終戦70年・日本敗戦史(66)A級戦犯指定の徳富蘇峰が語る『なぜ日本は敗れたのか』⑯ 日本の教育が日本を亡国させた。
2015/05/12
終戦70年・日本敗戦史(66)
A級戦犯指定の徳富蘇峰が語る『なぜ日本は敗れたのか』⑯
日本の教育が日本を亡国させたー学校は人材を造る所でもあり、
人材を殺す所でもある。
大切なのは学校、学歴よりも学力、人間力、経験力であり、人間学を体験、
苦労した人でなけれんば、真のリーダーにはなれないー
現在もこの教育制度の欠陥が続いている。
学校は人材を造る所でもあるが、また人材を殺す所でもある。明治以来、大正昭和を経て、日本は文武百官、在野の諸業務に至るまで、ほとんどその幹部は、官学で占めていた。しかるにその官学なるものが、前にも言った通り、形式と独善とによって、一定の型を作り、その型で人物を造ったから、ここに所謂る人物餞饉なるものが出て来った。
泰平無事の時には、形式に囚われ、一人よがりの独善我流でも、兎や角やって行ったが、一旦緩急あれば、たちまち彼等はなす所を知らず、茫然自失に至った事は、当然の事である。
畳の上を泳ぐ事を学んだ者も、水の中に投ずれば、たちまちおぼれる事は、当然の事である。これは日本に限った事ではない。何れの国でも同様である。それで一旦緩急があれば、いろいろの人物が、顔を出して来る。ところが日本では、顔を出させもせず、また出すべき顔もなかった。全く品物不足であった。
例えば相手側の蒋介石も、彼は決して、大学で銀時計をもらった者でもなければ、恩賜(おんし)の短剣に与かった者でもない。彼も一通りは軍事の教練を経たようだが、それよりも彼は、人間大学に学んで、人間学を卒業した者と、言った方が、適当であろう。
チャーチルも、彼は英国貴族富豪の定石通り、イートン、ハローより、ケンブリッジ、オックスフォードというような、順序を履んだ男ではない。彼は大学の代りに、兵学校に入ったが、やがては彼の少壮時代の冒険生活が、彼をして今日をあらしめた。彼の少壮時代の事について、彼の自ら書いた所を見れば、彼が今日ある事は、決して不思議とは思わない。彼は実に東西南北の人である。浮きつ沈みつインド、エジプト、キューバに、南アフリカに赴き、至る所で員外将校となり、あるいは従軍記者となり、ある時には官軍に味方し、ある時は反乱軍に加わり、随所にその運命を試みた。しかも伝統的保守党の家柄に生れながら、やがては自覚に反して自由党に加わり、自由党でその最も血の気の湧く時代を過した。
彼が自由党に加わり、一躍その幹部の一部に加わった頃、ある人がその同僚の先輩モルレーに、この頃チャーチルは、しきりにナポレオン伝を研究しっつあると話した所、モルレーは、それは困る、これまでナポレオン伝を研究して、できそこないのナポレオンが出来、世間に迷惑を掛けた者が少なくない。
チャーチルには、ナポレオン伝よりも、色男の伝でも研究して、柔性を操縦する道でも、研究させめた方が、安全であろう、と言ったという事を、当時の首相アスキス夫人が、書いている。
これは冗談ではあるが、如何にチャーチルその人が、英気勃々であったかを知るべき断片であろう。ロイド・ジョージの如きも、全く貧乏人の子供で、田舎弁護士から叩き上げたもの、大学の教育などは、受けた者ではなかった。近くは米国について見ても、その通りである。
今日バーンズに代って、国務長官たるマーシャル元帥の如きは、米国では武文の全材たるに、近かきものと言うべきであるが、彼は少年時代、遂にウエスト・ポイントの陸軍兵学校に入学がかなわず、余儀なくヴァージニヤの陸軍学校に、入校した漢(男)であって、彼がルーズベルトに抜擢せられて、参謀総長となった事は、経歴などは問題にしない米国でさえも、随分世間を驚ろかしせた出来事であった。また今日の参謀総長アイゼンハウアーも、ウエスト・ポイントの出身者ではない。何れも正式の順序でなくして、側から飛び込んだ者と、言わねばなるまい。
今更ら太閤秀吉の身許調べをする必要もなく、クロムウェルが、どこで戦術戦略を学んだと吟味する必要もなく、明治維新時代のわが国のモルトケといわれた大村益次郎http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%91%E7%9B%8A%E6%AC%A1%E9%83%8E
も、その元をただせば、貧乏の蘭学医者に過ぎなかった。しかるに陸海軍供に、善を尽し、美を尽し、士官学校、兵学校、砲術学校、水雷学校、あらゆる専門学校より、大学校に至るまで、完備していて、別段この人というような人間の、出来なかった事は、全く教育が人物を殺したためと、言うより他には、説明は出来ない。そこで私は、日本の教育は、遂に日本をして、亡国させたと、結論する者である。
(昭和22年1月29日午前、晩晴草堂にて)
関連記事
-
-
『オンライン講座/今、日本に必要なのは有能な外交官、タフネゴシエーター』★『日本最強の外交官・金子堅太郎のインテジェンス③』★『ルーズベルト大統領だけでなく、ヘイ外務大臣、海軍大臣とも旧知の仲』★『外交の基本―真に頼るところのものはその国の親友である』★『内乱寸前のロシア、挙国一致の日本が勝つ、とル大統領が明言』
日本リーダーパワー史(831)★ 201 …
-
-
『ガラパゴス国家・日本敗戦史』⑱日本帝国最後の日(1945年8月15日)をめぐる攻防―終戦和平か、徹底抗戦か➂』
『ガラパゴス国家・日本敗戦史』⑱ 『日本の最も長い日―日本帝国最後の日 …
-
-
★『世界日本史/歴史メモ➀』-『西郷隆盛(南洲)のおもしろエピソード』★『お妾さんを囲うのではなく、猟犬2頭を飼っていた西郷どん』★『元勲となっても長屋に住む』
藤田東湖と橋本左内を高くい評価した西郷隆盛 西郷隆盛 …
-
-
世界/日本リーダーパワー史(962)ー『2019年は『地政学的不況』の深刻化で「世界的不況」に突入するのか,米中貿易協議(3/1)の行方はどうなる!?』➀
世界/日本リーダーパワー史(962) 前坂俊之(ジャーナリスト) 2018年12 …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(60)記事再録/『高橋是清の国難突破力②』★『「明治のリーダー・高橋是清(蔵相5回、首相)は「小さな 政治の知恵はないが、国家の大局を考え、絶対にものを恐れない人」 (賀屋興宣の評)
2013/11/11 …
-
-
<イラク戦争から1年>―『戦争報道を検証する』
2003年 12月5日 前坂 俊之(静岡県立大学国際関係学部教授) …
-
-
日本リーダーパワー史(695)日中韓150年史の真実(1) 「日本開国の父」ー福沢諭吉の 「西欧の侵略阻止のための日中韓提携」 はなぜ頓挫し、「脱亜論」に一転したか ー中華思想、事大主義の原罪を問う」①
日本リーダーパワー史(695) 日中韓150年史の真実(1) 「日本開国の父」ー …
-
-
『オンライン現代史講座/1930年代の2・26事件の研究』★『太平洋戦争(1941年)へのターニングポイントになった2・26事件<1936年(昭和11>当時のマスコミの言論萎縮と「世直し明神・阿部定事件』★『 二・二六事件でトドメを刺された新聞』★『愛する男の命を絶っまでに愛を燃焼し尽くした純愛の女として同情を集め、一躍〝サダイズム″なる新語まで生まれた』
太平洋戦争へのターニングポイントになった2・26事件<1936年(昭 …
-
-
『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』㉑「 日本か朝鮮を狙うのは有害無益なことを論ず」(申報)
『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』 日中韓の …
