「トランプ関税と戦う方法論⑪」★『日露戦争でルーズベルト米大統領との友情外交でポーツマス講和条約で実現させた金子堅太郎のインテジェンス』★『ル大統領、講和に乗りだすー樺太(サハリン)を取れ』★『君は日露戦争の調停者として初めて世界に名声を挙げた。その君が自分の膝元で講和談判を開くのは当り前と思う』と説得して、ポーツマスに決まった』トランプ氏の
2025/04/18
◎馬車の御者まで日本側に同情!
ちょっとここで面白い話がありますから申し上げますが、東郷艦隊の大勝利が明らかになった後のある日のこと、私がニューヨークの晩餐会によばれて、十一時半頃大分満腹であったから、運動かたがた歩こうと思って、常用の馬車を返してフィフス・アベニューを歩いていた。
ところが辻待の馬車の御者が自分の馬車に是非乗ってくれと言う。
「おれは今夜腹が張っているから運動のために歩くのだ。」
「そうおっしゃらず是非乗って下さい、どこまででもよい、貴方のお望みのところまで行きます。」
「それでもおれは運動のために歩きたいのだからさ」
こう言ったが御者はなかなか承知しない。
「実は東郷艦隊の大勝利があって、我々御者仲間では、日本人を載せた御者でないと幅が利かぬから、どこまででもよい、ただでのせるから是非乗って下さい。」
と言ってどうしても私をさえぎって承知しない。そこで私は考えた。御者がかくまで日本に同情を寄せているのに、それに乗らないのも折角の同情を無にするわけであると思って、私は宿屋まで乗った。そうして宿屋に着いたとき、大低このくらいと思って懐中から金を出して渡すと、それはただで乗ってもらったのだから戴きませぬと言う。
「まあ、そう言うな。これは馬車代ではない。お前帰ったら仲間の者とシャンペンを抜いて、日本のために万才を唱えてくれよ。」
「それならば頂戴する。」
と言いました。こういう有様が当時のアメリカ人の日本人に対する同情である。
これから講和談判になります。
六月七日にルーズベルトが会いたいからというので会いに行くと、例の通り会えば昼食を一緒に食う。それから二階に行っていろいろ話をした。そうすると大統領が、もう今度はロシアも大分弱っている。そこでロシア大使のカシニーに、もうこうなった以上は速やかに平和のために、人道のために、又ロシアのためにも、ここで講和談判をするほううがよいと思う。
このまま戦えばハルビンは無論、ウラジオストックもシベリアの東部も日本に取られてしまうから、速やかに講和談判をしたらよかろう。どうかロシア皇帝に貴官からその旨を電報にて伝奏してくれとカシニーに頼んだけれども一向返事を持ってこないから、セント・ペテルスプルグに駐在するアメリカの大使マイヤーに電報を打って、ロシア皇帝に謁見して余の電報についてどういう意向かを聞くように命じた。
よってマイヤーからだんだん聞いたところが、ワシントン駐在のロシア大使のカシニーからロシア皇帝が受け取った電報は、余が同大使に談じたる意見とは余程違っていて、余が言った通りロシア皇帝には言っておらぬことを発見したから、そこで今度はカシニーを経由せずただちにマイヤー大使を通じて講和談判の勧告をしてみようと思うが、もしロシアがよろしいと同意してきた際は日本も講和談判に同意してくれるかどうか、君の意見はどうだ、と聞きましたから、私は、日本政府は同意すると思う。
★ルーズベルト大統領、講和に乗りだすーサハリンを取れ
これまで君が日本のために働いてくれたことでもあり、又旅順・奉天・バルチック艦隊の戦の有様もあの通りであったから、もうここで日本も講和談判をするのが至当である。
ゆえに君に対して必ず日本政府は同意すると思う。そうかそれではこれからロシアの方に交渉してみよう。というので、ついにロシア皇帝にじかにマイヤー大使から言ったところが、ロシア皇帝は「自分から講和談判をしようということは提議せぬ。」「しからば他人が勧告したらば御同意なさるか。」と聞いたらば「それならばする。」という返事であった。そこでルーズベルト言うには「ロシアはこの通り、他人が発議すれば講和をするというのであるから、ぼくが講和の勧告者になろう。」と決心し、日露両国に勧告状を同時に出すことにした。
元来この勧告状はワシントンに駐在しているカシニー大使に渡して本国に送ってもらうのが順序であるけれども、カシニーがぼくの言うことを改ざんする疑念があるからロシア駐在のマイヤー大使をもってロシアに勧告することにした。そうして日本に対してはこの国にいる高平公使を経なければならぬが、日露両国に対して同様の方法をとって東京駐在のグリスカム公使をして同時にこの勧告状を日本政府に提出せしめるつもりである。これを見てくれと言って私にその勧告状を見せた。
それを私が一読すると実に名文である。
「どうだ、まだ何か加えることがあるか。もし君に意見があって加えることがあれば何でも望みしだい書き込む。」と言った。
「もうこれ以上に望みはない。実に事理明せき論理整然、全く間然するところはない。この文章は殆んど日本のために書いたようにみえる。」と私は皮肉なことまでも言った。
「それでは直ちに発送しよう。」
と言ってそれを公文に書かせて両国に送った。これは六月の八日である。これ全くルーズベルトの偉いところであると私は思う。このときルーズベルトは私に向かい、
「さていよいよ講和談判になるものとみて、君に忠告することがある。ロシアに対しこれまで何べん講和談判のことを言ってもロシアの領地は日本軍が占領しておらぬからと言って拒絶した。そこでただいまから二個旅団の軍隊と砲艦二隻をもって樺太(サハリン)を取れ。早く彼の領土を占領せよ、
「講和談判にならぬ前に今のうちならばよいから早く樺太を取れということを君から日本政府に言ってくれよ。」
と言うので、六月八日にその旨を政府に通報した。帰朝後当局者より聞くところによれば、その頃、廟議は樺太を取るや否やについてよほど議論があって長らく決まらずにいたが、或る日にわかに廟議が決まって混成旅団一箇、砲艦二隻を樺太に出発せしめた。旅団が樺太に上陸した日は七月八日で、丁度ルーズベルトが私に忠告してより一箇月後のことです。
さて講和談判の開始と決まったが、誰がロシアから全権委員として来るかと思っていると、イタリー駐在の大使のネルドルラが来るとか、誰が来るとかいう噂があったが、いずれも固辞して行こうとは言わぬ、最後にいよいよウィッテが来ることになった。これより先カシニーはアメリカの評判が悪いから呼び戻されて、ローゼンがアメリカ駐在の大使になった。
●講和全権委員が決まる、開催場所の難航
この人は日露開戦のとき最後の引揚まで東京に駐在した人である。そうしてこの人がウィッテとともに全権委員となった。このときルーズベルトが私を招んでウィッテが来る以上は、日本からも第一流の政治家が来なければいかぬ。ウィッテはロシア第一流の政治家であるから、日本でこれに対抗する人は伊藤侯である。伊藤侯に今度はご出馬なさるように君から電報を打てと言いました。それで私が答えて言うのに、
「それはいかぬ。伊藤侯は二月四日の御前会議のときに、陛下からこの戦争中は伊藤は東京を離れず、朕が左右にあって外交及び国務を補佐せよというど沙汰があったから、伊藤侯は来られない。ぼくが電報を打っても駄目である」と言ったのですが、その後小村外務大臣と高平公使が全権委員になった。
さてルーズベルトの勧告状の終りに、両国が勧告に応じて講和談判を開くということになれば、その場所は自分が周旋してもよろしいから御下命相成りたいと書いてあったから、ロシアも日本も場所の選定をルーズベルトに一任した。
これは私に関する話だからあまり言いたくないけれども、実際の話であるから申します。さてルーズベルトに場所を決めてくれよと日露両国から頼んできたからどこにしようかという相談が私にあった。それで私は、アメリカの大統領が幹旋して講和談判を開くのであるから、アメリカが一番よいと思う。とこう言った。
そうすると、それはもっともではあるけれども一応両国の意見を聞いてみようと言ってロシアの意見を聞いたところが、ロシア政府はパリーと言い、日本の意見を聞いたところが日本政府はチーフーか山海関と言ってなかなか開きがある。
そこでルーズベルトが私を招いていわく、
「ぼくの考えではハーグがよかろうと思う。ハーグは万国平和会議のあったところであるし、ハーグならばロシアも同意すると思うから、日本もどうかハーグに同意をしてもらいたいが君の意見はどうだ。」とよって私は、
「それはいかぬ、そもそも勝った日本がわざわざヨーロッパまで行って講和談判をするという例は今までないではないか。負けた国が勝った国か、又はその近方まで来るのが当然である。現に日清戦争には支那が負けたから馬関に来て講和談判をした。勝った国がはるばるハーグまででかけて談判するということは不同意である。やはりアメリカがよい。アメリカならば両国の中程だからロシアも出てくる。日本も出てくる。いわゆる相引だ。」
「それではどこにするか。」
「やはりアメリカがよかろう。」
と私はアメリカを主張した。ところがルーズベルトが言うには、「アメリカに決めることはぼくが困る。」と言った。
「なぜ困るのか。」
「どうも世の中ではぼくが今度の講和談判の周旋をしたから、ルーズベルトが自己の名誉のためにアメリカに決めたのだと言われるから、そういう悪評をぼくは受けたくない。それゆえにアメリカ以外に定めたい。」
「それは君に不似合なことを言う。そう思う者があるかもしれぬが、アメリカで開くのが当然と考える。よく考えてみたまえ、アメリカの建国以来百三十年の間に世界にだれが名高いかと言えば、まず建国の初めジョージ・ワシントンが出て北米合衆国を建設し、続いてエイブラハム・リンカーンが出て奴隷解放を実行したこの二人あるのみ。
しかしそれは米国の内政の事だ。世界に向ってアメリカの名声を発揚したのは、君が今度の日露戦争の調停者として初めて世界に名を挙げたのではないか。それゆえに君が自分の膝元で講和談判を開くのは当り前と思う。のみならずぼくは君と同窓の友人である。友人としてこういう名誉の転げてきたのを取り逃すというのははなはだ残念に思う。他人がどういうふうに言おうが、かまわぬではないか。アメリカに決めるがよい。」
「よし分かった。それではアメリカにする。-と言ってアメリカに決まった。それからアメリカといってもどこにするか。ワシントンは暑中は非常に暑い。あそこにしようかここにしようかと詮議の結果、結局ポーツマスに決めた。あそこは軍港であるから第一新聞記者の取締りにもよい、第二には兵隊が立番しているから両国の全権に危害を加えるような者を取り締ることもできる。
そうしてかの地は涼しいところであるというのでポーツマスに決めました。そしてロシアからはウィッテ、日本からは小村外務大臣が、おのおのアメリカに向ってくるということになった。それまでに大統領は度々面会して講和の条件につき協議いたしました。
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