のモルトケ戦略の応用とは・・ロジスティックの重視⑤

日本リーダーパワー史(49)名将・川上操六のモルトケ戦略の応用⑤ <クイズ『坂の …

no image
明治史の復習問題/日本リーダーパワー史(459)「敬天愛人ー民主的革命家としての「西郷隆盛」論ー中野正剛(「戦時宰相論」の講演録①②③④⑤『明治維新で戦争なき革命を実現した南洲、海舟のウルトラリーダーシップ』★『西南戦争では1万5千中、9千人の子弟が枕を並べて殉死した天下の壮観』

    2014年1月15日  日本リーダーパワー …

最高に面白い人物史①人気記事再録★「日本人の知の限界値」「博覧強記/奇想天外/抱腹絶倒」➂九十まで生きて思うよう仕事を完成して、死んだら頭の先から爪の先まで売り払って乞食にいっぱいのましてやると豪語

  2015/05/01   「先生は本 …

『Z世代のための日本政治・大正史講座』★『尾崎咢堂の語る明治・大正の首相のリーダーシップ・外交失敗史⑤>』★『加藤高明(外相、首相)―事務官上りが役に立たぬ例』★『志の高い政治理念集団としての政党』が日本にはない。派閥グループ集団のみ、これが国が崩壊していく原因』

    2012/03/17 &nbsp …

no image
日本リーダーパワー史(431)「ワシントン軍縮会議をまとめた加藤友三郎(首相)は「冷徹で大局的に判断した人」(賀屋興宣)

 日本リーダーパワー史(431)   ★「明治のリーダー・ワ …

『オンライン現代史講座/『日本が世界に先駆けて『奴隷解放』に取り組んで勝利したマリア・ルス号事件(明治5年7月)を指揮した」『150年前の日本と中国―副島種臣外務卿のインテリジェンス』

      2019/04/08日本リーダーパワー …

『Z世代のための明治大発展の国家参謀・杉山茂丸の国難突破力講⑫』★『杉山の「バカとアホウの壁」解説②」★『約三千人の宮女に家の中で駈けっこをさせたいと「阿房宮」(長さ百里)を作ったのが「阿房(あほう)の語源』

明治末期の今の時代には、権力者や富豪の前へ出ても、違った事にも頭を下げ、「ご無理 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(110)/記事再録☆『伊藤博文がロンドンに密航して、下関戦争(英国対長州藩との戦争)が始まることを聞いて、急きょ帰国して藩主に切腹覚悟で止めに入った決断と勇気が明治維新を起した』(上)

  人気リクエスト記事再録 2010/12/22執筆・日本リーダーパワ …