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日本リーダーパワー史(515)-日清戦争120年②開戦のきっかけとなった高陞号事件での東郷平八郎の国際性

      2015/01/01

  日本リーダーパワー史(515


日中韓150年パーセプションギャップの研究-日清戦争120年②

◎『日清戦争(甲午戦争)から120年(7/24

日清戦争の勝敗は国際法を遵守した日本が国際法を無視

した中国に完勝したのである。戦緒を開いた高陞号事件

で見せた東郷平八郎の「国際法遵守」姿勢が

日本勝利を決定した。 

             前坂 俊之(ジャーナリスト)


小松緑(
1865
1942)は明治の外交官、歴史家。伊藤博文の秘書的な役割も果たし「伊藤博文伝」や見聞、経験した外交戦を『明治史実外交秘話』1927年、昭和2)など多数を執筆している。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9D%BE%E7%B7%91

 

小松緑「明治外交秘話」<「明治史実外交秘話」復刻、原書房、昭和511976)>での、伊藤のそばでみた日清戦争の開戦のいきさつを次のように書いている。(98-100P)

 

 「大鳥圭介は、軍艦八重山に搭乗し、松島、千代田の両艦と共に、六月九日を以て仁川に到着した。仁川には、赤城、大和、筑紫以下の諸艦が先着していた。大鳥は、翌早朝、陸戦隊420人名の護衛の下に堂々と京城に乗り込んだ。越

えて十二日、陸軍少将大島義昌の率いた混成放団が、和歌浦丸から仁川に上陸し、その大部分が京城に駐屯することになった。

 清国は、内乱鎮定を名義としたが、日本は、我公使館、領事館及び居留民を保護するという名義であった。これは内乱鏡定というときは、主義上内政干渉の嫌いがあるが、かって日本公使館が、清韓両兵の襲撃を受け、我官民が殺傷された前例に鑑み(壬申事変<明治151882>、甲申事変<明治171884>)、その保護の為めといえば、名実共に正しいからであった。

 

 

              李鴻章の戦意

 

 

 対韓問題について、特に開かれた緊急内閣会議の席上で、伊藤首相は先ず筆をとって、我が政府の方針を紙片に書き付けた。

  朝鮮の内乱は、日清両国の軍隊共同して速かにこれを鎮圧すること。

  内乱平定の後は、朝鮮の内政を改革するため、日清両国より常設委員若干を同国に派遣すること。

 

 伊藤は、これを読み上げて、閣員に語った。陸奥の意見で、その附帯事項として、

  若し清国が我が掟議に応ぜざるときは、我国は、独力を以て、内乱鎮圧及び内政改革の実行に当ること。

  という一条が加えられた。

 

 閣員は以上の方針を異議なく決定したので、直に明治天皇の御裁可を仰ぎ、我が駐韓及び駐清公使に電訓して、先方に通達せしめた。

 

 六月二十八日に至り、大鳥公使から左の電信が外務省に到着した。

 

『袁世凱は頻(しきり)に大言壮語を弄し、たとい日清両国開戦に及ぶとも、最後の勝利必ず清国に帰すべしと豪語し、なお種々の誹説を放って日本を讒誣(ざんぶ)し、更に朝鮮を脅迫して、日本を去って清国に就かしめんとして悪計奸策到らざる所なければ、この上は、日清両国の問に衝突を起し、かれに痛撃を加えたる後にあらざれば、朝鮮の改革は到底実行の見込みなし。』

 

 

 袁世凱が、かくまで頑強な態度をとったのは、言うまでもなく、本国との諒解があったからである。当時清国の実権を担っていた李鴻章は、かつて長髪賊を討伐して戦功を彰わして顕要の地位をかち得た人物であるから、自然、武断主義に傾き、機会あらば日本に痛撃を加え、永久に韓半島に容喙することのできぬほどに、その気勢を挫こうと考えていた。

 

 

 丁度その時分に、駐清ロシア公使カシニーが帰国の途次、天津で李鴻章に会見し『日清開戦せば、その結果如何』と尋ねたところ、李鴻章は泰然として、

『一、二戦の後は、倭人(和人、日本人)は必ず敗走するに極まっている。』

と答えた。

 

老かいなカシニーは、両者を争わせて、漁夫の利を得ようという底意があった。

『それは結構、併し万一貴国が不利の境地に陥ることもあらば、露国は必ず援助をおしまねであろう。』

 

 李鴻章は、カシニーに激励されていよいよ戦意を決し、義州方面より続々平壌に大兵を入れたが、なお牙山の陸兵を増加するために英国運送船高陞号を借入れ、これに砲兵歩兵の将卒一千五百人を乗込ましめ、軍艦「操江」をその護衛とし、なお済遠、広乙両艦.を先発せしめた。

 

豊島沖の海戦―日本の最初の対外海戦

 

 済遠、広乙は、折柄豊島沖を海戈しっつあった我吉野、秋津洲、浪速の三艦とハタと衝突した。双方三千メートルの距離に近づいた頃、済遠の砲口から俄然巨煙が吐き出された。礼砲と思っていると実弾がわが艦上に飛び込んで来た。わが三艦は、是非に及ばねとて砲火を開いた。

 

 交戦一時間二十分にして、敵艦は遁げ出した。済遠は難を免れて威海衛に還ることができたが、広乙は暗礁に上り上げて進退の自由を失ってしまった。

 これは、七月二十五日の早朝、七時から八時までの出来事であったが、ついで九時頃に至り、操江と高陞号とが、この戦争を知らずにやって来た。

 

操江は日本軍艦を見て忽ち逃げようとしたが、秋津洲に追跡されて降服した。

高陞号は、浪速艦長(東郷平八郎)命令で一たびは停船したが、乗組陸軍将校は我艦長の再三の勧告を斥けて頑として降服しないのみか、英人船長を抑制して船を運転させないので、止むを得ず之を撃沈した。

時に午後零時四十分。これが日清実戦の序幕であった。

 

 

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