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日本リーダーパワー史(298)原発報道、対中韓歴史認識ネジレは『戦争報道の敗北』の教訓を活かせ、満州事変の報道検証⑤

   

 
日本リーダーパワー史(298
 
3.11福島原発事故から1年半
 
今は戦時下原発報道と対中韓歴史認識
ネジレでは『戦争報道の敗北』の教訓を活かせ
―満州事変の報道を検証する
   
          <「15年戦争と日本の新聞報道を検証する」(50回連載)>
http://maechan.sakura.ne.jp/war/

                       前坂俊之(ジャーナリスト)

 
   満州事変勃発での朝日の社論変更の裏には右翼の脅迫があった。
 
 
 後藤孝夫『辛亥革命から満州事変へー 大阪朝日新聞と近代中国』(みすず書房、1987年)で詳細に明らかにされているが、事変直後に右翼の総本山、黒龍会の内田良平から旧知の調査部長・井上藤三郎を通じて、『大阪朝日』幹部への面会の申し入れがあった。九月二十四日夜大阪の料亭で井上は内田と会った。井上は『大阪朝日』に入社する前に、黒龍会の機関誌編集にたずさわっており、同社内における右翼との折衝窓口であった。
 
 この時の会談の内容は不明だが、翌二十五日の重役会では事変についての方針が協議された。この重役会には高齢のためそれまでほとんど顔をみせなかった村山龍平社長が出席しており、重大な方針が決められたことをうかがわせる。
 
 この時の重役会の内容も不明だが、後藤は「内田が井上を通じて、『大阪朝日』の姿勢を桐喝、脅迫した」とみる。その結果、高原の満蒙放棄論への釈明書を本人が書いたのである。これは謝罪広告に近いもので、東西両『朝日』 に高原の名で掲載する予定であったが、美土路昌一東京朝日編集局総務が「こんなものを出すと軍部に降伏したと物笑いになる」と掲載に強く反対してストップとなった。美土路は抗議をしていた参謀本部次長の二宮治重中将にかけあった。
 
 二宮は「朝日は反軍の張本人だ」と美土路と激しくやり合い、二時間ほどの押問答の末、結局今後は納得のゆくまで話し合おうということで了解し、謝罪広告は出さずにすんだ。しかし、内田の直接行動をにおわせる桐喝に、高原も大阪朝日の編集幹部も屈伏してしまった、と後藤は指摘する。
「時期が時期であり、大阪朝日としては単なる右翼の脅し文句以上の無気味なものを感じざるを得なかったに相違ない」
 
 右翼の巨頭としての内田の存在そのものとその背後には参謀本部のバックアップがあった。黒龍会はかつて白虹事件で村山社長を襲撃した実績がある。二宮や建川美次参謀本部第二部長らは右翼団体を糾合して、新聞工作を行っていた。
 
 軍部、右翼が一体化して攻撃を仕掛けてきたのである。「大阪朝日を震かんさせたのは、直接には軍部の威を借る内田の申入れである。暴力に抗する方法なしというのが、村山社長変身の理由であろうが、いったん屈した以上(聖戦) への協力を阻む歯止めはもうありようがなかった」状態になったのである。満州事変への「木に竹をつぐ」ような対応の変化にはこのような恐るべき暴力、脅迫が隠されていたのである。
 

 
 
   当時大阪毎日新聞ロンドン特派員楠山義太郎さん(90歳)の証言
 
 
この当時、大阪毎日新聞ロンドン特派員で、その後、欧米部長、主筆となった楠山義太郎さん(当時、90歳)に私は1988年夏に東京世田谷区の自宅で取材したことがある。楠山さんは十五年戦争の発端となった一九三一(昭和六)年九月の満州事変で、国際連盟が派遣したリットン調査団の「満州事変は日本の侵略」とした報告書を抜き、世紀のスクープをしたのをはじめ、太平洋戦争直前に日本人記者としてただ一人、ルーズヴェルト米大統領の単独会見にも成功した、昭和戦前を代表する国際記者である。
楠山さんはロンドンをベースに、満州事変から国際連盟脱退へと孤立化して、戦争の道を転落していく過程をヨーロッパで取材した。
新聞と十五年戦争のかかわりを取材していた私は、先輩記者を次々とたずね歩いていた。会ってみて、私の危倶は吹き飛んだ。少し耳が遠い以外、元気いっぱいで、毎日『ニューヨーク・タイムズ』に目を通し、ジャーナリズム精神にあふれていた。驚くほど鮮明な記憶力で半世紀以上前の出来事のディテールを証言した。
「当時、ヨーロッパは平和でノンビリしていました。そこに突然、満州でイナズマが走り、ジュネーブの国際連盟で爆発した感じですね。政府は不拡大方針を出しましたが、関東軍が次々に戦線を拡大、ジュネーブで取材していて地元の新聞をみるのが怖かった。日本への批判や、“悪口雑言″が載らない日がないほどでね。

連盟では毎回、袋だたきにあい、脱退なんて言っているが、全会一致で国際社会から〝無頼漢“として追放されたんです。今のジャパンバッシングの比ではない。それを国内では〝桜の花の散るごとく”とかいって、バンザイで松岡洋右を歓迎した。全く唯我独尊の無知丸出しの孤児だったんだよ」とふりかえた。

 
『毎日新聞』はどう報道したのか。

 当時の『読売』は東京のみ新聞で、世論や社会的な影響力でも2大全国紙の朝日、毎日とは比較にならないほど少なかったので、ここでは取り上げない。
満州事変以後の戦争へ一歩一歩のめり込んで行く過程で、『朝日』 『毎日』 のどちらがより軍部や世論をあおったかといえば、それはいうまでもなく、『毎日』である。『毎日』は「満蒙はわが国の生命線」という松岡洋右の主張をバックアップし、満州権益論の熱心な後援者になった。
 
 事変勃発と同時に時機到来とばかりいっそう力を入れた。毎日新聞大阪本社外信部長(一九四五年当時)で戦後、立命館大学教授になった前芝確三は「満州事変が起こったあと、社内の口の悪いのが自嘲的に 『毎日新聞後援、関東軍主催、満州事変』などと言っていました」 と述べているほどだ。
 
 『東京日日』 の満州事変についての社説は次の通りです。

九月二十日―「満州に交戦状態―日本は正当防衛」
  二十三日― 「満州事変の本質‐誤れる支那の抗議」
二十五日 ―「連盟の通告とわが声明」
二十六日 ―「第三者の批判の価値‐事件の真相が解っているか」
二十七日 ―「時局は極めて重大だ‐国民的覚悟を要す」
十月一日 ―「強硬あるのみ‐対支折衝の基調」
 九日  ―「進退を決せよ‐無力な現内閣」
十日 ―「最終的対支抗議‐これ国民の声なり」
十三日― 「第三者の容喙[ようかい]に惑うなかれー正義の立場」
十四日 ―「満州事件と政局‐在野党の消息」
十五日― 「堂々たる我主張‐国論一致の表現」
二十日 ―「連盟は事情を正解せよ‐我国民は真剣」
二十三日――「撤兵は容易に出来ない」
二十四日― 「無茶な決議案‐理事会の不誠意」
二十六日― 「正義の国、日本‐非理なる理事会」
三十一日 ―「我国の覚悟‐今日の憂慮は誤りだ」
 
 この社説の見出しの一覧を見ただけでも、満州事変に対する強硬姿勢がうかがわえる。今の若い人には満洲事変といっても、よくわからないかもしれませんが、満洲事変は関東軍の石原莞爾大佐が謀略によって仕組んだもので、満鉄の線路を爆破して、中国軍がやったものとウソの報告をして攻撃進軍したもので、その後も政府の不拡大方針を無視して戦線を一方的に拡大した戦争です。イラク戦争における、米軍、多国籍軍の一方的な攻撃を思い起こして、そのときのメディアの報道と比較しながら考えていただければ、この時の「東日」の主張がよくわかると思います。
 
事変勃発直後の20日の「満州に交戦状態」は異例の二段組みの社説で暴発した関東軍の行為を「迅速なる措置に対し、満腔の謝意を表し、(中略)出先き軍隊の応酬を以てむしろ支那のためにも大なる教訓であろうと信ずる」と関東軍の暴走を賞讃した。
 
「満州事変の本質」(九月二十三日)では「事変を拡大しない」という政府の不拡大方針に疑問を呈し、「日本はまさに支那のために、国威と利益を蹂躙された被害者」であると抗議した。二十五日朝刊第二面はトップで「満州事変、帝国中外に声明、『正当の権益擁護、軍事占領にあらず」(四段の見出し)で、大々的に、内閣の声明を報道した。
 
中国側が国際連盟へ提訴した結果、連盟理事会議長は日中両国代表に「各自の軍隊を直に撤退し得べき適当な手段」を探究しようと申し出たが、日本政府は拒否した。
 
「第三者の批判の価値」では、この拒否を「最も適当なる処置」「わが国民全体が満腔の共鳴を持っ」と評価し、第三者[国際連盟]は事変の真相がわかっていないと批判した。

「時局は極めて重大だ」(九月二十七日)では慎重な政府の態度を弱腰として叱咤し、強硬論をくり返し、ぬきさしならぬ方向へと駆り立てていったのです。
「これ、実に我が国民の上に下されたる日清日露戦争以来の一大試練であって、われ等は大声叱呼して、国民的大努力の発動を力説しなければならぬ。今にして、正義の主張をまげる如きことがあれば、我が帝国は侮りを外にうけるのみならず、国家の進展の如き思いも及ばざるところである」
 
『東京日日』の主張はさらにエスカレートし「強硬あるのみ」(十月一日)では、軍部と歩調を全く合わせ「支那の非違を改めしめ、わが権益を積極的に擁護すべき時期が、今日到来したのである。……
 国民の忍耐は、今回の事件によってその限度を超えたのである。ここにおいて、国民の要求するところは、ただわが政府当局が強硬以て、時局の解決に当る以外にない。われ等は重ねて政府のあくまで強硬ならんことを切望する」とくり返した。
「不拡大方針」をとる政府に対しても、「進退を決せよ」(十月九日)で「今や国民の間には政府の無為無能に愛想を尽かさんとしている」と強く批判した。
 
「第三者の容喙に惑うなかれ」(十月十三日)では

「わが国民は実に満蒙生命線の確保か否かの危機に今直面している」と主張、国際連盟理事会での日中両国の主張に対しては「堂々たる我主張」(十月十五日)で、(支那の申し分は)盗人たけだけしいといいたい」と反論、わが国の芳沢代表の主張には「満腔の共鳴をなす」とともに「この上は挙国民同一心一体、結束一致の実を示す以外わが帝国の国威を維持し、利益を保護するの途はない」と訴えた。
 
「連盟は事情を正解せよ」(十月二十日)では

「日本国民は今日事情を知らざる第三者の机上の空理空論に耳を傾くべく……国際政治研究室の犠牲には断じてならない」。
 十月二十四日、連盟理事会で日本側の主張は十三対一(日本のみ))で否決されたが、これに対して二段見出しの「正義の国、日本」(同二十六日)では「わが国の権益を泥土に委せんとする理事会の決議は、自主国日本の天賦の権利を奪わんとするもので、これを歴史に徹し、これを人類発達の跡に見て断じて正義ではない」といった具合で、権益擁護の強硬路線の主張は当時の新聞でも最右翼であった。
 
 十月二十六日朝刊では、見開き二頁で、「守れ満蒙=帝国の生命線」の横見出しで特集記事を掲げた。中には「満蒙におけるわが特殊権益は日清日露の二大戦役を経て、十万の生命と数十億の国幣(こくど)の犠牲として獲得したもので、わが民族の血と汗の結晶」という歴史や満州事変の原因は「権益蹂躙と排日」であるとするなど、強硬論を突っ走ったのです。
 
ここうした、関東軍の謀略による侵略行為の全面的な支持した論調にたいして、戦時中の 『毎日』の編集総長、代表取締役高田元三郎はこう述べています。
 
「満州事変に関しては非常に強硬論でした。領土的野心をもつのではなく、正当に保持していた経済的権益を守るので第三者の介入を許さぬというものでした。(中略)特に政治部を中心に開戦に至るまで 『毎日新聞』は新聞の論調の上で最右翼のような形でいましたので、責任は大きかったと思います」 と述べている。
 
          <「15年戦争と日本の新聞報道を検証する」(50回連載)>
 
 

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