日本風狂人伝⑮ 日本一の天才バカボン宮武外骨・「予は危険人物なり(上)は抱腹絶倒の超オモロイ本だよ。
2016/03/31
生涯、やることなすこと、権力をからかい、既成の権威や習慣に挑戦して、筆禍や名誉毀損などでブタ箱に入ること四回、通算服役約四年間、罰金、発禁は合計二十九回を数えたが、それにもめげず約二百点近い新聞、雑誌、書籍を出し続けた。明治以来のジャーナリストで筆禍の最多のチャンピオンであると同時に、自ら十六人のメカケをもったと称し,結婚すること五回、最後は七十四歳の時に再婚するほどの精力絶倫で宮武ほど逸話の多い人物は少なくい。
外骨は一八六七年(慶応3)一月十八日、江戸の奇才といわれた平賀源内と同じ讃岐国(香川県)阿野郡の庄屋の四男として生まれた。亀四郎と名付けられたが、この名前がイヤで十八歳の時に、自分で外骨(がいこつ)と戸籍上の名前も変えてしまった。
理由は「亀は外側に骨(甲羅)があり、内側に肉がある」という『玉篇』という中国の辞書の記述から「外骨」と改名した。骸骨、ガイコツ、「人間ではないぞ。人間をこえたものだ」という名前に人を驚かせて楽しむ彼一流のハッタリがうかがわせる。
こうして外骨が本名となったが、世間ではふざけた戯号と思われて「本名は何というのですか」とよく尋ねられた。旅館でも宿帳に書くと、必ず「どうぞ御本名を・・」、裁判所では「これが本名か・・」と聞かれ、区役所では「本名でないと認めぬ」と叱られ、名前のトラブルがたえない。腹を立てた外骨はハンコを二つ持つことにした。外骨のハンコと、もう一つのハンコ「是本名也」(これ本名なり)というのを作って、外骨のハンコの下に押していた。
廃姓については身分制度の廃止を訴え、差別を厳しく拒否、平等を説いていた外骨は「姓などないほうがよい、姓は無用なもの」という考えであった。「外骨」「廃姓外骨」「外骨(旧姓宮武)とさまざまに使い分けていた。
手紙であて名が「宮武外骨」などと書いていると、返事は出さなかった。自らも「外骨」で通しており、人を訪ねても、相手が「宮武さん、・・」とでも言おうものなら、さっさと帰ってしまった。著書の奥付けにも外骨と書き、その横に「是本名也」との朱印を押してあった。ただし、銀行では金の引き出しの認証では廃姓論も認められず、銀行側となんどもやりあった結果、仕方なく一度だけ宮武外骨と署名した。
鳥谷部陽太郎著『大正奇人伝』 三土社刊(大正14年刊)によると、「外骨は未曾有の機智、頓智の持ち主であり、変態知識学者としても実に天下独歩の観がある。それに氏は又、俗世に超然たる気骨稜々の士である」と紹介しているが、外骨は自ら奇人の定義をこう述べている。
「奇をてらうものは真の奇人ではない。真の奇人は天稟、天性のつむじ曲がりか、これが科学的神秘主義に発達したものでなければならぬ。それで自然に価値のある風刺、価値のある滑稽が生まれ出る。
予は自らつむじ曲がりをもって任じ、そのヒネクレ根性を一代の生命としておる者で、予自らは真の奇人と信じている」
予は自らつむじ曲がりをもって任じ、そのヒネクレ根性を一代の生命としておる者で、予自らは真の奇人と信じている」
外骨五十一歳の時、東京・谷中警察署長から「あんたの性格はいつからそうなったのか」と尋問された。「はい、五十年前からです」「すると、一歳からか・・!!??」
署長はけげんな顔をしたが、外骨は自分の性格は生まれた年の「おかげ参り」「ええじゃないか」の踊りが原因だ、と説明して煙に巻いた。
「生まれた慶応三年は照皇天皇のお札が降ってきたというのがもとで、四国や阪神の民衆が熱狂的に踊り狂った。十数人が一体となって豪農に押し掛けて土足のまま座敷に上がって『ええじゃないか、ええじゃないか』と踊りまわり、台所にいっては酒やメシを『酒を飲ませてもええじゃないか』といって踊り狂った。
外骨の家は庄屋で、こうした連中が次々に一ヵ月ばかりやってきて、メチャメチャに荒された。外骨は生まれたばかりの赤ん坊なので、居間にいると踏み潰される。恐れた家族が小さいふとんに包んで押入れに入れた。こんな騒然とした年に生まれたので『ええじゃないか』の気分が外骨の性格となった。カンシャクも色気もええじゃないか、過激もワイセツもええじゃないか、廃姓、民法違反もええじゃないか、講演脱線もええじゃないか」とまことにエェかげんな説明をした。

本郷春木町の進文学舎に学んだ。進文学舎は東大への進学塾として知られ、後に早稲田大学総長になった高田早苗などが講師をしており、森鴎外なども通っていた。その後、浮木堂という個人出版社を作り、亀の甲羅に似た六角形の本を処女出版した。このアイデアが当たり、大いに売れた。これに気を良くして、明治一九年四月、自ら発行人となり中々尾茂四郎(なかなかおもしろ)の名前で、念願の新聞『屁茶無苦新開』を発行し、外骨一流のパロディで自在に筆をふるったが、たちまち発禁処分を受け一号で廃刊してしまった。
二十歳になった時、五百円をフトコロに全国旅行に出かけた。ちょうどその頃、日本に初めての自転車が輸入されて大評判となった。人の意表をつくことに生きがいを感じている外骨は八方手をつくして、やっと神戸の外人から大枚三百円をはたいてこの最新式の自転車を購入した。
得意満面の外骨はこれに乗って周囲に見せびらかしながら東海道を旅行し、東京に向った。サイクリングを行なった日本第一号は外骨である。
東京の友人宅に転がり込んだ外骨はまたイタズラを思いついた。東京中を自転車で乗り回し、百人の女性のほほをなでようというもの。
友人も同調して、二人で自転車に乗って、道端の女性の頬を次々になぜて回った。いよいよ、記念すべき百人目なので、向島の飛びっきりの美人のほほをなぜたのはよかったが、その側に夫がいて二人に鉄拳の雨を降らせ、ノックアウトされてしまった。
関連記事
-
-
『大正の言論弾圧事件』 日本初の政党内閣である大隈・板垣内閣『隈板内閣』で起きた尾崎行雄の共和演説事件
『大正の言論弾圧事件』 日本で初めての政党内閣である大隈・板垣内閣『隈板内閣』で …
-
-
○わが愛する名作「人生劇場」を書いた 豪放磊落<男の中の男>「尾崎士郎」記念館(大田区山王町1-36)を訪問
○わが愛する名作「人生劇場」を書いた 豪放 …
-
-
「トランプ米大統領の関税国難来る!ー石破首相は伊藤博文元老の国難突破力を学べ①』―「日露戦争開戦と同時に伊藤博文はルーズベルト米大統領と「ハーバード大の同窓生・金子堅太郎(農商相)を米国に派遣、 ル大統領を味方につける大統領工作に成功した。世界外交史に輝くインテリジェンス外交』
2025/04/08/「世界・日本リーダーパワー史」(1567) 石破首相は4月 …
-
-
『最強のリーダーシップの日本近現代史』(235)/ 歴代宰相で最強のリーダーシップは1945年終戦を決断実行した鈴木貫太郎ー山本勝之進の講話『 兵を興すは易く、兵を引くのは難しい。』★『プロジェクトも興すのは易く、成功させるのは難い』●『アベクロミクスも先延ばしを続ければ、 ハードランニング、亡国しかない』
2016/10/31&nb …
-
-
『オンライン講座/日本興亡史の研究⑨』★『児玉源太郎の電光石火の解決力➄』★『児玉参謀次長でさえ、元老会議や閣議から除外されることが多かったので、軍部は国策決定の成否を知り得なかった。』★『児玉参謀次長に日露外交交渉の詳細が知らされなかった日本外交の拙劣ぶり』』
2017/05/29 日本リーダーパワー史(817)記事 …
-
-
『鎌倉釣りバカ人生30年/回想動画録』⑳★『『コロナパニックなど吹き飛ばせ』★『10年前の鎌倉沖は豊饒の海だった』★『海楽人の天然・自給自足生活をしよう!>『シーラが海上を大乱舞、イナダ、ソーダガツオと カヤック・フィッシングは大漁じゃ』
2011年8月10日/『『百歳学入門(19 …
-
-
世界が尊敬した日本人● 『東西思想の「架け橋」となった 鈴木大拙(95)』〔禅の本質の究明し、知の世界を飛び回る〕
世界が尊敬した日本人 東西思想の「架け橋」となった …
-
-
『世界サッカー戦国史/ロシア大会決勝』⑩フランスが「4-2」クロアチア、20年ぶり2度目の優勝!ムバッペら躍動で4G奪い、粘るクロアチアの夢を打ち砕く/』★『準優勝も胸を張るクロアチア主将モドリッチ「誇りに思うよ。すべての人に感謝したい』★『 「日本は誰にとっても“2番目に贔屓”のチーム」米メディアがW杯出場32か国・最終格付けで特大の賛辞!』
『世界サッカー戦国史』⑩ フランスが20年ぶり2度目の優勝!ムバッペ …