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片野勧の衝撃レポート(42) 太平洋戦争とフクシマ⑮悲劇はなぜ繰り返されるのか「ビキニ水爆と原発被災<中>(15)

      2015/01/01

  

片野勧の衝撃レポート(42

太平洋戦争とフクシマ⑮

≪悲劇はなぜ繰り返されるのかー

★「ビキニ水爆と原発被災<中>(15

 

片野勧(ジャーナリスト)

 ヒロシマ・ナガサキ・ヤイヅからフクシマへ


 2011年3月11日。東日本大震災が発生して福島第1原発は水素爆発を起こした。1986年4月のチェルノブイリ原発事故以上の災禍をもたらしたと言われている。
 「日本はヒロシマ・ナガサキ・ヤイヅという3度の核被害者になりました。しかし、4度目はフクシマが核被害者と核加害者になりました。原爆と水爆と原発は一体です。人間は核と共存できません」
 核廃絶は人類共通の悲願である。そのために今、我々に問われているのは民主主義の再生にあると、枝村さんは強調する。
 外はすっかり暗くなっていた。私は枝村さんと別れて、焼津市内の宿泊先に向かう。果たして反原発、反核兵器の社会が実現できるかどうか。私は車を運転しながら自問自答していた。

 三崎港の漁船も被ばく


 先に述べたように、ビキニ環礁での米国の水爆実験によって、汚染したのは焼津港の第五福竜丸だけではない。マグロ漁の一大基地である三崎港(神奈川県)の漁船も被ばくし、魚の廃棄などで大きな損害を受けた。
 私は焼津市に一泊。翌日の朝8時にホテルを出発して神奈川県の三浦市へ向かった。2014年3月5日午後2時――。車で約6時間はかかっただろうか。
 「アメリカの水爆実験が広島・長崎の原爆の1000倍の威力があるとは知らなかった。それを聞いて驚いたよ。水爆は恐ろしい。風に乗り、灰は海流に乗っていくのだから」

 第13丸高丸の甲板員だった鈴木若雄さん(82)はこう語り出した。「3・1」。米国が水爆実験を行ったその日、鈴木さんらはビキニから3千キロ以上も離れたミッドウェー島付近で操業中だった。
 「汚染されたマグロがここまで泳いできたのか、汚染された海水がここまで流れてきたのか、私にはわからなかったが、とにかく一発の水爆がほぼ太平洋全域に影響を与えたのだから、びっくりだよ」
 1954年3月16日。第13丸高丸は三崎港に帰ってきた。この日、読売新聞の朝刊は、マーシャル諸島のビキニ環礁で行われた水爆実験で静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」が被ばくし、船員が放射能を浴びたらしい、というニュースを報じていた。

 ビキニ事件報道で三崎魚市場は大騒ぎ


 この記事は東京版だけに掲載されたために、三崎の人たちはこのことを知らない。もちろん、鈴木さんも知らない。しかし、翌17日。三崎にも、ビキニ事件がニュースで流れ、三崎魚市場は大騒ぎになった。

 マグロの魚価は暴落した。17日夕刻から厚生省や県の職員がやってきて、ガイガーカウンターによる放射能の測定が始まった。検査官が船員や魚に測定器を当てた。「ガッ、ガッ、ガッ」。測定器が鳴ると、青い札が張られた。それは国の基準を超える放射能が検出されたことを意味した。
 鈴木さんは3千キロ以上も離れていたので、放射能とは関係ないと思っていた。しかし、微量とはいえ、放射能が検出されたときは驚いた。第13丸高丸はサンゴの海域でカジキやサメを狙った。この海域のカジキ類は海の表面を泳ぐので、表面に放射能が含まれていたのかもしれない。鈴木さんは当時を振り返った。
 「幸い、マグロは廃棄の対象にならなかったのが、ただ1つの救いでしたね。しかし、魚価が暴落してしまったことはこたえたね。一日違いでこんなに大きな打撃を受けるなんて……」
 魚価は下がり、魚を廃棄することは船員(漁師)にとっては死活問題。しかし、船員も苦しいが、船主も苦しい。そして船に依存する三崎のあらゆる商店、企業がその影響を受けた。事実、船員に給料を払えないところもあったという。三崎の経済はたちまち冷え込んだ。

 飲食店の女性から入店を拒否された


 「俺たちは何も悪いことをしていないのに」
 三崎港で魚を揚げ終わると、下田港のドックへ船を洗いに行く。船を洗い終わって、飲食店に入ろうとした。ところが、飲食店のお姉さんから「灰かぶりは来るな」と入店を拒まれた。
 それは違うと説明しても、納得してもらえない。いわれのない偏見に「さすが、精神的に落ち込んだよ。一番こたえたね。こんなところまで噂が来ていたのか」と。
 不運なことに、第13丸高丸は「3・1」だけでは済まなかった。ビキニ西方海域のカロリン諸島で操業し、5月8日に三崎港に帰ってきたが、船体から放射能が検出された。また8月27日に入港した時は150貫が廃棄処分となった。この時の漁場はビキニ東方だった。そして4回目、290貫が廃棄処分になった。
 「ビキニ事件で1つの船が4回も放射能を検出されたのは、おそらく第13丸高丸だけではないかな」と鈴木さんは思う。
 当時、日本政府が公表した調査では、ビキニ事件で放射能被害を受けた日本の船は1954年11月末までに683隻にのぼると報告した。しかし、今日では太平洋核支援センターなどのビキニ被災調査で、被災船の数は1000隻を超え、被災船員は全国に約2万人いることが分かっている。
  ――「戦争体験は?」と私は尋ねた。

 「父は軍属で潜水夫。南の島に行っていました。アメリカの潜水艦や艦載機でやられて沈んだ船が多かった中、無事、父は日本に帰ってきました。私も軍属になろうと思って、昭和20年、海軍の1次試験を受けて合格しました。しかし、間もなく終戦。その時、13歳。高等科2年でした」
 隣でこの話を聞いていた妻・栄子さん(79)も戦時中のことを語り出した。当時、彼女は10歳。
 「戦争は嫌です。私は岩手県の山田町で生まれ、艦砲射撃で赤く燃える隣の釜石の街を見ていました」
 山田町は東日本大震災で死者819人、行方不明者1人(平成26年3月14日現在)を出した。栄子さんは、「上の兄の長男も津波にのまれて死にました」と言った。夫の若雄さんが言葉を継いだ。
 「津波が来るから、逃げろ、逃げろと言っているのに、逃げないで波を見に行ったそうだが、本当に可哀想だったな」
 私は取材を終えて、写真を撮るために三崎港へ行った。港には田原丸や丸恵などが横付けされていた。小雨模様の空を見上げると、カモメが飛んでいた。

ビキニから3500キロのフィジー周辺で操業


 私は鈴木若雄さん・栄子さん夫妻の取材の後、もう一人、ビキニ事件で被害に遭ったという三浦市在住の男性に会おうと思っていた。今津敏治さん(85)である。しかし、日が暮れてきたので、いったん自宅(立川市)に戻り、日を改めることにした。
 再び、私が三浦市を訪れたのは、今年(2014)6月26日。約束の午後1時をちょっと過ぎていたが、今津さんは自宅で待っていた。
「ビキニ事件の被害といえば、焼津と思っている人が大半。しかし、三崎も大変だった。魚価は下がったりして」
 「第11福生丸」の船長だった今津さんはこう振り返った。
 1954年3月1日。米国がマーシャル諸島・ビキニ環礁で水爆「ブラボー」の実験を行ったという一報が伝えられたとき、今津さんら乗組員27人には危機感はなかった。その日、今津さんらはビキニから3500キロ以上離れたフィジー周辺で操業していたからだ。
 しかし、第11福生丸が三崎へ帰港する段になると、状況は一変した。船主から三崎漁業無線局を通じて連絡が入った。

 「帰路はビキニ環礁に近づかないよう遠回りせよ。東側を大きく迂回し、風上側を航行せよ」
 地図を開いてみればわかるように、フィジーと日本を直線で結ぶと、ちょうどその中間点にビキニ環礁がある。そのためにフィジー周辺の漁場から直線で向かえば帰港は早い。いや、そればかりではない。燃料や食料を考えれば、大きな損失になる。
 しかし、直線で向かえば、ビキニ環礁西側の風下を通ることになり、放射性物質を含んだ「死の灰」を浴びかねない。結局、今津さんらは船主からの指示に従う形で迂回した。
 指示はそれ以外にもあった。船体を石鹸でよく洗うように、ポンプで海水をくみ上げて丁寧に磨くように言われ、船員総出で取り組んだ。若い乗組員はマストのてっぺんに登ってホースで散水した。ビキニ海域での海水の行水も禁止された。船に飛び込んできた飛魚(あご)を食べてはいけないことも言われた。
 こうした船主からの指示が次々と来るうちに、今津さんは事の重大性に気づき始めていた。しかし、その重大性を自ら打ち消した。
 「ビキニ環礁から数千キロ離れていたのだから、被害はないはずだ。被ばくとは関係ない。大丈夫」

広島で内部被ばくした2人の船員


 第11福生丸は1954年4月19日、三崎に帰港した。港は大騒ぎになっていた。すぐさま、船舶関係者やガイガー計数管(放射線量計測器)を持った検査官などが何人も船に乗り込んできた。
 最初に乗組員の検査が行われた。列をつくって並ばされた。憮然(ぶぜん)として立ってい2人の男がいた。
 「検査を受けるのは嫌だ、嫌だ!」
 こう言って、検査を拒んだのだ。2人は30歳前後のベテラン乗組員で、広島に原爆が落とされた際に船舶兵として救援活動をしていた。その時に内部被ばくしたのだが、検査官から放射能を浴びていることを指摘されるのが怖かったのだろうと今津さんは思う。
 検査を逃れた2人を除き、乗組員からは異常な放射線量は出なかった。しかし、「ガーガー」。測定器は音を立てて反応した。船体やカジキ、(ふか)ヒレから国の基準を超える数値が出て、マグロの廃棄を通達された
 「なぜ、捨てなければならないのか」


 当時、三崎港は全国でも有数の遠洋マグロ漁業の基地。戦後の食糧難の中で大量のタンパク源を運んできたマグロ漁船は憧れの職業だった。徳島県出身で親も三崎の船員だった今津さんも18歳で乗船した。
 しかし、マグロ漁業は過酷な労働に加え、自然の厳しさと長期間、向き合う航海は生命の危険も伴う。それなのに、なぜ、捨てなければならないのか。「原爆マグロ」。水揚げ約160トンの魚のうち、10~20トンは廃棄された。魚の価格も下落した。今津さんは言う。
 「漁師にとって、魚を棄てることは自分の命を棄てるようなものですよ」
 今津さんの怒りは収まらない。その矛先は広島、長崎に続いて、またもやビキニで被ばくをもたらしたアメリカに対して。またアメリカの言いなりになる「弱腰の日本」に対して。そして魚の廃棄を事務的に処理していく関係者に対して。
 「アメリカは日本の漁船がどこにいるかを知っていたはずなのに、何も知らせなかった」
 今津さんは激しい憤りを覚えた。しかし、船長という立場からその憤りと不安を押し殺した。

絶対なんてあり得ない


 今津さんは軍国教育を受けて育った世代。生まれは徳島県牟岐(むぎ)町という小さな漁村。町の約8割は漁師だった。今津さんもお国のため、天皇のために命を捧げようと思った。そこで水産学校から士官学校へ。合格通知が来たは8・15終戦の日だった。その時、16歳。
 「日本は天皇の下、絶対に勝つ、と教え込まれました。しかし、負けました。同じように原発は絶対安全といわれました。しかし、事故を起こし、人々はふるさとを追われました。絶対なんてあり得ない。みな、ごまかしていたのですよ」

 今津さんは55歳で船を下りた。当時の船の責任者(船長)のほとんどは亡くなった。ビキニ事件の記憶の風化は免れない。
 今、東京電力福島第1原発事故が起き、日本の被ばく体験はヒロシマ、ナガサキ、ビキニからフクシマへと広がっている。原発事故による放射能汚染への不安の高まりは日々、大きくなっている。
 「日本はどれだけ放射能の洗礼を受けてきたかわかりません。にもかかわらず、教訓は何も生かされていません。人間って、どうして同じ過ちを繰り返すのでしょうか。人間って、賢くてバカですね」。今津さんは最後にこう言った。「もう、これ以上、日本から放射能という言葉を増やしてはいけない」

 

片野 勧

1943年、新潟県生まれ。フリージャーナリスト。主な著書に『マスコミ裁判―戦後編』『メディアは日本を救えるか―権力スキャンダルと報道の実態』『捏造報道 言論の犯罪』『戦後マスコミ裁判と名誉棄損』『日本の空襲』(第二巻、編著)。近刊は『明治お雇い外国人とその弟子たち』(新人物往来社)。

 

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