日本奇人ビックリ百選(1)泉鏡花・幻想文学の先駆者は異常な潔癖症、ばい菌、犬、カミナリ恐怖症‥
日本奇人ビックリ百選(1)
泉鏡花・幻想文学の先駆者は異常な潔癖症、ばい菌、犬、カミナリ恐怖症‥
「呂」という言葉に「キス」とシャレたルビをふる。「豆腐」の「腐」がいやで、「豆府」と書いたのも、府は「おさまるところ」の意味からである。「二人」を〝きしむかい″、「提灯(ちょうちん)」を〝かんぽん″と読ませた。
前坂俊之(ジャーナリスト)
(いずみ・きょうか(1873~1939)作家。尾崎紅葉に師事、鋭い感性と批評眼で『湯島詣で』などを発表。幻想的、夢想的な鏡花文学を開花させ、『婦系図』『歌行燈』などの傑作を発表した。当時の自然主義文学に対して独特の〝美の世界″を構築した。https://www.google.co.jp/webhp?sourceid=chrome-instant&rlz=1C5CHFA_enJP535JP535&ion=1&espv=2&ie=UTF-8#q=%E6%B3%89%E9%8F%A1%E8%8A%B1
鏡花は、文字の形象にも異常な関心を持っており、川端康成は 「泉鏡花ほど豊富で、変幻きわまりない語彙を持っている作家は、恐らく空前絶後であろう」と評価していた。
「呂」という言葉に「キス」とシャレたルビをふる。「豆腐」の「腐」がいやで、「豆府」と書いたのも、府は「おさまるところ」の意味からである。「二人」を〝きしむかい″、「提灯(ちょうちん)」を〝かんぽん″と読ませた。
泉鏡花は今でいうなら過度の潔癖症、清潔病患者である。カミナリ、犬、浪花節が大嫌いだったが、中でも一番怖がったのは〝バイ菌〟だった。一度赤痢にかかった体験から、鏡花はバイ菌に異常なほど神経質になった。
キセルでタバコを吸い、吸いカスをポンと落とすと、吸い口に素早く紙製のキャップをかぶせた。タバコを詰めるまでに、空気中のバイ菌が入るのを防ぐためだった。
バイ菌への恐怖から、ヤカンやキュウスの口は、すべて同じやり方で紙製の筒でふさぎ、台所の食器棚も、とりはずし自在になっていた。夜、ハエやネズミが入ってバイ菌をつけないように、食器をタンスにしまっていた。
ある時「そんなことで、バイ菌が防げると思うのか」と友人から尋ねられたが、鏡花は答えた。「いや、そうは思わないが、こうしないと怖くてならないのです」
バイ菌こわい
バイ菌予防のために、金属ケースにアルコールに浸した綿を入れたものを持っており、何かあると、この綿で指をふいて消毒する気の配りようだった。
掃除のやり方にも神経を配った。階段をふくために専用のゾウキンが作られ、それも、上、中、下の三種類あり、上の部分、中、下の部分をふく場合はそれぞれ専用のものがあてられる念の入れようであった。
ホコリが落ちる量は上、中、下の階段の場所によって異なるから、ゾウキンが同じではいけないというのが理由であった。
これにならって、食器用、棚用などのフキンも、用途別に全部違っていた。
外出の時にはアルコールランプを絶えず持ち歩き、出されたお菓子は火であぶってから、恐る恐る食べた。水も沸とうさせて飲んだ。
トウフが大好物だが、これも湯豆腐だけ。豆腐の席は〝腐敗″に通じるので、〝豆府″と書いた。ナマものはとにかくイヤで、シャコやタコはみるのも嫌い。エビは水死体に群がるから、と手をつけなかった。
アンパンも火にあぶってからでないと食べなかった。それも白いアンパンを表、裏と焼いて、今度は横に一回転して、すべてを火にあぶってから、その一端を指でつまんで食べ、食べ終わってから、指でつまんだ部分だけは捨てた。
指があたってバイキンがついた、というわけである。
日本酒が大好きだが、これまた変わっている。日本酒を熟燗にし、それも熱燗を通りこして沸騰してグラグラ煮立っている、煮爛を好んだ。
周りのものは、特に〝泉燗(いずみかん)″と命名。グラグラ煮立っているナベの徳利、とても普通の人では持てないようなものを、指先でつまむように持ち、あわてて、右の耳をつまんで冷やしながら、
「熱いほうなら、いくら熱くても平気」
と機嫌よく飲んでいた。食べものにはあれこれうるさい鏡花も、こと酒になると、この「泉爛」を晩酌に毎晩飲んでいた。
原稿用紙の上にハエでも飛んでこようものなら、サア大変。追いはらったあと、塩をまいて浄(きよ)めてから書いた。机の上には、水を入れたお神酒徳利がたえず置かれ、筆をとる前には原稿用紙の上にのせた半紙に水を一、二滴ふりかけては浄めの水にしていた。
言葉の霊を信じていた鏡花は、原稿で抹消した部分は黒々と塗りつぶした。言霊の生きかえるのを恐れたためであった。原稿を書いていて、行き詰ったり、文章がなかなか出てこないと、この浄めの水を再びふりかけては、書き続けた。浄めの水によってポロポロになった半紙は、とりかえなかった。
一度、原稿と一緒にこの半紙を出版社に送ってしまった鏡花は、大騒ぎしてとり戻し、戻ってきた時は大喜びした。
登張竹風『明治時代の思い出』
この時のいきさつは『中央公論』(昭和九年六月号)に登張竹風『明治時代の思い出』という一文がある。
「鏡花の原稿は必ず半紙と極ったもので、半紙を二つ折にして、その間にお手製の罫紙(けいし)を挟み、これもお婆さん遺愛の極めて小さな硯(すずり)で克明に墨を磨って毛筆で鏡花一流の華奪な文字で書き続ける……お手製の罫紙については次のエピソード」である。
『沈鐘』を合訳している頃のこと、ある時鏡花が血相変えて逗子から大森の拙宅へ飛び込んで来た。どうしたのだと聞くと、いやどうもこうも大変なことが起った。あの君も御承知の愛用罫紙(けいし)が紛失したのだ。婦左衛門(これは鏡花君の口癖で、夫人の呼び方ある)も血眼になって家中をごった返して捜索したが見つからない。もしかすると、『沈鐘』の原稿の中に入れたままで君のところへ送ったのではないかと思ってまかり出たのだがね、と御意ある。
『沈鐘』の原稿はもう既にやまと新聞に廻して私の手許にはなかったのでそれでは僕はこれからすぐ新聞社へ行って調べて来ようということになり、鏡花は鏡花で最近博文館の『文芸倶楽部』 へ短篇を送っているから、その方を調べることになって同道して出京し、新橋で別れて双方取調べた末、文芸倶楽部への原稿の終りの一枚に一緒に綴り込められていたことが分明して罫紙一枚が御無事御帰還のめでたい首尾となって鏡花の愁眉はじめて打開けた次第。その当時のうれしそうな顔色。今以て忘れられない。他人から見れば新らしい罫紙に挟みかえたらよかりそうに思われるのであるが、ここがすなわち鏡花式で、この罫紙でないと、一言半句も筆が動かないというのだから摩詞不思議である」
どう見ても、普通ではないが、泉はまたウサギの蒐集家で、その性癖も異常なものがあった。水上滝太郎は『貝殻追放』で、次のように書いている。
に「驚いたのはその室の兎だった。違い棚にも、本箱の上にも、小机の上にも数っ立て眼をくるくるさせてかしこまっている。手あぶりがある、状差しがある、文鎮がある、香水の瓶がある、勿論おもちゃは大勢である。陶器もある、木彫のもある、土細工もある、紙の細工もある、水晶もある、ガラスもある、あらゆる種類のウサギだ。『女仙前記』や『後朝川』のような兎の働く小説のあるのも無理はない。先生はステッキの頭にさえ小林雪岱さんの図案にもとずく銀のウサギを付けて散歩のお伴を仰せつける」
鏡花は、文字の形象にも異常な関心を持っており、川端康成は 「泉鏡花ほど豊富で、変幻きわまりない語彙を持っている作家は、恐らく空前絶後であろう」と評価していた。
「呂」という言葉に「キス」とシャレたルビをふる。「豆腐」の「腐」がいやで、「豆府」と書いたのも、府は「おさまるところ」の意味からである。「二人」を〝きしむかい″、「提灯(ちょうちん)」を〝かんぽん″と読ませた。
そんな鏡花だけに、文字を至上のものとしていた。佐藤春夫が訪れた時、鏡花の話す字がわからず、夕タミの上に指で書くと、鏡花は烈火のごとく怒り「文字をもって世すぎするものが、人の踏む夕タミに尊い字を書いてはダメ」と言った。
口述筆記をしていた人が、書き損じた原稿用紙を丸めてポイと捨てると、鏡花の目がイナズマのように一瞬光り、「それをこちらへ」と、丸めた原稿をていねいに、何度もヒザの上でのばし、師である尾崎紅葉の写真の前にうやうやしく供えた。新聞紙を風呂敷がわりにして、物を包んでいた編集者にも小言を言った。
こんな鏡花だから、旅行は大変だった。消毒用の湯わかしのほか、旅館で出された食事まで、もう一度煮るための小ナベまで持参して行った。
昭和初め、毎日新聞が主催した日本新八景で、文壇の大家が各景勝地を訪ねて、紀行文を紙上に掲載する企画があった。珍しく鏡花はやる気十分で、十和田湖の取材に旅立った。
一行が十和田湖の登り口まで着いた時、困難が持ち上がった。ここからの交通機関は馬しかなく、鏡花は馬が大嫌いであった。土地の有志たちがあれこれ知恵をしぼり、立派なカゴを持ち出してきた。
金紋入りの前後二人ずつでかつぐ、大名式の立派なカゴ。鏡花もこれには大喜び。カゴの中で反りかえって、大名気分で悦に入り十和田湖に向かった。実はこのカゴは葬儀用のカゴ。しかもたった今葬儀をすませてきたばかりで、まだ死臭がただよっていた。知らぬは鏡花ただ一人であった。
カミナリのこわい
人一倍鋭い感覚を持っていた鏡花は、少年時代にカミナリの音に激しいショックを受け、生涯、恐怖心が消えなかった。夏の季節、一天にわかにかき曇り、ゴロゴロとカミナリが鳴りだすと、鏡花は恐くてソワソワ、オロオロしていた、と夫人は証言する。
このため、自宅の天井にはカミナリよけのまじないとして、大小のトウモロコシがぶら下げられていた。神経過敏だと鏡花自ら認めて、こう書いた。
「原稿を新聞社なり雑誌社へ郵送する時、自分でポストに入れに行きます。絶対人手に頼まない。ポストに入れても、何となく不安なので、ポストの周囲を二、三べん回るんです」
犬もコワイ
犬もコワイ。散歩好きの鏡花は、途中で犬にあったらどうしようか、と心配する。このため太いステッキを持って出かけた。
しかし、犬は敏感なので、ステッキを持っていると、逆にほえかかってこないかとよけいに心配になる。犬を怖がっている人に犬はほえかかる。真っ青になって逃げ出しても、犬は追いかけてきて、かみつきはしないか。鏡花の恐怖心はいっそう増す。
では、女中を連れていって、身がわりになってもらおうと思ったが、それでは女中がかわいそうだ。では奥さんと一緒というのは世間の人から笑われる。仕方がない、屈強な車屋でも雇って散歩しようか、と次々に心配のタネが広がった。
鏡花の客選別法がまたケッサク。
訪問客があると、玄関先で女中が大声で「どなたですか」と聞き、そのあと、もう一段高い声で姓名を復唱しながら、「先生はお留守です」と答える。
そこで客が帰りかけると、決まって、次の間か、二階から「やあ、いたんだよ。お上がり」と鏡花の声がかかる。
鏡花はわざと大声で、女中に名前を呼ばせて聞いたうえで、会うべきか、断るべきかを選別して、声をかけるのである。心得ている人は、わざと声がかかるのを待って、ゆっくりと歩き、聞き耳をたてていた。
「鏡花の恐怖、恐れの対象は超自然的なものであり、一つは観音力、もう一つは鬼神力といってよいものであった。このような超自然力なものの前に、人間の力などしょせん、無力であると信じていた」-と水上滝太郎は分析した。
関連記事
-
-
軍神・東郷平八郎の真実
1 静岡県立大学教授 前坂 俊之 1 『タイム』の表紙に掲載された最初の日本人 …
-
-
『オンライ講座/百歳学入門』★ 「シュバイツァー博士(90歳)の長寿の秘訣」★『私にはやるべき仕事が常にある。それが生き甲斐でもあり、健康法でもある」」「世界的チェロ奏者のパブロ・カザルス(96歳)」の「仕事が長寿薬」
2015/03/08 百歳学入門(104) & …
-
-
知的巨人たちの百歳学(171)記事再録/長寿逆転突破力を磨け/-加藤シヅエ(104歳)『一日に十回は感謝するの。感謝は感動、健康、幸せの源なのよ』★『「感謝は感動を呼び、頭脳は感動を受け止めて肉体に刺激を与える』
2018/03/13 『百歳学入門(214)』 …
-
-
安倍<多動性外交>の行方は(1/31)「靖国参拝・ダボス発言は成功か失敗か」「NHK新会長「従軍慰安婦発言」動画座談会(70分)
日本リーダーパワー史(471 ) <安倍<多動性外交? …
-
-
百歳学入門(150)『 日本最長寿の名僧・天海大僧正(107)の長命の秘訣は『時折ご下風(オナラ)遊ばさるべし』●昭和爆笑屁学入門『『元祖〝ライオン宰相〃浜口雄幸・・国運をかけたONARA一発『ぶー,ブ,ブーブゥー』『屁なりとて、徒(あだ)なるものとおもうなよ、ブツという字は仏なりけり(仙崖和尚)
百歳学入門(150) 長命はー① 粗食②正直③日湯④陀羅尼⑤時折ご下風遊ばさ …
-
-
生涯現役/百歳学入門<162>『101 歳よく食べ歩く、記憶鮮明「おしゃべり好き」』●『人間の寿命は125歳が限界? 世界で長生きする長寿5カ国の秘密』●『平均余命は世界的に伸び、経済的豊かさとは合致せず=研究』●『長生きをする30の方法』●『人類が完全なる人工心臓を手にする日はどこまで近づいた?』
生涯現役/百歳学入門<16 …
-
-
『国難逆転突破力を発揮した偉人の研究』★『徳川幕府崩壊をソフトランディングさせた勝海舟(76歳)の国難突破力①『政治家の秘訣は正心誠意、何事でもすべて知行合一』★『すべて金が土台じゃ、借金をするな、こしらえるな』★『借金、外債で国がつぶれて植民地にされる』★『昔の英雄、明君は経済に苦心し成功した』★『他人の本を読んだだけの学者の学問は、容易だけれども、おれらがやる無学の学間は、実にむつかしいよ 』
2012/12/04 /日本リーダーパワー史(350)記事再録 ◎ …
-
-
『Z世代のための昭和政治史講座/大宰相・吉田茂論①」★『<国難を突破した吉田茂(84歳)の宰相力、リーダーシップ、歴代宰相論』★『首相なんて大体バカな奴がやるもんですよ』★『明治と昭和のリーダーの違い、総理大臣バカ論』★『文芸春秋』1962年2月号の「私は隠居ではない」より)』
2011/3/11/福島原発事故があった 半年後の09/22 &nbs …
-
-
『W杯サッカー回想録』★『2014年7月/ザックジャパンW杯の完敗の原因とは?」★『「死に至る日本病」(ガラパゴス・ジャパン・システム)であり、日本の政治、経済、スポーツ、社会全般に蔓延する―』★『ストラジティー(戦略)なし。NATO((No Action, Talk Only)「話すばかりで、何も決められない決断しない日本)』
2014/07/04 日本メルトダ …
-
-
知的巨人の百歳学(148)ー人気記事再録 『長寿経営者の健康名言・グリコの創業者 江崎利一(97歳)『 健康法に奇策はない』『事業を道楽にし、死ぬまで働き学び続けて』『 面倒をいとわないと、成功はあり得ない』『健康哲学ー噛めば噛むほどよい。』
2012/03/12 /百歳学入門(35)―『百歳長寿名言 …