百歳学入門(38)―『『天才老人・本多静六(85)の70,80歳になっても元気で創造する秘訣―『加齢創造学』
百歳学入門(38)―『百歳長寿名言』
『天才老人・本多静六(85)の70,80歳になっ
ても元気で創造する秘訣―『加齢創造学』
ても元気で創造する秘訣―『加齢創造学』
① 人間は老衰するから働けなくなるのではなく、働かないから老衰する。
② 「忙しさ」が自分を若返らせる、忙しいことほど体の薬はない。
③ 私の健康法は、愉快に働いて、粗食をうまく食る。物質的な贅沢ではなく精神的な贅沢をする。
④ 朝早く希望に目覚め、深夜、感謝の気持ちで眠る。
⑤ 70年すぎた私は今も大いに学ぶ。年老いてなお、向上心と努力精進の意欲に燃えている。
⑥ 私は八十歳を過ぎても、まだこの先、百二十歳まで生きるつもりの「人生計画」を立てている。
本多 静六(ほんだ せいろく / 1866年 – 1952年 )はまさしく『天才老人』のなにふさわしい。「公園の父」と称される東京大学農学部教授である。日比谷公園をはじめ、北海道の大沼公園や福島県の鶴ヶ城公園、埼玉県の羊山公園、東京都の明治神宮、長野県の臥竜公園、石川県の卯辰公園、福岡県の大濠公園など、明治期以降の日本の多くの大規模公園の開設・修正に携わった。人物。ドイツ留学でのブレンターノ教授の教えから、勤倹貯蓄を処世訓とし、勤倹貯蓄として、収入の1/4は必ず貯蓄をし、巨万の富を築きその金のほとんどは、公共に寄付した
【生涯現役】で若い時に人生の目的を定め、その通り規則正しい生活を続けて、健康長寿で70,80歳でも精力的に仕事と執筆を続けて。日々1ページ原稿を書くことを常としたため、370冊を超える本を出している。
病気知らずの本多静六の健康法
健康が成功の基礎であることは言うまでもないが、私は別に自分の健康法な
どに注意しなかった。ただ、仕事に努力して、職業を道楽化し、その道楽に精進しているだけだが、強いて、これは健康法であったかなと思われる点を次に挙げてみよう。
l・青少年時代には水行(冷水浴)、中年時代から冷水摩擦を実行している。
2・専心努力して、仕事に夢中になり、腹を減らして何でもうまく食う。
3・疲れたときは、どこでも十五分ないし三十分、眠る。
五十歳ごろからは次のことを実行している。
4・腹八分目に食う(ただし、絶対量は人並み以上)。
5・食後十五分ないし三十分間ずつ、安息したり、眠ったりする。
6・夜間八時から十時ごろまで、約二時間歩く。
六十歳ごろからは、さらに次のことを始めた。
7・飲、食、性の三欲を八分目に減らした。
よその家などにおじゃました際、せっかくごちそうを出して下されたときは
何でもありがたく頂戴するが、平常、家庭にあっては、米麦ぎ飯を二杯半、み
そ汁と多くの野菜類を食べるようにした。
8・アルコールは小瓶のビールを一本、食事はゆっくり噛み締めて食べる。
9・ときどき大の字に寝ころんで、思いきり手足を伸ばす。
10・自分が出しゃばらずにすむ社交の会合や夜の宴会などにはできるだけ
出席しないで、平和な家庭生活を楽しみ、常に草花園芸に親しむ。
l1 毎朝、水を一、二合ずつ飲んで、通じをよくする。
12・自分の現在の境遇は常に過分であると信じ、何らの不平不満を言わない。
特に近年は、悲しみも骨折もたちまち喜びと幸福とに振り替え、絶えず愉快に働いている。
私の健康法は、愉快に働いて、粗食をうまく食うことに尽きる。
そして、物質的な贅沢をしないかわりに、精神的な贅沢をしている。朝早く希
望に目覚め、深夜、感謝の念を抱きつつ眠る毎日である。
また、私は旅行と早起きのクセがある。そのため、自然に「絶えず新鮮な空
気を呼吸し、日光に十分浴し、食物をうまく食べる」という健康法が身につい
たと信じている。
●私が思うに、人間は老衰するから働けなくなるのではなく、働かないから老
衰するのだ。
●私は八十歳を過ぎても、まだこの先、百二十歳まで生きるつもりの「人生計画」
を立てている。
を立てている。
そして今も、去年より今年のほうが経験を積んだ、知識も広げられた、思考も深まったという自信を持って、社会・国家・人類に貢献できると喜び勇んでいる。死に至るときまで、日々新たな努力を楽しんでいる。
この姿勢が、私が老衰を免れ、元気に働き続けていられる要因の一つだと思
っている。
●この「忙しさ」が自分を若返らせる
よく食べよく眠るためには、毎日をできるだけ忙しくする工夫が大切である。それには、自分でやれることは何でも自分でやること。私は大学に勤めていたときも、帝国森林会に日勤していたときも、共に必ず定刻よりは早めに出かけた。そうして、自分の部屋を自分で掃除し、雑巾がけもやった。
特に森林会では、どのような来訪者にも職員がただちに応接し、会長自らもどんどん出ていって話を片づけた。そのため給仕・小使などの必要すなかった。 要するに、何でも自分のことは自分ですますことが私の流儀であった。
家庭における日常の生活態度も同じ。玄関番、掃除、薪割り、何でもござれで引き受けてきた。思うに、忙しいことほど体の薬になるものはない。
書くこと、しゃべること、農作業をすること、それに水源林の視察、演習林の指導、講演行脚と、今もって私もなかなか忙しい。しかも、忙しければ忙しいほどますます愉快だ。
大学を離れてなお、研究に、経営に、社会事業に忙しく働き続けている人ほど、同じ老教授の仲間でも、暦年の齢を超越して、みな元気で、若やいでいることであった。
つまり、仕事が人を年寄らせないのだ。忙しさが人を若返らせるともいえる。
私もここで、われとわが身を大いに顧みさせられたものである。
●84歳になった私の日常を紹介してみよう。
朝は五時半に起きる。そして、六時からラジオ英語を聴いて、朝食をとる。
私はドイツに留学したので、ドイツ語は相当できるが、英語は今まで
落ち着いて習う機会がなかった。そこで、六十の手習いどころか、「八十の中
学生」で、数年前から英語の独習を思い立った。ラジオは、その私の先生である。
さて、朝食後は三十分間休み。
次いで書斎に入って、読書または執筆を始める。
十時から十一時ごろに、到着した郵便を開いて、返事を要するものはすぐ、返事を書く。決して翌日には持ち越さない。
十二時には、ニュースを聴きながら昼食を食べる。
天気のよい日には、十二時半か一時から畑に出て、仕事に精を出す。一年中を通じて、畑仕事は相当に忙しい。
また、散歩を兼ねた使いに出歩く。四時にはだいたいこれを終えて、入浴、
または手足を拭き清める。
五時には、ニュースを聴きながら夕食を食べる。その後は、椅子か寝床で一
時間ほどゆっくり休息する。
六時になると、また英会話を始める。さらに夜はずっと執筆時間にあてる。輿に乗じて、しばしば深夜一時、二時に及ぶこともある。しかし、このごろは努めて無理はしないようにしている。
思い起こせば少年時代、十五の暮れに上京する際、祖父の折原友右衛門は私にこう言った。
「塙保己一は盲目でありながら、六百冊からなる『群書類従』その他、立派な本をこしらえた。目が見えるおまえが塙保己一のように勉強すれば、保己一以上に本がいくらでも書けるはずだ。うんと勉強しろよ」
この言葉は、私の頭に染み込み、ぜひ大いに勉強して、本が書けるような偉い人になりたいと思い続けてきた。
そして、七十余年。私は今も大いに学んでいる。私には年老いてなお、学生時代の向上心と努力精進の意欲が多分に残されている。向上心を持って、努力精進する。これは、是が非でも死ぬまで続けなければならないと思っている。
関連記事
-
-
『Z世代のための死生学入門』『中江兆民(53歳)の死に方の美学』★『医者から悪性の食道ガンと宣告され「余命一年半・・」と告げられた兆民いわく』★『一年半、諸君は短促なりといわん。余は極めて悠久なりという。 もし短といわんと欲せば、十年も短なり、五十年も短なり。百年も短なり。 それ生時限りありて、死後限り無し」(『1年半有』)』
★『中江兆民(53歳)の遺言』ー「戒名は無用、葬式も無用、灰 …
-
-
『鎌倉釣りバカ人生30年/回想動画録』⑬『10年前の鎌倉沖は豊饒の海だった』★『Severe winter in KAMAKURA SEA』『老人の海』=『ラッキー!大カサゴのお出ましじゃ』
2011-02-17 記事再録 =『Severe winter in KAMAK …
-
-
『F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ ウオッチ(191)』『4億円を寄付した男の“危機感”(湯浅誠) ー中流層の崩壊を何としても食い止めなければなりません』●『渦中の都議会内田茂自民党幹事長、老舗電気工事業者、東光電気工事の監査役を兼務していたー都民も司直も舐められたものです。』●『(編集長コラム)五輪を迎える東京湾は死にかけている』●『ダイバーシティの現状、未来を見据えてこそ意味がある』
『F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ ウオッチ(191)』 『4億円を寄 …
-
-
百歳学入門(158)★『昭和戦後日本経済成長の立役者』松下幸之助(94) 『病弱だったことが私の成功の最大の秘訣!ー『私1人でできんのでみんなに任せてやってもらった。」
百歳学入門<158> 『昭和戦後日本経済成長の立役者』松下幸之助(9 …
-
-
長寿学入門(219)ー日本ジャーナリスト懇話会(2018/3/23)で『60,70歳から先人に学ぶ百歳実践学入門』を講演『私の調査による百歳長寿者の実像とは・・』★『「生死一如」-生き急ぎ、死に急ぎ、PPK(ピンピンコロリ)をめざす。』
日本ジャーナリスト懇話会 2018年3月23日 『60,70歳から先人に学ぶ百 …
-
-
『リモートワーク/京都世界文化遺産/外国人観光客へお勧め/豊臣秀吉ゆかり醍醐寺をぶらり散歩動画(2016/09/04 /30分)』★『桃山時代の面影を残す秀吉ゆかりの古刹』★『秀吉が設計した三宝院の庭園の天下の名石・藤戸石』★『秀頼の作った西大門から入り広大な伽藍に向かう』★『本堂の金堂(国宝)は秀吉の命で紀州湯浅から移築、本尊の薬師如来像がある』★『西大門の仁王像、運慶、快慶以前の現物残る傑作、なぜ国宝でないのか』
★⒑外国人観光客へお勧めベスト①『京都古寺・醍醐寺」のすべて➀桃山時代を残す秀吉 …
-
-
知的巨人の百歳学(162 )記事再録/「昆虫記を完成したファーブル(92歳)は遅咲き晩年長寿の達人-海、山を観察すれば楽しみいっぱい
2013/07/30 / 2015/01/ …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(185)-「財界巨人たちの長寿・晩晴学①」渋沢栄一、岩崎久弥、大倉喜八郎、馬越恭平、松永安左衛門―『<〝晩成〟はやすく〝晩晴″は難し>』★『晩晴は人生そのものを第一義とし、事業はその一部にすぎず、真に老いに透徹した達人でなければ達し得ぬ人生最高の境地こそ〝晩晴〟である』
2012/12/29   …