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「アジア開国の父」福沢諭吉の「韓国独立支援」はなぜ 逆恨みされたかー日中韓が協力一致して西欧列強の侵略を防ごう②

      2015/01/01

  

 

「日本・アジア開国の父」の福沢諭吉

の義侠心からの「韓国独立支援」はなぜ

誤解、逆恨みされたのかー

福沢の一番弟子「井上角五郎伝」から読み解く➁

 

<福沢は「朝鮮からの留学生を受け入れ

開国派に肩入れし、ソウルで最初の新聞を発行する

ために井上を派遣した。

支那(中国)も朝鮮も共に協力一致して西欧列強の

の勢いを防ぐためである>

 

 

<以下は「井上角五郎先生伝」(同伝記刊行編纂会、昭和1812月刊 、570非売品)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E8%A7%92%E4%BA%94%E9%83%8E

の『第2章、韓国顧問時代』(31Pより)から、転載する>」

 

 

「清国は壬午事変で日本に報復ため大院君を拉致、連れ去る」

 

かって清国は、日本が明治9年にいちはやく朝鮮を独立国と認めて修好條約を締結したのを遺憾に思って報復の機を狙っていたが、今度日本が派兵したと聞くと、時を移さす北洋水師提督・丁汝昌に命じて軍艦数隻を率いて朝鮮に急行し日本を牽制させた。

一方ではまた我が花房公使が済物浦へ去った隙間に清国武官・馬建忠をして兵を率いて京城(ソウル)に入り、甘言をもって大院君を誘い出して連れて行ってしまった。

 

同時に宮廷を護衛すると称して清兵を京城の諸門に配置し、大いに朝鮮の内政に干渉する端緒を開いた。これが日清両国が朝鮮に於いて衝突した初めである。

 

 

その年十月に朝鮮から修信使という名目で謝罪使が来た。一行は正使朴泳孝・副使金晩植、従事官徐光範、外に視察の名義で閔泳

http://www.geocities.co.jp/nkks437758/yhm_myy.html

 

・金玉均の両氏が同行した。日本政府は朝鮮を独立国と認めているから使節の待遇も尊重であって一行をして日本の信頼するに足ること思わしめた。井上外務脚は一行のために朝鮮政府の借款を斡旋して・横浜正金銀行から17万円

貸与させた。この金は日本へ支払うべき賠償の一部と謝罪使一行の帰国の費用とを弁じて、残余は朝鮮の教育事業に充てるというのであった。

 

 

「朝鮮開国党(独立党)を物心両面で援助した福沢」

 

 この一行の使命はもとより謝罪にあったけれども、同時にまた東洋の先覚者たる我が福澤翁にあって、親しく指導を受けるというのがその裏面の大きな目的であった。既に一行中の金玉均・徐光範の2人は以前に来朝して福沢翁の意見を聞いた事があり、朴泳孝、閔泳の両氏もかってその指導を受けるために来朝を計画したぐらいであったから、一行は到着早々相率いて福沢邸を訪ねて、朝鮮の前途についていろいろ意見を聞いていたのであった。

 

ところで十七万円の借款がいよいよ成立したので、更に福沢翁を訪れて朝鮮の教育事業について指導を請うたのである。

 福沢翁はかって金玉均等に世界の形勢を説いて自覚を促していたが、この時、実行間題として一行に勧めた事は、第一は朝鮮から青年を多く日本に留学させる事であり、第二は京城で新聞紙を発行する事であった。留学生については先年、朴定陽氏が来訪した時にも勧めた事で、その時に来たのが愈吉ら二三名であったが、今度の勧めによっては後に徐載粥等数十名が来て慶底義塾や士官学校に入学したのである。

 

福沢翁は先づこの二つを実行することを勒めたけれども、一行中にはこの外に軍事調練をも行いたいと望む者があった。福沢翁はこの一事についてはあまり賛成しなかったが、一行の希望によって、これも実行する事となった。そこで翁の推薦で牛場卓蔵、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9B%E5%A0%B4%E5%8D%93%E8%94%B5

 

高橋正信

 http://www.gakuji.keio.ac.jp/hiyoshi/hou/fukusenkou/3946mc000002ddoh-att/a1399945920245.pdf

 

の両氏は学事について、松尾三代太郎、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B0%BE%E4%B8%89%E4%BB%A3%E5%A4%AA%E9%83%8E

 

原田一

http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/mastermind_or_advisor/

 

の両氏は軍事について朝鮮政府に招せられる事となって、新聞機械、漢字活字等を準備し、職工監督をも雇い入れた。

 

 さて、準備万端調って、牛場氏等の出立も漸く切迫する頃になって、福沢翁は初めて先生を顧み、

 「後藤伯が居られたなら、相談してお前にも行ってもらうのに。」

と言った。当時、後藤伯は洋行中であったのである。先生は雄心勃々、何としても行きたいと思っていた矢先であったから、直ちに高輪の伯爵邸に駆けつけて夫人にその由を話した。

 

伯爵夫人は時を移さす福沢邸を訪ね、旅費その他の要用は両家で分推して、見学という名義で先生を同行きせる事に話がまとまった。

この年十二月、出発に臨んで福沢翁はあたかも愛見に対するが如く先生に懇切に訓戒した。これ先生(井上角五郎)が朝鮮在留中はいうまでもなく、後年に至るまでも一生にわたって反復回想してい言葉である。今、先生の手記に依って左に録する。これに依ってまた福沢翁の朝鮮経営策の要旨をも知る事が出来る。

 

『井上角五郎にあたえた訓戒と朝鮮経営策』

 

 

 

「①    先づ朝鮮では食い物、飲み物に注意せよ。何となく自分の子供を手離すやう気がする。くれぐれも健康第一を忘れてはならぬ。

 ➁この際に特に記憶してもらわねばならぬ事がある。お前は井上角五郎である。宜いか。それを記憶しておらねばならぬ。またお前は日本人である。

如何なる事柄にあっても日本人井上角五郎が自分であることを断じて忘却してはならぬ。これは我カの常に心掛けて居なければならぬ所であるけれども、斯く外国に赴くにあたって最も大切な事である。

 

③僕は朝鮮をして完全に独立させたいと思う。たとえ、独立し得るとも或は然らずとも、兎も角も日本以外の国々をして断じて朝鮮に手を出さしめる訳には行かぬ。日本が独りこれに当るのが日本の権利あってその義務である。

 

④世界の大勢は如何に動いているか、前途は極めて臆測し難いけれども、東西南洋が漸く接近すると共に次第に衝突の機会を増すの一事に至っては何としても否認し難い。

 

⑤近頃支那は結局欧米の分割に帰するとの議論を聞くことが甚だ多数である。

たとえ土地が直ちに分割せられぬとしても、終には四分五裂し、そのいずれも欧米の勢力範囲となるは当然の成り行きなりと覚悟しておらねばならぬ。

 

⑥我々この場合に於いて猶退いて一小孤島を守って我慢が出来るであろうか。若し進んで足を大陸に掛け、欧米各国の勢力を駆逐する考えを持たなかったなら、小孤島すらその狩立を脅かされるかも知れぬ。

近東に於いて支那も朝鮮も共に協力一致して西力東漸の勢いを防ぐべきである。

 

⑦しかし少くとも朝鮮を我が勢力範囲の下に置いて緊密に提携し、万一にも支那と同一の運命に陥らしめるようなことがあってはならぬ。

 

⑧これがために、武力は最も必要である。しかし武力の事は之をその当局に任せるとして、文力もまた大いに必要である。朝鮮人が文明の知識を養い、生活の安定を得るに至らぬ限りは、到底、完全な提携はできぬ。その文力に至っては我われ日本人が人道の上よりやらねばならぬ義務であって諭吉はこれを率先主張するの天職を有するものと信じるのである

⑨我々後藤伯と相談したことはお前は略ぼ承知している筈である。

故に打ち開けて話すのであるが、克く此等の事柄を記憶しおいて、さて先方に往ったなら差向き朝鮮の風土・人情・経済・政治、何でも彼でも調査研究して他日に役立っ人間となってもらいたい。」(「福沢先生の朝鮮御経営と現代朝鮮の文化について」)

 

 

 

と、懇々と諭された後、夫人を呼んで共に先生(井上角五郎)の服装、その他の支度の事を語り「井上は今度は死ぬかも知れないからよく気を付けてやるがよい。」と云い、半切を展べて、「自国自身唯莫忘」と大書し一振の日本刀を添えて餞別として先生(井上)に授けた。

                             つづく

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