『Z世代のための帝王学の研究①』★『天皇皇后両陛下はチャールズ英国王の招待を受けて、6月22日から8日間,イギリスを公式訪問される。」★『歴代天皇で最初に外国訪問をされたのは昭和天皇が皇太子(19歳)時代の1921年(大正10)3月から、約半年間にわたってヨーロッパを視察された』
2024/06/19
天皇皇后両陛下はチャールズ英国王の招待を受けて国際親善のため、6月22日から8日間の日程でイギリスを公式訪問される。羽田空港から政府専用機で出発し、現地時間の22日午後にイギリスの首都ロンドンに到着。25日からの3日間は国賓としての滞在で、両陛下は歓迎式典に続いてバッキンガム宮殿で歓迎の昼食会や晩さん会に臨む。27日には天皇陛下がウインザー城にあるイギリス王室の墓所を訪ね、エリザベス女王と夫のフィリップ殿下の墓に花を供えられる予定。
ところで、歴代天皇で最初に外国訪問をされたのは昭和天皇が皇太子(19歳)時代の1921年(大正10)3月から、約半年間にわたってヨーロッパ旅行に旅立った。この時が初めてである。この外遊を、強い反対を押し切って実行したのは、原敬首相であった。国際連盟の常任理事国(英仏伊日4ヶ国)になった日本で、将来、元首になる皇太子に対して「国際的な視野と見識を身につけてほしい」との帝王学であった。
記事再録
知的巨人の百歳学(135)ー昭和天皇(88歳)-『皇太子時代のヨーロッパ青春の旅で、広く世界に目を開き、人格・思想形成の原点となり帝王学の基礎となった。』
イギリスのエリザべス女王の国葬が22年9月19日、ロンドンのウェストミンスター寺院で営まれ、天皇、皇后両陛下が参列された。外国王族の葬儀には、皇族が参列するのが通例だが、今回は女王が昭和天皇、上皇さま、今の陛下の3代の天皇と70年にわたって親交を深めたことなどを考慮し、日本政府が両陛下に参列を要請した。国葬の中継を見ながら、ちょうど100年前の昭和天皇の皇太子時代のヨーロッパ青春旅行』を思い出した。
昭和天皇は皇太子時代の1921年(大正10)3月から、約半年間にわたってヨーロッパ旅行に旅立った。日本の天皇が外国旅行したのはこの時が初めてである。
お召艦「香取」に乗船された皇太子は横浜港を出航、まずイギリスに到着、フランス・ベルギー・オランダ・イタリアの計五カ国を訪問した。ヨーロッパは第一次大戦後で、戦争の混乱から立ち直っていなかったが、各国の王室や国民から温かい歓迎を受けた。それまで、まったく〝カゴの鳥″であった皇太子は、この旅行で広く世界へ目を開かれ、立憲君主制の精神を身をもって体験した。
原敬首相は外交官としてフランス公使館に長期駐在して、昭和天皇の皇太子時代には周囲の猛反対を押し切ってヨーロッパ旅行を実現した。神格化されていた当時の天皇の海外旅行などもってのほかの時代である。
原敬首相ば皇太子(昭和天皇)に欧州観光旅行を勧めた。前代未聞のことと周囲は猛反対で、特に枢密院から強い反対が起きた。当時、上海その他の地で、皇太子への不測の事態のリスク情報がピンピンと伝わってきて、万一の事があってはならぬと断固反対の声が沸き起こった。
しかし、日本は国際連盟で[常任理事国」(英仏伊日)で、新渡戸稲造が事務局次長(実質的な事務総長)をつとめており、将来元首となるべき皇太子は「国際的な視野と見識を身につけるため、ヨーロッパの実情をを知っておかねばならぬ」という帝王学の一環であった。
原首相は「万一、旅行中に、異変があれば、直ちに自匁して、罪を天下に謝す」の強い決意で密かに遺書を認めていた。幸いに皇太子が半年に及ぶ旅行を無事に帰国し横浜に入港した日、原は横浜港阜頭に出迎えて、感極まって、涙でハンカチを濡らしたのであった。
お召艦「香取」、供奉艦「鹿島」に随行団はそれぞれ分乗して、大正十年三月三日に横浜港を出港、約二カ月余の航海を終え、英国ポーツマス港に着いたのは五月九日。英国皇太子プリンス・ォブ・ウェールズも桟橋で待ち受けていた。
お召列車に同乗された両皇太子は歓迎一色のロンドン・ビクトリア駅へ到着。ここには、わざわざ英国皇帝ジョージ五世が出迎えるという最上級の歓迎ぶりであった。
同夜、バッキンガム宮殿で百二十八人の王族・名士を招待して晩餐会が催され、東洋の“日の出ずる国のプリンス″を一目見ようと集まった。
皇太子のスピーチは大音声で会場にギンギン響くほどであった。マイクなどない時代、「二十歳であれほどの声が出るとは、よほどすぐれた人物に違いない」とロンドン警視総監が感心するなど、出席者は度肝を抜かれた、いわれる。
この時、ジョージ5世は親身になって世話をし、「その接し方はまるで実の父親のようであった」という。皇太子に「君臨すれども統治せず」という立憲君主制のあり方を懇切丁寧に教えた。その後の昭和天皇はこの教えを生涯守ってきた。
英国訪問で皇太子に一番印象深かったのは、アソール公爵の賓客となってスコットランドの広大な領地を訪れたこと。アソール公爵は英王室に匹敵するスコットランドの大豪族。皇太子はここで三日間静養され、フィッシング・ドライブ・ゴルフ・散歩などを楽しまれた。
公爵はスコットランド名物のスカート姿で出迎え、バグパイプなどで演奏して大歓迎した。
最後の日、盛大な送別晩餐会が催されたが、ダンスが始まると近所の農民たちが普段着のまま集まり、百人をこえる踊りの輪が広がった。そこは身分の分けへだてもなくオープンな雰囲気で、公爵夫人も農夫とステップをかわした。皇太子は公爵の質素な生活ぶり、領民との平等で自由な人間関係に驚きと感銘を受けた。「アソール公爵のやり方をまねたら、日本にも過激思想などおこらないと思う」と皇太子は新聞記者に語り、生涯得がたい体験となった。
英国をあとにした一行は、フランスを五月三十日に訪れ、七月七日まで滞在。途中、ベルギー・オランダを計十日間ほど訪問されたものの、一番長く滞在した。昭和天皇は戦後の会見で、「暮らしてみたいのはやっぱりパリだね」 というほど、自由な生活を楽しまれた。
フランス訪問の目的は「エッフェル塔」「カタツムリ料理」「戦場見学」の三つであった。皇太子の強い希望で「カタツムリ料理」を召し上がられたが、有名な料理店「エスカルゴ・ドール」に頼み込んで日本大使館まで出前してもらって、皇太子が一つ一つ味わいながら五、六個食べたところでストップをかけられた。「それ以上は毒になっては……」という理由であった。
皇太子がパリで一番気に入ったものは「それは地下鉄(メトロ)さ。ルーヴルから、エリゼまで乗った。実におもしろかった」
また、第一次大戦の激戦地ベルダンをペタン元帥の案内で視察した。数千人の戦死者の十字架が見わたす限り並んでおり、「戦争とはかくもむごいものか」と語り、戦争の悲惨さ、むごたらしさを深く胸に刻み込まれた。
激戦地ベルダンの墓場↓↓
「香取」が横浜港に帰港したのは九月三日。原首相は涙を流して無事の帰国を喜んだ。その原首相が外遊に反対する右翼にそそのかされた少年によって東京駅で刺殺されたのは、この約二力月後である。
さて、二十歳を迎えたばかりの若き皇太子にとって、このヨーロッパ訪問はどんな意味を持ったのだろうか。昭和天皇の人格・思想形成の原点になるほど大きな役割を果たした。皇太子はこの外遊で、広く世界に向かって目を開き、本場の立憲君主制や王室のあり方を深く考えるきっかけとなったのである。
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