『オンライン講座/最強のリーダーシップの研究 ⑪』★『児玉源太郎の電光石火の解決力⑦』★『日英同盟によって軍艦購入から日本へ運航まで、英国は日本を助けて、ロシアを妨害してくれたことが日露戦争勝利の要因の1つである』
日本リーダーパワー史(820)記事再録『日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー、 リスク管理 、インテリジェンス㉟
前坂俊之(ジャーナリスト)
この山本海軍大臣の「早期開戦反対論」の厚い壁を児玉はどうやって崩していったのか。その裏には児玉次長の知謀をつくした勝利の戦略と説得工作があった。
もともと、薩摩の権兵衛と長州の源太郎と言えば喧嘩が強い、さっぱりした気性の豪傑同士であり、ケンカ早かったが、仲直りも早いと有名だった。陸海軍を代表して、才気喚発の両者は、喧々諤々の激しく論争したライバル同士でもあった。
1903年(明治36)10月に参謀本部次長に自ら降下し、日露戦争を指導する責任者となった児玉は山本権兵衛の説得するために、「絶対に権兵衛と呼び捨てにしないこと」を心に決めた。
開戦準備を推進するためには、陸海軍は協力一致して決して喧嘩をしてはならない。海軍を怒らせることは禁物で、自ら率先して、口を慎み部下たちにも模範を示すことを決意して、説得工作に知恵を絞った。
山本海相に対しては1ヵ月前に井口省吾・参謀本部総務部長が訪ねて、陸軍の情報判断を説明し、『このまま推移すると韓国はロシアに専られてしまう』と訴えると「韓国がロシアに奪われても構わん。オレの心配しているのは日本がロシアに奪われることだ」と陸軍案に反対する態度を固執した。陸軍の前に立ちはだかった難物中の難物だった。
それが、両者の会談が一時間もたたないうちに、海軍大臣室のドアが開かれ、山本と児玉が大声で笑いながら、「イヤー、今日は愉快じゃ、愉快じゃ」と出てきたので、待機していた参謀部員はびっくり仰天、児玉次長のその早業に舌を巻いたのである。
児玉次長が出したとおもわれる妥協案は3点であった。
➀大本営条令の改正である。これは山本海相が長年主張して、児玉も陸相時代に断固反対していた改正案だが、日露開戦の危機迫る状況で、従来の方針を180度転換してこれを認めて、従来の陸主海従の制度を陸海軍並列主義として、完全に陸海軍を対等とした、のである。
児玉は「山本海相が開戦準備に同意し、かつ陸海軍協調の線に努力してもらうことができれば、この際は潔く海軍案を採用し、すべては日露戦争の勝利のために陸海軍一体となって全力をあげたい。将来の陸海軍の関係は日露戦勝を獲得してから、ゆっくりと考えた方がよい。」と山本に提案、説得したのである。
②同盟国イギリスの斡旋で、イタリアなどで建造中であった重巡洋艦二隻(後の日進、春日)の調達予算取得が難行中だったのを、児玉は陸軍予算で直ちに購入することに決定した。ロシア側も同様にこれら建造中の軍艦を購入する情勢にだったので先手を打って日本海軍が取得するのに成功した。
当時、海軍は日露戦争に備えて「六六艦隊」といわれる戦艦六隻、重巡洋艦六隻を主力艦とする艦隊編成に全力を尽していた。しかし、資金力に勝るロシアもその後は急ピッチで極東艦隊を増強し、六六艦隊を完全に凌駕して。海軍は頭を悩ませていた。
海軍情報員の至急電で、アルゼンチン国発注の大型装甲巡洋艦二隻がイタリヤのベネチア港で近く竣工の予定で、譲渡価格は一千六百万円である、ロシアも同様の購入の交渉中なので、日本が買う決心があるならば即刻回答せよとの、極秘情報が入った。
海軍省が資金の即時払いを大蔵省に要求したが、現在ロンドンで金策中の外貨資金は約二千万円が集まっただけで、陸軍省からの京釜鉄道(京城-釜山間)建設予算もあるので、全部出すわけにいかないという返事だった。
そこで山本海相は児玉次長に要請したところ、即座に了承してロシアに一歩先んじて軍艦購入を決定した。明治36年暮れもおしつまった12月28日のことである。開戦わずか40日前のお宝購入である。この2隻が日露戦争では大活躍したのだから、山本、児玉の最強コンビのホームランである。
ちなみに、イタリアからこの2隻の軍艦を日本にえい航するのは並大抵のことではなかった。日英同盟による英国海軍の全面的なサポートによってこの虎の子の軍艦が無事に日本に到着したのである。
軍艦二隻は、その後スエズ運河を航行して日本へ運ばれたが、英国海軍は、ロシア海軍が大砲を据えて発射して戦えるようにしていない日本の購入した軍艦一隻の後をつけて要撃(待ち伏せして撃沈する)をねらっているらしいとの情報をつかんで航行の護衛をしてくれた。
また、各港では日本軍艦には石炭の補給を英国が手伝って早く出港できるように支援し、ロシア軍艦には石炭補給をストップさせて、日本を助けてくれたのである。
日英同盟によって軍艦購入から日本へ運行するまで、いかにイギリスが日本を助けて、ロシアに対抗措置をとってくれたかーこれが日露戦争にかろうじて、日本が勝てた要因の1つであった。
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