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地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

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『目からウロコの世界史大発見クイズ! 20世紀を変えた世界最大の戦争とは何ですか❓」★『答えは?ー ◯◯◯◯です。』

   

答えは・・・・?
日露戦争の勝利、和平講和(1905年)は北米大陸を発見したコロンブス(1492)以来、500年で世界中を白色人種国が有色人種国を侵略した歴史を黄色人種国日本が初めて軍事大国ロシア(白色人種国)に勝った戦争で、西欧にとっては最大のショック、恐怖(黄禍論)を与えたのです。

今年は日露戦争120年だが、当時の日本はアジアの小さな島国で西欧にとっては全く無名の「黄色人種国日本」が西欧最強の軍事国家ロシアと戦い勝利したことに世界は驚いた。あらゆる植民地の国々、有色人種の人々が、感動して歓喜の涙を流し、日本を見習って独立運動を起こし、逆に西洋人にとっては、コロンブス以来500年史の中で初めての敗北、悪夢で、衝撃的なニュースとなった。一つの戦争の勝敗がこれほどの世界的反響をよんだ戦争は、人類誕生以来、日露戦争が初めてだった。

ポーツマス講和会議、和平条約締結で日本はなんとか和平にこぎつけた。この時、日本は戦争を継続する資金も武器も兵力もすでに底をついていた。

戦争では何とか勝つたものの、外交では、樺太の半分を得るだけの敗北に終ゎった。ロシアの満州、朝鮮侵略を食い止めただけの薄氷の勝利だった。

しかし、日本の勝利は世界に一大衝撃を与えた。戦前、日本の勝利を予想する者が皆無に近く、 大逆転劇は世界を驚かせた。

日露戦争の日本の勝利はアジア、アラブ、アフリカなど「有色人種」の民族独立運動(ナショナリズム)に火をつけた。ロシアの圧政に苦しむフィンランドやポーランド、東欧、トルコなどへも飛び火し、米国では黒人の人種差別撤回運動へと連なり、すべての西欧植民地に致命的打撃を与えた。日露戦争は20世紀のの世界と歴史を大きく変えた。
 明治のお雇いドイツ外国人で30年間日本で生活し明治天皇の主治医を務めたエルウィン・フォン・ベルツは『日露戦争は、ヨーロッパ最大の陸軍国である自色人種の国ロシアが、「猿まねがうまい黄色い小人」と侮蔑していた日本に敗れた。白色人種が有色人種と戦争をしたら、白色人種が勝つという歴史的確信を消滅させ、自色人種の優越性をはぎとった。今や近世史の完全な新作(日本)として、世界の注視の的となっている。アジアは世界の舞台に登場した』(ベルツ日記)

ロシア革命を起こしたレーニンは「旅順港の陥落」(1905年1月14日)の「フペリョード」第2号」「ヨーロッパの全新聞が難攻不落の折り紙をつけた旅順港・要塞を、ちっぽけな、今まで誰からも馬鹿にされていた日本が、その城砦を八カ月で政略してしまった」と絶賛。「われわれの最も兇悪な敵のロシア帝国の敗北はヨーロッパのプロレタリアートの新しい革命的高揚を予告している」と書いた。

この旅順陥落の直後にロシアの首都のサンクトペテルブルクで「血の日曜日」事件が起こり、この日を境に革命の波が一挙に全国に広がり、それから17年後には世界で初めて共産主義国家を誕生させた。

ヨーロッパや長年ロシアに圧迫され,侵略されていたポーランド、フィンランド、北欧、トルコ、中央アジア各国は驚愕し、「日本人とは一体どんな国民なのか」と驚異の目で見られ、爆発的な日本ブームがおこった。露仏同盟を結んでいた、

フランスも例外ではなかった。ナポレインも勝てなかったロシアを破ったアジアの日本とはいったい何者かと大評判になった。「パリでは日本人ブーム」が起きた。北斎ブームの比ではなかった。

 当時、パリで対仏輸出入組合理事長をしていた伴野文三郎著「パリ夜話」(昭和32年、教材社)によると、「(伴野)にも「娘があったらぜひ、日本人にもらってもらいたいのに」との話しが舞い込んだり。その年のクリスマスに伴野が一流レストランでフランス人家族と一緒に食事をしていると、超満員の店で酔った男が「あの強い日本人か」「記念にワイフにキスしください」と金髪の美女を客席まで連れてきて、キスを求めたかと思うと、そのうち店内の全女性が総立ちで、次々に伴野へのキスの総攻撃となった。それから客席をかたづけダンス場に早変わり、ダンスの相手をしてモテモテ、最後には胴上げされて、「ビーブ・ル・ジャポン」(日本バンザイ)の大合唱となったという次第。まるで夢心地だといいます。世界各国の人種が集まるパリでも、最高にモテたのが日本人だった」いう。(伴野文三郎「パリ夜話」教材社、1952年)

 

インド独立運動の指導者ジャワハルラル・ネルーは『父が子に語る世界歴史』のなかで、「アジアの一国である日本の勝利は、アジアのすべての国々に大きな影響を与えた。ョーロッパの一大強国が破れた。とすればアジアは、昔たびたびそういうことがあつたように、今でもヨーロッパを打ち破ることができるはずだ。ナショナリズムは急速に東方諸国に広がり、『アジア人のアジア』の叫びが起こった。日本の勝利は、アジアにとって偉大な救いであつた」

 

平間洋一著「日露戦争が変えた世界史」(芙蓉書房出版2004年)は、全世界に与えた日露戦争勝利の影響を詳細に伝えている名著である。
<フィンランド日本友好史>

ロシアと隣接した「ポーランド人ほど日露戦争の勃発を喜んだ国民は、ヨーロツパには他にあるまい。なぜなら、ポーランドは1772年にプロイセン、オーストリアとロシアによって分割され、本土の四分の一を失い、 1893年の第二回分割では三分の一に1896年の第三回分割で国土のすべてを失い亡国していた。ポーランド人は、日露戦争がロシアのポーランド支配に変化をもたらすと期待した。独立派や革命派の指導者は日本の援助を得ようと、パリ、ウイーン、ロンドンの日本の在外公館員に接近してきて日本ポーランドの友好関係が始まる。

フィンランドは1809年にロシアの支配下に置かれ、 1904年2月にはフィンランド憲法を廃止し、総督の独裁政治となり強力にロシア化を進めた。日本の勝利はフィンランド人に独立の夢を与え、独立への願望を国民の間に蓄積させていつた。一九一七年十二月、ロシア革命により帝政ロシアが崩壊した好機を利用して念願の独立を達成する。

<ヒトラーの回想は>

日露戦争当時はオーストリア領であったブラウナに生まれたアドルフ・ヒトラーは、「日本海海戦があったのは、私が小学生の時だった。クラスのほとんどすべてがオーストリア人で、日本海海戦の敗北のニュースに落胆したが私は歓声を上げた。それ以来、私は日本海軍に対して特別な感情を持った」と回想している。

ヒトラーの子供の時の印象が、日本海軍への過剰な期待、戦力の過大評価を生み、日独伊三国同盟を締結させ、ドイツと日本を敗北に導いた。

<ハンガリーの場合は>

このようなハンガリー系住民の熱狂的な日本支持や日本への期待の一例として、ハンガリー動乱で米国に亡命後に来日したデュナイ・イシユトワン氏の「日本への恋文」という記事(『文藝春秋』一九六三年二月号)がある。

それによれば、親日家のイシユトワン氏の近所に住む農民のコパチ・ノギ(コパチは爺さんという意味)という人が、口癖のように、「東方にはわれわれの兄なる国、日本がある。日本は小なりといえども、大国ロシアを打ち破った素晴らしい国だ。この国を、この国の人々を信じ給え。必ず報われるだろう」と言ってぃた。

<中国革命の父・孫文は日本に「中国革命同盟会」を結成した>

日露戦争終結1ヵ月前の1905年(明治38)7月、ヨーロッパ外遊から戻ったばかりの孫文に滔天は黄興を紹介、両者に大同団結の必要性を説いた。席上、孫文と黄興はすっかり意気投合、興中会と華興会を母体に他の革命団体をもまじえた統一的な組織、中国同盟会をつくることに同意した。

8月20日、東京赤坂の政治家・坂本金弥宅で孫文の興中会、黄興の華興会、光復会の革命三派が合同して「中国革命同盟会」を結成した。

孫文の、民族、民権、民生の三大主義(三民主義)の綱領が採択され、孫文が総理、黄興は副総理格の庶務幹事となり、中国革命の母体が誕生した。三民主義とは①資本抑制(資本主義の弊害を防ぐ)②耕者有其田(土地革命)③耕すものに土地をーである。

ここに中国史上初めて統一的な組織と近代的な革命理論を持つブルジョア革命政党が生まれた。「この日、私ははじめて革命は生涯のうちに成就すると信じた」と孫文は回想する。

メンバーは当初300人であったが、たちどころに5千人を突破して名実ともに孫文が中国革命の指導者になった。同盟会の機関誌『二十世紀之支那』が発行されることになり、発行人に宮崎滔天、印刷人に末永節がなった。(同書)

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究

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