『日露インテリジェンス戦争を制した天才参謀・明石元二郎大佐』⑥ー極秘の武器輸送のジョン・グラフトン号事件』
2015/03/06
『日露インテリジェンス戦争を制した天才参謀・明石元二郎大佐』⑥
『ロシア革命への序曲、ー極秘の武器輸送のジョン・グラフトン号事件』
前坂俊之(ジャーナリスト)
ー極秘の武器輸送のジョン・グラフトン号事件 -
兵器輸送用のために、革命主義者たちは2隻の小蒸気船を購入した。「セスネ号」と「セシール号」で、米国婦人のハルなる者を持主とし、その目的はもっぱらバルチック沿岸への陸揚げ用だったので、船員もすべてバルチック沿岸の不平党員とした。
しかし、一万六千の小銃と三百万の弾丸を輸送するには、とうていこの2隻では不可能なので、別に六、七百トンの運送船を手に入れる必要があった。これを購入するのは困難を極めたがなんとか入手したのが、ジョン・グラフトン号であった。一方スイスより陛路で鉄道輸送するには計八両の貨車が必要だった。
明石大佐はこれを日本の高田商会のロンドン支店に秘密裏に事情を話して、依頼すると、支店長は店と関係深い英人スコットに相談し、次のような計画を立てた。
まず支店長より、オランダのロッテルダムの高田代理店に命じて、スイスから送ってきた銃器をとり継ぎ、そこから英国の高田商会の取引先のワットの下に送り、さらに.ワットはフィリピンのマニラ向けと称せして、一たんワットの大型船をもってこれを英国海峡の沖合まで送り出す。この時、ジョン・グラフトン号が、その沖合で待機して大型船から転載し、これより北方のバルチック海をめざして輸送するという極秘プランであった。
七月中旬———スイスのハレよりオランダ、ロッテルダムの高田代理店コルドネ商会宛ての運送はまず無事にすんだ。七月末、英仏海峡を南航し、海峡の一孤島ゲンゼー沖に出たジョン・グラフトン号は、ワットの大型船が運んでくる銃器一万六千、弾丸三百万、撃銃三千挺を転載した。
この時に海は大荒れで積み替えに難航し昼夜兼行三日かかってようやくこの作業を終えた。ここから船員はロシア革命党貝のみに代って、北方へ船首を向けた。この中には、もちろん明石大佐も乗っていた。
他方、小蒸気船のセシール号が、これらの兵器を移載する迎え船としてヴィポルブ南方の小島にまわされた。この秘密輸送なんとかは無事に到着した。
また黒海方面へ回す兵器も、中途に困難を伴ったが、八月初旬銃八千五百、弾丸百二十万は、地中海のマルタ島まで到着した。
明石大佐はこのころ、シワヤクスらと別れてロンドンを発し、パリに来ってコーカサスの領袖たちと会い、とんぼ返りでベルリンでポーランド社会党のヨードコーにも秘密会合をもち、今後の輸送のことを協議した。
ストックホルムに帰ったのは八月二十日であった。このとき、もはやオイスター湾に日露講和の風が微かながら吹いてきた。
明石大佐が帰ると、留守居役の長尾中佐がきっそく待ちかねたように 「八月初旬フィンランドよりフルヘルムが来て、『ジョン・グラフトン号が投錨のはずなるヴィボルグの南方の着船地に監視塔のあることを発見した』と通報してきたので、とりあえずデンマークあてに、その着船点をフィンランドとスウェーデンの間の海岸に変更するよう通告しておきました」、と報告した。
明石大佐はこれには驚いて、この上陸地点変更の重要な連絡がたしかに同船に達したかどうか、非常に心配になってきた。
その数日後に、シリヤスクから、ジョン・グラフトン号にかんする悲報がもたらされた。彼もヴィポルグの監視塔発見の報を聞いて、八月十四日の夜の月明を利用して、陸揚地の変更命令を伝えようと、終夜その通路と予定海域をボートこぎまわったが、ついにジョン・グラフトン号の姿みとめることができなかった、というのだ。
これより先、同船は、デンマークに逆戻りし、シリヤクスを尋ねてきて「十八日には命令通りヴィンダウの北角でバルチック沿岸不平党の銃器を陸揚げすることができた。しかし、十九日にヴィポルグにきたが、迎船(セシール)の姿が見えぬ。疑心暗鬼になりここまで逆戻りした。計画を練り直そう」という。
こうして、監視塔によって、ヴィポルグはとうてい不可能だからロシア・スウェーデン両国の境界ケミー、トルネオ地方より次第に兵器を下しっつ、南下すべしとの命令を出して、昨日、右上陸点に出発させた、とシソヤスクは報告した。
しかし、この上陸命令地のケミー、トルネオという地方の近海は、船舶の出入もなく、海図も充分完備していない。その間を秘密指令を帯びた「ジョン・グラフトン号」は、手探り状態で進んで、なんとかトルネオほかの一地点に銃器を陸揚げすることに成功したのである。
さらに進んで、第三点のラタン地方では、ついにこの反政府党の運命を托したこの冒険船は、坐樵してしまった。九月初旬のことだが、いち早くこの情報は、ヨーロッパの各新聞は「不思議なる船、銃器、弾丸をのせて座礁」「謎のジョン・グラフトン事件」として、センセーショナルに報道された。
ロシア警察は坐礁船ありと聞いて、ただちに警察官を派遣し、その船員を捕えて船室へ禁錮し、兵器の陸揚げを終ってからこれを釈放した。警察官は即座にこれをペテルブルグに報告したので、政府から仮装巡洋艦アシヤが派遣され、積載していた銃器八千四百挺が応酬された。これは一旦禁固した船員をそのまま釈放するという間抜けの処置が招いた失敗であった。狼狽したロシア政府は、第十八軍団の一部をフィンランドに派遣した。しかし、仮装巡洋艦アシヤに奪収きれた銃器八千四百挺は、その後ことごとく賄賂によって買い戻されるのであった。
ポーツマス講和会議と明石大佐
オイスター湾の講和調印がすんだことから、明石大佐が欧州を離れるまで(十一月十八日)に起った各地方の反政府運動は、ロシア史上でも最も大規模、激烈なものとなった。都市から農村まですべての社会矛盾が一斉に爆発したのだ。
革命党は自ら中心となってモスクワに激烈な反政府闘争を行いフィンランドは独立を鮮明にして、意気揚々とフィンランド国旗を緩督の門上にひるがえらした。クールランドのレアトン民族もまた独立を宣言し、ポーランドのいたるところにデモ、抗議活動が展開された。キュフ、オデッサ、コーカサス地方もまたこれに呼応した。
ただ首都ペテルブルグが、他の地方の暴動に及ばなかったのは、八月中旬、革命党員が多数捕えられた結果だった。ロシア史上いわゆる、〝一九〇五年の革命〟と呼ばれる大騒乱の幕開けとなった。
こうして来春を期して、農民の大暴動を行す計画であった。明石大佐が八月初旬、ある人間を介して革命党の在パリ委員ルバノヴィッチに尋ねさせたところ「ストライキは金銭を費すこと多く、持続が困撃なので中止し、他日これを行う。来春には農民運動を開始することができるようになるでしょう」と語った。
こうして一切はこれからというとき、ポーツマス講和が九月五日に調印されたので、明石大佐も、「これで万事は終れり」として帰国の途につくことになった。
つづく
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